中村勘九郎の襲名披露公演で、久方ぶりに新橋演舞場は大変な賑わいで、入口ロビーは大変な混雑ぶりで、2階席へ行くのが大変。
歌舞伎座が改築のために閉鎖されてからは、何となく閑古鳥が鳴く感じで空席が目立っていた新橋演舞場だが、役者が揃ってイベントを打てば客が戻るのか。尤も、今月は国立劇場の歌舞伎公演が休みでもある。
夜の部の演目は、吉右衛門と勘三郎の「鈴ヶ森」、「口上」、勘九郎の「春興鑑獅子」、三津五郎と福助の「ぢいさんばあさん」である。
夫々、それなりに興味深い舞台だが、私は、「ぢいさんばあさん」が出色の出来で、楽しませて貰った。
まず、「鈴ヶ森」だが、四世鶴屋南北の「四世鶴屋南北」の一幕で、歌舞伎では、他には「鞘当」の幕くらいしか上演されないようで、この鈴ヶ森も、
”江戸へ向かう白井権八(勘三郎)が鈴ヶ森に差し掛かった時、大勢の雲助が襲って来てお尋ね者と見て捉えようとするので、やむなく権八が刀を抜き、雲助達を斬り捨てる。そこへ丁度幡随院長兵衛(吉右衛門)が駕籠で通りかかり、その腕前に惚れ込んで身柄を引き受ける。”と言った二人の出会いの場である。
権八と雲助との立ち回りは、様式化された舞台なので、その趣向を見せるシーンの連続で、若侍姿の勘三郎が、入れ代わり立ち代わり登場する雲助相手に、舞う様な立ち合いを演じると言うところが見せ場で、
駕籠の中から見ていた幡随院長兵衛が「お若いのお待ちなせえやし」と声を掛け、「待てとおとどめなさるしは拙者がことでござるかな」と権八が応えるところから、がらりと雰囲気が変わって、名調子の掛け合いと、男と男の契りが始まる。
多少薹が立った優男の勘三郎の権八だが、中々優雅で華があって良く、どすの利いた吉右衛門の幡随院長兵衛と好対照で、魅せてくれる。
私などは、いくら名場面であっても、このようなストーリー性の欠如した一幕を切り取ったような舞台は好きではないので、何時も興が乗らないので消化不良になり、今回も、折角の吉右衛門と勘三郎の共演だが勿体ないような気がした。
「口上」は、本来なら、芝翫が万感の思いを込めて口上を切り出したと思うのだが、父親勘三郎が代わって行ったので、その分、非常にくだけた調子の観客に密着した温かい雰囲気の口上となり、列座した役者たちも、大分口がほぐれて勘九郎のみならず中村屋を髣髴とさせるような良いムードであった。
「勘九郎」は大したことはない名前だと謙遜した勘三郎が、私とは違う色で、新しい勘九郎になってほしい。これの良さは謙虚さ。1歩1歩前進し、あっぱれな歌舞伎役者と言われるように、お引き立てをお願い申し上げますと、語りながら、仁左衛門や三津五郎などから、自分も父もやったことのないような役を教えて貰って芸域を広げていると付け加えていたが、これを受けて、勘九郎は、これらの教えを受けながら精進し毎日が楽しくて仕方がないと応えていたが、見上げたものである。
素晴らしいDNAと素質に恵まれた大器、世界無形文化遺産・歌舞伎の将来のためにも、大いに期待したいと思う。
「春興鑑獅子」については、特別な思い出があり、もう、20年以上も前になるのだが、ロンドンのジャパン・フェスティバルで訪英した歌舞伎で、勘三郎の舞台を見ているのである。
その時の胡蝶の精は、当然、可愛かった勘太郎と七之助であった。
その勘太郎が、勘九郎を襲名して、父の当たり役であった小姓弥生と獅子の精を舞って、後見に七之助が立っている。
正に、今昔の感である。
さて、勘九郎の弥生だが、芝翫が、女形の見立ては正しかったと言っていた幼い頃の女形の勘太郎には、まだ可愛さ優しさがあったが、立役で通している最近の勘九郎の舞には、風格と優雅さ、溌剌とした素晴らしいパワーには申し分ないとしても、どこか硬さと無理があって、芝翫直伝の弥生なのであろうが、乙女の持つ初々しさ優しさ、匂い立つような女らしさが少し欠けているように思う。
体型からくる印象もあるのであろうが、いくら、江戸城でのお殿様の前での舞であろうとも、二刀遣いの勘三郎のような、ふっくらとした軟らかな優雅さと言うか、女らしいまろやかさが欲しいと思ったのだが、無理であろうか。
