「義経千本桜」と言うタイトルだが、知盛、いがみの権太、狐忠信が、夫々主人公の三部構成のような浄瑠璃に成っていて、時々義経が顔を出すと言う、殆ど義経が狂言回しのような舞台。
今回は、追手を逃れて大和を下る維盛一家に絡む物語で、下市の住人嫌われ者ののいがみの権太(勘十郎)の悲劇を描いたもので、この関西では普通に使われていてなじみ深い言葉「権太」の語源だと言うから面白い。
「あの子、権太やなあ」とよく言うのだが、広辞苑によると、権太は、①わるもの。ごろつき。②いたずらで手におえない子供。と言うことだが、この文楽では①だが、普通は②の意味で使うことが多い。
この同じ舞台が歌舞伎でも上演されるのだが、私は、関西ムードがムンムンしているこのいがみの権太を主人公とする三段目は、上方役者でないと、絶対に、作者並木千柳の意図した味は出せないと思っていたので、5年前に、仁左衛門の胸のすくような権太を観た時にはいたく感激したのを覚えている。
文楽の方は、浄瑠璃が元々大阪弁であり、人形遣いが上方オリジンの人々なので、これは問題がない。
「すし屋の段」では、住大夫と源大夫の二人の人間国宝と千歳大夫が語る予定であったが、源大夫が病気休演悪ために、英大夫が代演に立ったが、お里を人間国宝の簔助が、弥助・維盛を紋壽が遣うなど大変な布陣で、非常に熱の籠った舞台が展開されて素晴らしかった。
何よりも、この段には、非常に内容豊かなバリエーションに富んだ物語やテーマが込められていて、大夫の語りと三味線が、縦横無尽にその魅力を掘り起こし醸し出して、それに、人形が踊って、素晴らしい世界が展開されるのである。
人形は、遣い手の歳には関係なく表情を演じるが、逆に、ナレーションは勿論、貴賤や身分を問わずすべての老若男女を一人で語り切る大夫には、やはり、いくばくかは肉声故の歳の重圧がかかるようだが、それを殆ど超越しているのが、住大夫の芸。
冒頭の、弥助との祝言を母に念を押すお里の愛に目覚めた乙女の初々しさ、心安く弥助と呼んでくれと頼む弥助に維盛だと分かっている故に主人の前の名前を呼び捨てに出来ないと言いつくろう弥左衛門女房(簔二郎)の会話から、一挙にシーンが代わって、弥左衛門(玉也)の留守を目がけて母に無心に来た空涙で甘える権太ところりと騙される甘い母親の会話へと転換するのだが、アメリカでシンガーだと呼ばれたと言う住大夫の語りには、語りを忘れてしまうような魔力と言うか胸に迫る迫力がある。
この段で非常に興味深いのは、簔助の遣うお里で、優男で上品な弥助との祝言が嬉しくて嬉しくて仕方なく、表現が悪いが色気づいた乙女の一日千秋の思いで待ち焦がれる床入りの描写が秀逸で、真っ赤な布団を運んできて隣室に敷きながら、枕を立てて、自分の枕をぴったり弥助の枕にくっつけたり、早く床入りをと弥助にしなだりかかってモーションをかけて誘うなど、大夫の語りもそうだが、結構、色っぽいのである。
尤も、弥助は、妻あり子を持つ身で、”「二世も三世も固めの枕二つ並べたこちや寝よ」と先へころりと転寝は、恋の罠とは見えにけり、”のお里に、維盛は”枕に寄り添い給ひ・・・二世の固めは赦して、”と大夫は語るのだが、何故か、紋壽の弥助は、元の座敷で端座したまま動かず。
そこへ、一夜の宿を求めて妻の若葉の内侍(文昇)と若君六代(玉翔)が訪れて来て、3人の会話を狸寝をして聞いていたお里の人生は一挙に暗転、「たとへ焦がれて死ぬればとて、雲居に近き御方へ、鮨屋の娘が惚れられようか。」と切々と訴えかけるお里のクドキが哀れである。
弥助に強引に床入りを誘った随分積極的な娘でありながら、純情可憐に一途に思い詰めた心の内を切々と吐露しながらも、最後は、きっぱりと諦めて、旅支度をして三人を送り出す健気なお里を、簔助は、実に感動的に遣っていて、お里の表情立ち居振る舞いの優雅さに涙が零れるほどである。
