熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

台頭するブラジル(仮題 BRAZIL ON THE RISE)(7)人種的なパラダイスと言う神話~その1

2011年04月25日 | BRIC’sの大国:ブラジル
   ブラジル人は、自分たちの国を人種差別のない人種的民主主義の国だと考えるのが好きで、世界中にこの考え方を、これ宣伝に努めて来た。
   実際にも、米国、南ア連邦、マレイシアなどの代表がやって来て、どうすれば、ブラジルのように、人種的な緊張やトラブルなしにやって行けるのか調査したり、米国の社会学者が、ブラジルには人種主義などは存在しないとする教科書を書いて、世界中の大学で教えられていた。
   しかし、ブラジルの本当の人種問題は、もっと、複雑で、ブラジルの美しさや、人々の温かさや、或いは、白人のブラジル人が殆ど人種問題を語ったり考えたりしないのに魅せられた一般外人訪問者が感じるほど、単純なものではないと言うのが、ローターの考え方である。
   プライドの問題以上に、人種は、ブラジルの秘密であって、隠れた恥だと言うのである。

   ブラジルには、2億人のアフリカ系の国民が住んでいて、海外では勿論最大であり、アフリカでもナイジェリアに次ぐ人口である。
   ブラジルでは、「アフリカの末裔」と称されて、国民生活の重要な局面から疎外されており、実際の日常での生活において差別を受け、最も重要な社会的指標において最下層にラック付けされている。
   大都市の犯罪が多い貧民窟ファベーラにおいては最大の人口集団であり、黒い肌をしたブラジル人は、警官に殺される確率も高く、賃金は低く、寿命も短く、教育機会も白人よりはるかに少ない。

   ところが、ブラジル人は、この異常な不平等・不均衡を認めているのだが、ブラジル社会に根深く存在しているこの不平等は、人種の為ではなく、階級格差によるものだと言うのである。
   ブラジルは、伝統的に、世界でも類を見ない程所得や富の所有格差が激しく歪んだ国であり、一握りの白人ブラジル人がピラミッドの頂点に立つものの、人口の大半が黒人系ブラジル人であるから、黒人が貧困層の大半を占めるのは当然で、肌の色ではなく、階級差別と偏見の犠牲だと言う。
   しかし、現実には、豊かで学歴の高い黒人ブラジル人であっても、貧しい白人ブラジル人が享受しているような特権さえ与えられなくて、色々な差別的待遇や扱いに泣いているのが、現実のブラジル社会なのである。

   尤も、現実の日常生活では、人種的な寛容や親睦関係において、少し、ニャンスが変わってくる。
   ブラジルでは、人種間の垣根を越えた結婚が比較的多くて、それが、階級が下がって来ると益々頻繁となる。貧しい白人が、貧しい黒人とが軒を連ねて生活していることが多いからでもあるが、豊かなもの同士では、こんなことは殆ど有り得ない。
   また、実際の日常生活においても、カーニバルは勿論、仕事場やアフターファイブにおいても、白人黒人入り混じって、飲み食い語り、生活を共にしている光景が普通に見られて異常でも何でもない。
   この日常生活での人種的こだわりの無さは、私自身、アメリカに2年、ブラジルに4年、住んでいたので、ローターの指摘は、確かにそうだと思う。
   アメリカでも、私が住んでいた頃には、まだ黒人差別が激しかった。この国は、法治国家であり民主主義的な政治が進むと、勢い、法律や社会制度上、差別がどんどん撤廃されて平等化して行く。
   しかし、ブラジルの場合には、法や社会制度の民主化など遅々たるもので殆ど期待できないので、どうしても社会的に根深く息づいている因習や制度、価値観などが、一朝一夕に変る訳がなく、社会的制度上は、黒人差別が徹底的にビルトインされて染みついているものの、実際生活は、如何にも現実的だと言うことであろうと思う。

   面白いのは、アメリカ人と違って、白人も含めて、一般的にブラジル人は、カーニバルや音楽や料理などに、自分たちの国のアイデンティティやポップ・カルチュア―にアフリカ・オリジンの要素があるのだと言うことを、認めるのにそれ程抵抗を感じていない。
   例えば、アメリカでは、ジャズは芸術かどうかなどと大真面目に議論するなどアフリカの影響を認めたがらないのだが、ブラジルでは、カーニバルが、アフリカとヨーロッパ中世の慣習の混交であることを自明であると思っており、白人たちも、アフリカ讃歌であるサンバを何の躊躇もなく歌っているのである。

   さて、ブラジルには、日系ブラジル人など、世界中から多くの移民が集まっており、人種の坩堝と言うべき人種民族混交のマルチ国家であるが、実際には、人口的には、原住民のインディオを含めても、夫々極めて少数のマイノリティであって、ブラジルでの人種問題は、あくまで、白人と黒人との間の問題なのである。

   私たちが、ブラジルに大挙して行ったのは、1970年代のブラジルブームの時であって、先進工業国日本からの企業進出であるから、日本人に対する人種差別は、それ程なかったであろうし、私自身も、あまり感じたことはなかった。
   尤も、一度だけ、秘書が、役所への提出書類に、私の人種欄に、白と黒の区分だとと考えてブランコ(白)と書き入れたところ、アマレロ(黄色)と訂正されて突き返されたことがあった。調べもしないで、日本人の名前だから、黄色人種だと言うことである。
   現実には、NHKで放映された「ハルとナツ 届かなかった手紙 」で、その片鱗が見えるのだが、多くの日本人移民は、大変な迫害や差別を経験させられたようで、私も、そんな苦難の生活経験について、サンパウロで聴く機会があった。
   レストランに入ったら、ハポネの来るところじゃないと罵倒されて叩き出されたと言っていた人もいた。
   何故、日本のTVのコマーシャルは、白人のモデルを使うのか、バカじゃないかと、日系ブラジルの友人に言われたことがあった。

   しかし、日本人移民たちは、必死になって頑張って活路を切り開いてきた。
   いくら貧しくても、子供たちに教育を付けるために学校へ行かせたお蔭で、人口1%にも満たない日系人が、最高学府のサンパウロ大学の学生の10%以上を占めるなど、その教育水準の高さと勤勉さを示した。そして、日系ブラジル人が、原野を開墾して生み出した野菜や果物など農作物が、如何にブラジルの生活文化を豊かにしたか、柿をカイゼイロと言うのもその名残で、結局、実力を示すことによって、人種差別を突破して来たと言うことであろう。
   私は、この血を分けた日系ブラジル人と言う貴重な存在が、日本の将来を切り開くための最も貴重な財産であり、BRIC’s展開への最も信頼に足るパートナーであると同時に、最高の架け橋だと思っている。
   
コメント
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