さて、最後の「ぢいさんばあさん」であるが、森鴎外の非常に簡潔な短編を、実に、滋味深くしみじみとした味わいのある深い舞台にしたのは、宇野信夫の作・演出の素晴らしさもあろうが、ぢいさん美濃部伊織の三津五郎とばあさん伊織妻るんの福助の至芸とも言うべき芸のお蔭であろうと思う。
新婚生活のこの上ないと言ったような燃え立つような幸せいっぱいの二人、そして、年老いてから、遠慮がちに再開した二人が互いに労わりながら手を握り合って幸せをしみじみと噛み締めあいながら見合わす顔の神々しさ、ぢいさんばあさんとしての立ち振る舞いの確かさは勿論だが、とにかく、これ程心底から愛し合った夫婦があっただろうかと思えるほどの、涙が零れるような二人の素晴らしい演技に脱帽である。
相思相愛の新婚まもない夫妻だが、伊織が、怪我をした義弟宮重久右衛門(扇雀)の代わりに京のお役目に旅立ち、そこで、同僚下嶋甚右衛門(橋之助)と諍いを起して殺害し、その罪で越前へ預かりの身となり、37年後に再会すると言う話である。下嶋との諍いは、伊織が寺町通の刀剣商の店で、質流れだと云う良い古刀を見出し、それを買いたく思ったが、代金百三十両がなかったので、下嶋に三十両借りたのだが、その刀の披露の宴会に下嶋を呼ばなかったことが原因であった。
予想もしないような事件で変転した人生の不運を乗り越えて、変らぬ純愛を通しぬいた二人の魂の鼓動と沸々と心のそこから湧き上がる愛情の迸りが、何ものにも代えがたい感動を呼ぶ。
第1場は、生まれたばかりの子供を慈しみながらの旅立ち前日の伊織家、第2場は、京都での事件、第3場は、37年ぶりの旧伊織邸での再会。真ん中の悪夢のような舞台を挟んで、伊織とるんの愛情一杯のしみじみとした人間賛歌が展開されている。
歌舞伎の舞台になるために、多少、鴎外の短編が脚色されている。
最も重要なのは、伊織家の家を同じ家にしていて、その元の家での再会と言うことで一層懐かしさと情趣を盛り上げ、その縁側に面して立つ変らぬ桜の木が重要な役割を演じる。京都での川床での宴会で、伊織がるんから送られて来た手紙に挟まれた桜の花びらを高台から散らすシーンなども見どころの一つである。
それに、伊織が京に発つ時には、るんは妊娠中で、5年後に、この子は祖母とともに亡くなる。
もう一つ違うのは、橋之助の演じる下嶋の扱いで、歌舞伎では、別れを惜しむべき旅立ちの前日に伊織を強引に碁につき合わせたり、最初から仲間内でも嫌われ者嫌な奴として扱われているのだが、実際には、披露宴会に呼ばなかったことから、突発的に起こった事件と言うことである。
くだを巻く下嶋に帰ってくれと言ったら、前のお膳を蹴返したので、かっとなり刀を持って立ち上がり、二人が目と目を見合わせた時、下島が一言「たわけ」と叫んだ瞬間、伊織の手に白刃が閃ひらめいたと言うのである。
再会を果たした義弟邸内での二人について鴎外は、” 爺いさんが隠居所に這入ってから二三日立つと、そこへ婆さんが一人来て同居した。それも真白な髪を小さい丸髷に結っていて、爺いさんに負けぬように品格が好い。婆あさんが来て、爺いさんと自分との食べる物を、子供がまま事をするような工合に拵えることになった。この翁媼二人の中の好いことは無類である。近所のものは、もしあれが若い男女であったら、どうも平気で見ていることが出来まいなどと云った。”と言って、平安無事な幸せそうな生活を描写している。
蛇足だが、面白いのは、二人の描写で、”るんは美人と云う性たちの女ではない。体格が好く、押出しが立派で、それで目から鼻へ抜けるように賢く、いつでもぼんやりして手を明けていると云うことがない。顔も觀骨がやや出張っているのが疵であるが、眉や目の間に才気が溢れて見える。伊織は武芸が出来、学問の嗜もあって、色の白い美男である。只この人には肝癪持と云う病があるだけである。”と書いていて、るんが、あまりにも健気に祖母に尽くすので、”伊織は好い女房を持ったと思って満足し、それで不断の肝癪は全く迹を斂めて、何事をも勘弁するようになった。”と言うのである。