もう一つの見どころは、いがみの権太の歌舞伎で言う「もどり」である。
非道な行動を取る悪人が、後に、実は善人であったことを明らかにする演出を歌舞伎では「もどり」と言うのだが、いがみの権太は、その典型である。
大詰めで、ならず者の権太が、実家にかくまっていた維盛の首を切り落とし、その首と維盛妻子の身柄を梶原平三に引き渡すのだが、それを怒った父弥左衛門が権太を刺し、瀕死の状態の権太が、最後に、首は実は偽物で、維盛妻子の身代わりとして自分の妻子を差し出したことを明かすのである。
この日の演目でもある「菅原伝授手習鑑」の松王丸のケースもこれで、「義太夫狂言」には、結構多いテーマである。
冒頭の「椎の木の段」で、しがみ付いて来る倅善太(玉誉)にデレデレであった権太が、若君六代の身替りとして縛ろうとしたが、手元が狂って縄がかけられなかったなど、女房小仙(簔一郎)と善太を差し出すのが如何に苦しかったか血を吐くような権太の心情吐露も胸を打つ。
ところが、実は、この権太の決死の思い入れも実は、水の泡で、維盛の父重盛に命を助けられた頼朝が、恩に報いるために、梶原に指示して、維盛を助けるつもりであったことが分かる。
頼朝が用意した衣を身にまとって維盛は出家し、六代は内侍に伴われて高雄に旅立つところで幕。
果たして、運命の悪戯に翻弄させた庶民の悲喜劇を持って、並木は何を語りたかったのか、義経千本桜の筈が、善人頼朝の顔が見える戯曲の面白さもそうだが、暗転暗転の世界を描きながら、人間の深層心理を試すようなシナリオが面白いと言うことであろうか。
ところで、権太を遣った勘十郎は、私自身は期待通りの上方生粋の権太であったと思うのだが、豪快でありながら繊細で、非常に魅せてくれた。
当日の「日本振袖始」でも、非常にダイナミックで妖艶な「岩長姫」を遣って、三面六臂の活躍ぶりであった。
今回は、追手を逃れて大和を下る維盛一家に絡む物語で、下市の住人嫌われ者ののいがみの権太(勘十郎)の悲劇を描いたもので、この関西では普通に使われていてなじみ深い言葉「権太」の語源だと言うから面白い。
「あの子、権太やなあ」とよく言うのだが、広辞苑によると、権太は、①わるもの。ごろつき。②いたずらで手におえない子供。と言うことだが、この文楽では①だが、普通は②の意味で使うことが多い。
この同じ舞台が歌舞伎でも上演されるのだが、私は、関西ムードがムンムンしているこのいがみの権太を主人公とする三段目は、上方役者でないと、絶対に、作者並木千柳の意図した味は出せないと思っていたので、5年前に、仁左衛門の胸のすくような権太を観た時にはいたく感激したのを覚えている。
文楽の方は、浄瑠璃が元々大阪弁であり、人形遣いが上方オリジンの人々なので、これは問題がない。
「すし屋の段」では、住大夫と源大夫の二人の人間国宝と千歳大夫が語る予定であったが、源大夫が病気休演悪ために、英大夫が代演に立ったが、お里を人間国宝の簔助が、弥助・維盛を紋壽が遣うなど大変な布陣で、非常に熱の籠った舞台が展開されて素晴らしかった。
何よりも、この段には、非常に内容豊かなバリエーションに富んだ物語やテーマが込められていて、大夫の語りと三味線が、縦横無尽にその魅力を掘り起こし醸し出して、それに、人形が踊って、素晴らしい世界が展開されるのである。
人形は、遣い手の歳には関係なく表情を演じるが、逆に、ナレーションは勿論、貴賤や身分を問わずすべての老若男女を一人で語り切る大夫には、やはり、いくばくかは肉声故の歳の重圧がかかるようだが、それを殆ど超越しているのが、住大夫の芸。
