熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

何時も迷子になる私のメガネ

2012年02月27日 | 生活随想・趣味
   定かではないのだが、私は大学生になった頃からメガネを掛けはじめたと思う。
   昔の写真を見れば、いつごろからメガネをかけるようになったのか分かるのだが、古い写真がどこにあるのかも分からない。
   今でも近眼のメガネを使っているのだが、50を過ぎてから、読書に不便を感じ始めたので、遠近両用のメガネに変えた。
   しかし、便利なようでだが、あまり調子が良くなかったので、日常用と、読書用との二種類のメガネを使うようになった。

   外出の時でも、結構、本を読むことが多いので、読書用のメガネを離せないのだが、最初はメガネケースに入れて、その都度、交換をしていたけれど、煩わしいので、裸のまま、ワイシャツの胸ポケットに入れて、交換を繰り返している。
   しかし、何かの拍子に、メガネの入っているのを忘れて、胸を硬いもので押さえたりして、レンズをツル近くで折ってダメにしたり、入れたつもりが入ってなくて落としたりすることがあって、トラブルが結構多い。
   被害にあうと、ケースを使ったりするのだが、やはり、億劫なので、今も胸ポケットに入れ続けている。

   問題は、それよりも、メガネをどこかへ置き忘れて、家探しすることが多いことである。
   と言うのは、幸か不幸か、多少ピントはぼけているのだが、私は、メガネを掛けなくても、しばらくの間ならそんなに不自由をしないので、時々、メガネを外したままで作業をしたり、パソコンを叩いたりなどするので、その都度、適当なところにメガネを置いて、その場所が定まっていないので、どこに置いたか忘れてしまって往生するのである。

   尤も、置き場所を忘れるのは、歳の所為か、メガネだけではなく、鍵や財布や本や色々なものもあるのだが、一番、日常生活で脱着が激しいのはメガネであるし、それに、いくらなくても見えるとしても、やはり、メガネに勝るものはなく、ないと不便なのである。
   この口絵写真は、本の上に置いたメガネだが、殆ど見えないし、探す時間が勿体ないと思いながらも、置き場所を決められず、何時も、無意識にメガネを外して行き当たりばったりに置いてしまう。
   近くの小さな文字を読んだり、糸に針を通す時などは、メガネを外した方が良く見えるし、庭仕事などで繁みに入る時などには、当然、メガネを外すし、とにかく、近くを見る動作の時には、メガネを外すか読書用のメガネにかけ替えるかなので、どちらにしても、胸ポケットに何か入っていると、外したメガネをどこかに置いてしまうのである。

   先日も、電車の中で本を読んでいて、下車駅に近づいたので、メガネを外したものの、胸ポケットにものが入っていたので、読書用のメガネを外して空いていた横のシートに置いて、本をバッグに入れたり傘を出し入れしている間に忘れてしまって、そのまま電車を下りてしまったことがある。
   結局、愛用のメガネと、また、おさらばなのだが、要するに、物忘れが激しすぎるのか、整理整頓下手のちゃらんぽらんな性格の所為なのか、とにかく、計画性のなさと言うか、用心深く物事をキチンと出来ないか、そのあたりが原因で、大切なメガネを迷子にさせていると言うことであろう。
   
   少し前に、頭のCTスキャンを受けた時に、頭の皺が十分にあったようで、当分頭は問題ないと先生が言ってくれていたので、安心しているのだが、いずれにしろ、歳が行くと物忘れが進むことは間違いない。
   しかし、メガネに紐かチェーンをつけている人がいるが、あれだけはやりたくないと思っている。
コメント
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