歌舞伎座が改築のために閉鎖されてからは、何となく閑古鳥が鳴く感じで空席が目立っていた新橋演舞場だが、役者が揃ってイベントを打てば客が戻るのか。尤も、今月は国立劇場の歌舞伎公演が休みでもある。
夜の部の演目は、吉右衛門と勘三郎の「鈴ヶ森」、「口上」、勘九郎の「春興鑑獅子」、三津五郎と福助の「ぢいさんばあさん」である。
夫々、それなりに興味深い舞台だが、私は、「ぢいさんばあさん」が出色の出来で、楽しませて貰った。
まず、「鈴ヶ森」だが、四世鶴屋南北の「四世鶴屋南北」の一幕で、歌舞伎では、他には「鞘当」の幕くらいしか上演されないようで、この鈴ヶ森も、
”江戸へ向かう白井権八(勘三郎)が鈴ヶ森に差し掛かった時、大勢の雲助が襲って来てお尋ね者と見て捉えようとするので、やむなく権八が刀を抜き、雲助達を斬り捨てる。そこへ丁度幡随院長兵衛(吉右衛門)が駕籠で通りかかり、その腕前に惚れ込んで身柄を引き受ける。”と言った二人の出会いの場である。
権八と雲助との立ち回りは、様式化された舞台なので、その趣向を見せるシーンの連続で、若侍姿の勘三郎が、入れ代わり立ち代わり登場する雲助相手に、舞う様な立ち合いを演じると言うところが見せ場で、
駕籠の中から見ていた幡随院長兵衛が「お若いのお待ちなせえやし」と声を掛け、「待てとおとどめなさるしは拙者がことでござるかな」と権八が応えるところから、がらりと雰囲気が変わって、名調子の掛け合いと、男と男の契りが始まる。
多少薹が立った優男の勘三郎の権八だが、中々優雅で華があって良く、どすの利いた吉右衛門の幡随院長兵衛と好対照で、魅せてくれる。
私などは、いくら名場面であっても、このようなストーリー性の欠如した一幕を切り取ったような舞台は好きではないので、何時も興が乗らないので消化不良になり、今回も、折角の吉右衛門と勘三郎の共演だが勿体ないような気がした。
「口上」は、本来なら、芝翫が万感の思いを込めて口上を切り出したと思うのだが、父親勘三郎が代わって行ったので、その分、非常にくだけた調子の観客に密着した温かい雰囲気の口上となり、列座した役者たちも、大分口がほぐれて勘九郎のみならず中村屋を髣髴とさせるような良いムードであった。
「勘九郎」は大したことはない名前だと謙遜した勘三郎が、私とは違う色で、新しい勘九郎になってほしい。これの良さは謙虚さ。1歩1歩前進し、あっぱれな歌舞伎役者と言われるように、お引き立てをお願い申し上げますと、語りながら、仁左衛門や三津五郎などから、自分も父もやったことのないような役を教えて貰って芸域を広げていると付け加えていたが、これを受けて、勘九郎は、これらの教えを受けながら精進し毎日が楽しくて仕方がないと応えていたが、見上げたものである。
素晴らしいDNAと素質に恵まれた大器、世界無形文化遺産・歌舞伎の将来のためにも、大いに期待したいと思う。
「春興鑑獅子」については、特別な思い出があり、もう、20年以上も前になるのだが、ロンドンのジャパン・フェスティバルで訪英した歌舞伎で、勘三郎の舞台を見ているのである。
その時の胡蝶の精は、当然、可愛かった勘太郎と七之助であった。
その勘太郎が、勘九郎を襲名して、父の当たり役であった小姓弥生と獅子の精を舞って、後見に七之助が立っている。
正に、今昔の感である。
さて、勘九郎の弥生だが、芝翫が、女形の見立ては正しかったと言っていた幼い頃の女形の勘太郎には、まだ可愛さ優しさがあったが、立役で通している最近の勘九郎の舞には、風格と優雅さ、溌剌とした素晴らしいパワーには申し分ないとしても、どこか硬さと無理があって、芝翫直伝の弥生なのであろうが、乙女の持つ初々しさ優しさ、匂い立つような女らしさが少し欠けているように思う。
体型からくる印象もあるのであろうが、いくら、江戸城でのお殿様の前での舞であろうとも、二刀遣いの勘三郎のような、ふっくらとした軟らかな優雅さと言うか、女らしいまろやかさが欲しいと思ったのだが、無理であろうか。
