熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国民に番号「マイナンバー」法案閣議決定 国会に提出

2012年02月14日 | 政治・経済・社会
   国民総背番号制に近いシステムの導入だと思うが、私など、1972年にビジネス・スクールへ入学した時に、アメリカ政府が、私にソーシャル・セキュリティ番号をくれたので、殆ど記憶はなくなったが、何をするのにも、この番号を提示することを求められて、これで、私のIDはすべて事足りたように思う。
   ソーシャル・セキュリティ番号が打たれた写真入りのペンシルヴェニア大学(ウォートン・スクールだったかも知れない)発行のIDカードが、私のIDカードで、これさえあれば、アメリカで安心して生活できると思っていた。
   ヨーロッパにも居たのだが、オランダとイギリスがどうだったか忘れてしまったが、何事も番号が必要だったと思うので、この国民背番号制度が実施されていたのだと思う。

   朝日の電子版だと、”政府は国民に番号をつけることで、個人の所得や介護・医療などの社会保障の情報を一元管理しようとしている。法案が成立すれば、2014年秋から、日本に暮らす個人と企業に番号が割りふられる。15年1月からICチップ付きカードが配られる予定だ。 政府は、国税庁や自治体がばらばらに管理している所得などの情報を一つにまとめ、社会保障を受ける人に、より正確な給付ができるとしている。”と報じている。
   また、”金融機関からは預貯金などの情報、医療機関からは診察歴などを提供してもらうため、個人情報が漏れたり、目的外で使われたりすることを不安に思う国民も多い。政府は個人情報が保護されているか監視する第三者機関をつくったり、罰則を定めたりする。”とも言う。

   結論から言えば、私など全面的に「マイナンバー」制度は賛成で、何の心配もしていない。
   今でも、個人の情報などは、あっちこっちに保存・貯蔵されているのだが、結構、流失しているし、例えば、銀行などは自行で保有する顧客の情報をフルに使って営業活動を行っているようだし、役所などでも、背番号制に関係なく、悪意で利用しようと思えばいくらでも出来るし、背番号制とは関係はない。
   日本より、はるかに複雑怪奇で問題の多いアメリカで何十年も実施していて、ICT革命後も止めようとする気配もなく、 実施され続けていると言うことは、所謂、これこそが現代社会制度のデファクト・スタンダードだと言うことであろう。

   勿論、言葉は悪いが、このマイナンバーを最小限度必要な人が叩けば、特定の個人情報が、一網打尽、芋蔓式に表示されると言うことは、かっての戦前の歴史を考えれば、危険極まりないと言う感覚は十分にある。
   早い話が、個人の預貯金や資産状況が総て明らかとなって情報が捕捉されていれば、日本の国家債務の状態は世界最悪で、いつ崩壊しても不思議ではないので、イザと言う時には、政府が、預金封鎖、ディスカウントした新円との交換、あらゆる形の徳政令の実施などは簡単に手が付けられる。

   それでも、今の日本の経済社会制度は、個人情報があっちこっちに四散していて不自由極まりなく、たとえば、複数の医療関係の情報が統一されて、いついかなる時・場所においても、個人の健康状態を捕捉できることになれば、非常に助かる。
   政府の目的は、「税と社会保障の一体改革」と言うことであるから、既に破綻の危機に瀕している年金や保険などの原資確保がその一つであろうが、私は、大前研一氏が提言している資産課税には賛成なので、国民の個人資産1500兆円を完全に捕捉することが必要だと思っているので、そのためにも「マイナンバー」制度は必須である。

   ところで、セキュリティの問題だが、アメリカの国防省やホワイトハウスがハッカーなどのターゲットになる時代で、リアル・ウォーよりサイバー戦争の方が深刻な問題となっている今日であるから、いくら、監視機関を強化してセキュリティを確保しようとしても、ICT技術上は不可能で、むしろ、利用者の悪意やモラル欠如などによる危険防止の方が主体となろうか。
   結局、マイナンバー制度の実施云々と言うよりも、人間社会の問題がどこまでもついて回るということである。
   
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