今日のワールドWaveでのフランス2で、国家財政の赤字を埋めるためには、背に腹は代えられないと、ギリシャ文化省が、パルテノン神殿のあるアクロポリスを、テレビなどの撮影にレンタルすることにしたと放映していた。
既に、国際的な飲料会社や携帯電話会社などと交渉に入ったと言うのだが、学者や観光客あたりから、ギリシャが世界に誇る世界文化遺産を汚す暴挙だと非難が出ていると言う。
文化省は、トレード・マークになったりしないよう台本など計画を審査すると言うことで、他の歴史的遺産や建造物についても、民間や企業のイヴェントや結婚式などにレンタルすることで、多くの引き合いが来ているらしい。
パルテノン破風を飾っていたエルギン・マーブルを返せと英国政府に噛み付いた「日曜はダメよ」のメリーナ・メルクーリならどう言うか、興味のあるところだが、私は、先日もこのブログで触れたように、経済的には、あくまで経済的な理由に限定すれば、ギリシャは、パルテノンを、ドイツあたりに売ることも選択肢だと思っている。
どう考えても、経済そのものが崩壊していて、ギリシャ国家自身、統治能力を喪失している上に、昔の第1次世界大戦後のドイツのように立ち上がり不可能なような経済財政負担と窮乏化政策を強いられれば、自立など不可能である。
玉石混交のヨーロッパの国を束ねたEUの経済体制そのものに問題があったのだろうが、リバイヤサンと化した資本主義経済を野放しにしたEUの政治体制の責任も重い。
ところで、アクロポリスのコマーシャル用レンタル政策だが、結論から言えば、私論だが、保存と管理さえしっかりして居れば、それ程目くじらを立てることでもないと思っている。
パルテノンは、オスマン帝国によって火薬庫として使われていたのだが、ヴェネツィア共和国の攻撃によって爆発炎上し、神殿建築や彫刻などはひどい損傷を受けた。その後、オスマン帝国の了承を得たエルギン伯は、神殿から焼け残った彫刻類を取り外して英国に持ち帰り、ロンドンの大英博物館に売却されて、エルギン・マーブルとして残っている。
このエルギン・マーブルを、もう、随分前の話になるが、私は、この大英博物館で開催された日本の某大銀行の支店長交代パーティに出席して、ワイン片手に長い間鑑賞していたことがる。
ナショナル・ポートレート・ギャラリーでも同じ経験をしたのだが、当時、英国では、歴史的建造物や文化遺産をイベントなどで民間に活用させていたのである。
日本では、目くじら立てて反対する人が多いと思うのだが、イギリスでは、歴史的建造物や文化遺産的な構築物を、コンサートやパーフォーマンス・アートに使用したり、文化学術的に活用するのは日常茶飯事的に行われているし、民間にもどんどん貸し出されていたのである。
宮殿やシティの歴史的建物でのコンサートやオペラ、或いはパーティや宴会などは、勿論のこと、地方の古城や宮殿なども、民間イヴェントの恰好の会場であり、この傾向は、イギリスには止まらず、ヨーロッパ各地で行われていることでもある。
問題は、民間企業が自社の或いはブランドのコマーシャルとして営利目的のために使うと言うことにあると思うのだが、これは、程度の問題であろう。
どこまでが歴史的世界文化遺産にとって許されるべきか、そうでないかは、その国の民度の問題である。
特に、今回の場合には、CM撮影としてのレンタルであるから、放映される内容や方法など事後の問題はあるが、映画撮影と同じだと考えれば、文化遺産に対する直接的なダメッジは少なそうである。
歴史的文化遺産は、人類に取って極めて貴重な財産であり、このパルテノン神殿など、その最たるものであろう。
私は、2度しか訪れていないが、最初は、アクティオンに立っていた女神像が、次に行った時には、併設の美術館に移されて頑丈なガラスケースに展示されてしまっていて、大英博物館の1体の方が、すぐ、手の届くような位置にあって臨場感がある。
あのモナ・リザも最初に見た時には、絵の前に小さなバーがあるだけで、そのまま、額縁に手が触れる位置にあったが、今では、頑丈なケースの中で、ガラスが邪魔して絵もまともに見られなくなってしまっている。
私が言いたいのは、文化遺産は大切にしなければならないが、問題は、どのように保存管理を行って後世に残すかと言うことで、バーミアンの石窟寺院の仏像破壊のようになっては、悔やんでも悔やみきれない。
それと同時に、いくら歴史遺産と言っても、当時の人々にとっては生活の場であり公共建物であり権威の象徴であり、とにかく、人々が呼吸していた同じ空気を吸っていた人間の香り息吹がする建造物であり文化遺産であると言うことを、忘れてはならないと思っている。
能役者は、観阿弥世阿弥時代の面や衣装を大切に維持管理し、今でも、舞台で使い続けていると言う。