冒頭の、弥助との祝言を母に念を押すお里の愛に目覚めた乙女の初々しさ、心安く弥助と呼んでくれと頼む弥助に維盛だと分かっている故に主人の前の名前を呼び捨てに出来ないと言いつくろう弥左衛門女房(簔二郎)の会話から、一挙にシーンが代わって、弥左衛門(玉也)の留守を目がけて母に無心に来た空涙で甘える権太ところりと騙される甘い母親の会話へと転換するのだが、アメリカでシンガーだと呼ばれたと言う住大夫の語りには、語りを忘れてしまうような魔力と言うか胸に迫る迫力がある。
この段で非常に興味深いのは、簔助の遣うお里で、優男で上品な弥助との祝言が嬉しくて嬉しくて仕方なく、表現が悪いが色気づいた乙女の一日千秋の思いで待ち焦がれる床入りの描写が秀逸で、真っ赤な布団を運んできて隣室に敷きながら、枕を立てて、自分の枕をぴったり弥助の枕にくっつけたり、早く床入りをと弥助にしなだりかかってモーションをかけて誘うなど、大夫の語りもそうだが、結構、色っぽいのである。
尤も、弥助は、妻あり子を持つ身で、”「二世も三世も固めの枕二つ並べたこちや寝よ」と先へころりと転寝は、恋の罠とは見えにけり、”のお里に、維盛は”枕に寄り添い給ひ・・・二世の固めは赦して、”と大夫は語るのだが、何故か、紋壽の弥助は、元の座敷で端座したまま動かず。
そこへ、一夜の宿を求めて妻の若葉の内侍(文昇)と若君六代(玉翔)が訪れて来て、3人の会話を狸寝をして聞いていたお里の人生は一挙に暗転、「たとへ焦がれて死ぬればとて、雲居に近き御方へ、鮨屋の娘が惚れられようか。」と切々と訴えかけるお里のクドキが哀れである。
弥助に強引に床入りを誘った随分積極的な娘でありながら、純情可憐に一途に思い詰めた心の内を切々と吐露しながらも、最後は、きっぱりと諦めて、旅支度をして三人を送り出す健気なお里を、簔助は、実に感動的に遣っていて、お里の表情立ち居振る舞いの優雅さに涙が零れるほどである。
もう一つの見どころは、いがみの権太の歌舞伎で言う「もどり」である。
非道な行動を取る悪人が、後に、実は善人であったことを明らかにする演出を歌舞伎では「もどり」と言うのだが、いがみの権太は、その典型である。
大詰めで、ならず者の権太が、実家にかくまっていた維盛の首を切り落とし、その首と維盛妻子の身柄を梶原平三に引き渡すのだが、それを怒った父弥左衛門が権太を刺し、瀕死の状態の権太が、最後に、首は実は偽物で、維盛妻子の身代わりとして自分の妻子を差し出したことを明かすのである。
この日の演目でもある「菅原伝授手習鑑」の松王丸のケースもこれで、「義太夫狂言」には、結構多いテーマである。
冒頭の「椎の木の段」で、しがみ付いて来る倅善太(玉誉)にデレデレであった権太が、若君六代の身替りとして縛ろうとしたが、手元が狂って縄がかけられなかったなど、女房小仙(簔一郎)と善太を差し出すのが如何に苦しかったか血を吐くような権太の心情吐露も胸を打つ。
ところが、実は、この権太の決死の思い入れも実は、水の泡で、維盛の父重盛に命を助けられた頼朝が、恩に報いるために、梶原に指示して、維盛を助けるつもりであったことが分かる。
頼朝が用意した衣を身にまとって維盛は出家し、六代は内侍に伴われて高雄に旅立つところで幕。
果たして、運命の悪戯に翻弄させた庶民の悲喜劇を持って、並木は何を語りたかったのか、義経千本桜の筈が、善人頼朝の顔が見える戯曲の面白さもそうだが、暗転暗転の世界を描きながら、人間の深層心理を試すようなシナリオが面白いと言うことであろうか。
ところで、権太を遣った勘十郎は、私自身は期待通りの上方生粋の権太であったと思うのだが、豪快でありながら繊細で、非常に魅せてくれた。
当日の「日本振袖始」でも、非常にダイナミックで妖艶な「岩長姫」を遣って、三面六臂の活躍ぶりであった。