熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

アップルiPodとソニー・ウォークマンの差

2012年02月07日 | イノベーションと経営
   これまで、破壊的イノベーションから見放された歌を忘れたソニーの蹉跌については、何度も、書いて来たが、もう一度、何故、技術的にははるかに進んでいたウォークマンが、iPodに負けて、イノベーターとしてのソニーのお株をアップルが奪ってしまったのか、デービッド・A・アーカーの見解を交えて考えてみたいと思う。
   
   アーカーが、Brand Relevanceの「新しいコンセプトを見つけ出す」と言う章のアップルの項目で、実は、ソニーが、iPodの2年前の、1999年ラスヴェガスのコムデックスで、音楽ファイルを保存できる「メモリースティック・ウォークマン」と、同じくメモリーに音楽を保存できる「ミュージック・クリップ」を出したが失敗したとして、その理由を述べている。
   第1は、そのテクノロジーが早すぎたこと。64メガバイトで20曲程度で、値段が高かった。
   第2は、ソニーは、ずっと業界標準を避けて来た。自社開発の音声圧縮技術ATRAC3を装備していたので、MP3ファイルを変換するソフトの使い勝手が悪く時間が掛かった。
   第3に、強固な独立路線を貫く2事業部が開発した2種類のデバイスを売ることに内外で混乱があった。ソニー・ミュージックの著作権問題でユーザーに面倒を掛けた。
   この説明から見えてくるのは、結局、当時のソニーには、ウォークマンを開発した時のような盛田昭夫や統合化された組織がなかった、すなわち、ソニー製のスティーブ・ジョブズが居なかったと言うことであろう。

   iPodの成功に中心的役割を果たしたのはジョブズ自身だとして、アーカーは、既存のMP3のソフトとは動きが遅く、インターフェイスに不足があることに気づき、開発プロジェクトにゴーサインを出して、開発過程での妥協は一切認めず、偉大な商品開発に向けてチームをプッシュしたのだと言う。
   ニーズがあるにも拘わらず、競合他社の既存製品にたいしたものがなかったし、東芝の安価な18インチのハードドライブなど社外から適切なハードを調達可能になるなど援軍に恵まれ、タイミングも絶妙だったと言うことも幸いしている。
   もう一つの大きな成功の要因は、音楽業界を説得して確立したiTunesのアプリケーション。
   この市場の動向を透徹したビジョンで見通し、果敢にリスクに挑戦して、ブルーオーシャンを追及するイノベーターとしてのCEOスティーブ・ジョブズがあったればこその快挙であろう。

   以前にも書いたことがるが、ビル・ゲイツが説くようにスティーブ・ジョブズは、IT技術に対しては殆ど知識がなく、自分自身で技術開発した製品も一つもなく、そして、アップルが開発した圧倒的な人気を博した新商品・iMac,iPod,iTunes,iPhone,iPadなどについても、先行製品や先行モデルがあって、必ずしも新発見・新技術ではなかった。
   しかし、これらの多くの破壊的イノベーションの最たる製品を、一つの会社の一人のCEOが開発したと言う事実は、驚異と言うべきで、アーカーが言うように、生まれ出でたのは、マーケティングの常識とは違って、顧客からではなく、ジョブズと彼の周辺の市場を見抜く力から生まれたと言うことである。
   
   アーカーは、ジョブズの更なる成功であるピクサーについても触れており、ジョブズの事業から学ぶ事として何点か指摘している。
   第1は、最初から明確なビジョンがあった訳ではなく、どの場合にも開発過程で様々な変更が加えられて製品化されており、前述したようにいずれの場合にも、先行商品に使われていた技術に基づいたもので、ゼロからの開発はない。
   第2に、満たされない顧客ニーズがあることは明白だったが、主に技術的な障害があった。その障害を、社内外の人材と製品を活用して解決し新商品を生み出した。
   第3に、非常に強力な参入障壁を構築したこと。独自のオペレーション・システムとiTunes、アプリケーションを購入するアップルストア、アップルだけで完結する循環型システムetc. アップル・ブランド、ロイヤリティの高い熱烈なファン、次々と投入される新製品の持つ話題性やマスコミの報道。

   このアーカーのアップルへの指摘は、そのまま、かってのイノベーターの雄であったソニーに、そっくり当てはまる。
   クリステンセンが、イノベーションを連発した企業は、歴史上ソニーしかないと指摘していた頃のソニーである。
   むしろ、リノベーションを追求した(?)アップルよりも、オリジナリティを追求したソニーの方が、勝っていた。と言っても良いかも知れない。

   野中郁次郎先生は、モノの性能の次元でしか考えられなかったソニーが、コトづくりのイノベーションを追求したジョブズに負けるのは当然だと言っているのだが、結局は、ソニーのソニーたる所以であった第二の井深大や盛田昭夫を、二度と排出できなかった悲劇であろうと思っている。

   ソニーのDNAが変ってしまったと言われているのだが、創業者たちのスピリットが消えてしまったのみならず、あまりも巨大な企業になり過ぎて、かっての出井伸之CEOさえ、有効にコントロール出来なかった制度疲労してしまったリバイヤサン・ソニーの明日は暗いとしか言いようがない。
   コスト競争にさえ大きさが障害になる時代であり、特に、デジタル革命後ICT技術の驚異的な進展でオープン化が進み、自由でフリーな知識情報など叡智と美意識、そして、科学技術のクリエイティブな総合化が求められる今日、ソニーのような企業システムが適切かどうかも問われているのだろうと思う。
   
コメント
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