出来れば、歴史的文化的世界遺産であっても、後世へ残すための保存と管理には万全を期すべきだが、現在の人々の生活や活動のためにも、現役としての活動の場を与えて行くことも必要だろうと思っている。
既に、国際的な飲料会社や携帯電話会社などと交渉に入ったと言うのだが、学者や観光客あたりから、ギリシャが世界に誇る世界文化遺産を汚す暴挙だと非難が出ていると言う。
文化省は、トレード・マークになったりしないよう台本など計画を審査すると言うことで、他の歴史的遺産や建造物についても、民間や企業のイヴェントや結婚式などにレンタルすることで、多くの引き合いが来ているらしい。
パルテノン破風を飾っていたエルギン・マーブルを返せと英国政府に噛み付いた「日曜はダメよ」のメリーナ・メルクーリならどう言うか、興味のあるところだが、私は、先日もこのブログで触れたように、経済的には、あくまで経済的な理由に限定すれば、ギリシャは、パルテノンを、ドイツあたりに売ることも選択肢だと思っている。
どう考えても、経済そのものが崩壊していて、ギリシャ国家自身、統治能力を喪失している上に、昔の第1次世界大戦後のドイツのように立ち上がり不可能なような経済財政負担と窮乏化政策を強いられれば、自立など不可能である。
玉石混交のヨーロッパの国を束ねたEUの経済体制そのものに問題があったのだろうが、リバイヤサンと化した資本主義経済を野放しにしたEUの政治体制の責任も重い。
ところで、アクロポリスのコマーシャル用レンタル政策だが、結論から言えば、私論だが、保存と管理さえしっかりして居れば、それ程目くじらを立てることでもないと思っている。
パルテノンは、オスマン帝国によって火薬庫として使われていたのだが、ヴェネツィア共和国の攻撃によって爆発炎上し、神殿建築や彫刻などはひどい損傷を受けた。その後、オスマン帝国の了承を得たエルギン伯は、神殿から焼け残った彫刻類を取り外して英国に持ち帰り、ロンドンの大英博物館に売却されて、エルギン・マーブルとして残っている。
このエルギン・マーブルを、もう、随分前の話になるが、私は、この大英博物館で開催された日本の某大銀行の支店長交代パーティに出席して、ワイン片手に長い間鑑賞していたことがる。
ナショナル・ポートレート・ギャラリーでも同じ経験をしたのだが、当時、英国では、歴史的建造物や文化遺産をイベントなどで民間に活用させていたのである。
日本では、目くじら立てて反対する人が多いと思うのだが、イギリスでは、歴史的建造物や文化遺産的な構築物を、コンサートやパーフォーマンス・アートに使用したり、文化学術的に活用するのは日常茶飯事的に行われているし、民間にもどんどん貸し出されていたのである。
宮殿やシティの歴史的建物でのコンサートやオペラ、或いはパーティや宴会などは、勿論のこと、地方の古城や宮殿なども、民間イヴェントの恰好の会場であり、この傾向は、イギリスには止まらず、ヨーロッパ各地で行われていることでもある。
問題は、民間企業が自社の或いはブランドのコマーシャルとして営利目的のために使うと言うことにあると思うのだが、これは、程度の問題であろう。
どこまでが歴史的世界文化遺産にとって許されるべきか、そうでないかは、その国の民度の問題である。
特に、今回の場合には、CM撮影としてのレンタルであるから、放映される内容や方法など事後の問題はあるが、映画撮影と同じだと考えれば、文化遺産に対する直接的なダメッジは少なそうである。
歴史的文化遺産は、人類に取って極めて貴重な財産であり、このパルテノン神殿など、その最たるものであろう。
私は、2度しか訪れていないが、最初は、アクティオンに立っていた女神像が、次に行った時には、併設の美術館に移されて頑丈なガラスケースに展示されてしまっていて、大英博物館の1体の方が、すぐ、手の届くような位置にあって臨場感がある。
あのモナ・リザも最初に見た時には、絵の前に小さなバーがあるだけで、そのまま、額縁に手が触れる位置にあったが、今では、頑丈なケースの中で、ガラスが邪魔して絵もまともに見られなくなってしまっている。
私が言いたいのは、文化遺産は大切にしなければならないが、問題は、どのように保存管理を行って後世に残すかと言うことで、バーミアンの石窟寺院の仏像破壊のようになっては、悔やんでも悔やみきれない。
それと同時に、いくら歴史遺産と言っても、当時の人々にとっては生活の場であり公共建物であり権威の象徴であり、とにかく、人々が呼吸していた同じ空気を吸っていた人間の香り息吹がする建造物であり文化遺産であると言うことを、忘れてはならないと思っている。
能役者は、観阿弥世阿弥時代の面や衣装を大切に維持管理し、今でも、舞台で使い続けていると言う。
出来れば、歴史的文化的世界遺産であっても、後世へ残すための保存と管理には万全を期すべきだが、現在の人々の生活や活動のためにも、現役としての活動の場を与えて行くことも必要だろうと思っている。