さて、最後の「ぢいさんばあさん」であるが、森鴎外の非常に簡潔な短編を、実に、滋味深くしみじみとした味わいのある深い舞台にしたのは、宇野信夫の作・演出の素晴らしさもあろうが、ぢいさん美濃部伊織の三津五郎とばあさん伊織妻るんの福助の至芸とも言うべき芸のお蔭であろうと思う。
新婚生活のこの上ないと言ったような燃え立つような幸せいっぱいの二人、そして、年老いてから、遠慮がちに再開した二人が互いに労わりながら手を握り合って幸せをしみじみと噛み締めあいながら見合わす顔の神々しさ、ぢいさんばあさんとしての立ち振る舞いの確かさは勿論だが、とにかく、これ程心底から愛し合った夫婦があっただろうかと思えるほどの、涙が零れるような二人の素晴らしい演技に脱帽である。
相思相愛の新婚まもない夫妻だが、伊織が、怪我をした義弟宮重久右衛門(扇雀)の代わりに京のお役目に旅立ち、そこで、同僚下嶋甚右衛門(橋之助)と諍いを起して殺害し、その罪で越前へ預かりの身となり、37年後に再会すると言う話である。下嶋との諍いは、伊織が寺町通の刀剣商の店で、質流れだと云う良い古刀を見出し、それを買いたく思ったが、代金百三十両がなかったので、下嶋に三十両借りたのだが、その刀の披露の宴会に下嶋を呼ばなかったことが原因であった。
予想もしないような事件で変転した人生の不運を乗り越えて、変らぬ純愛を通しぬいた二人の魂の鼓動と沸々と心のそこから湧き上がる愛情の迸りが、何ものにも代えがたい感動を呼ぶ。
第1場は、生まれたばかりの子供を慈しみながらの旅立ち前日の伊織家、第2場は、京都での事件、第3場は、37年ぶりの旧伊織邸での再会。真ん中の悪夢のような舞台を挟んで、伊織とるんの愛情一杯のしみじみとした人間賛歌が展開されている。
歌舞伎の舞台になるために、多少、鴎外の短編が脚色されている。
最も重要なのは、伊織家の家を同じ家にしていて、その元の家での再会と言うことで一層懐かしさと情趣を盛り上げ、その縁側に面して立つ変らぬ桜の木が重要な役割を演じる。京都での川床での宴会で、伊織がるんから送られて来た手紙に挟まれた桜の花びらを高台から散らすシーンなども見どころの一つである。
それに、伊織が京に発つ時には、るんは妊娠中で、5年後に、この子は祖母とともに亡くなる。
もう一つ違うのは、橋之助の演じる下嶋の扱いで、歌舞伎では、別れを惜しむべき旅立ちの前日に伊織を強引に碁につき合わせたり、最初から仲間内でも嫌われ者嫌な奴として扱われているのだが、実際には、披露宴会に呼ばなかったことから、突発的に起こった事件と言うことである。
くだを巻く下嶋に帰ってくれと言ったら、前のお膳を蹴返したので、かっとなり刀を持って立ち上がり、二人が目と目を見合わせた時、下島が一言「たわけ」と叫んだ瞬間、伊織の手に白刃が閃ひらめいたと言うのである。
再会を果たした義弟邸内での二人について鴎外は、” 爺いさんが隠居所に這入ってから二三日立つと、そこへ婆さんが一人来て同居した。それも真白な髪を小さい丸髷に結っていて、爺いさんに負けぬように品格が好い。婆あさんが来て、爺いさんと自分との食べる物を、子供がまま事をするような工合に拵えることになった。この翁媼二人の中の好いことは無類である。近所のものは、もしあれが若い男女であったら、どうも平気で見ていることが出来まいなどと云った。”と言って、平安無事な幸せそうな生活を描写している。
蛇足だが、面白いのは、二人の描写で、”るんは美人と云う性たちの女ではない。体格が好く、押出しが立派で、それで目から鼻へ抜けるように賢く、いつでもぼんやりして手を明けていると云うことがない。顔も觀骨がやや出張っているのが疵であるが、眉や目の間に才気が溢れて見える。伊織は武芸が出来、学問の嗜もあって、色の白い美男である。只この人には肝癪持と云う病があるだけである。”と書いていて、るんが、あまりにも健気に祖母に尽くすので、”伊織は好い女房を持ったと思って満足し、それで不断の肝癪は全く迹を斂めて、何事をも勘弁するようになった。”と言うのである。