熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

”ミャンマーへ急げ”と言うけれど

2012年02月20日 | 経営・ビジネス
   このタイトルは、今夜の日経夕刊のトップ記事である。
   電子版では、”日本企業、ミャンマーに急接近 ビジネス渡航増加  資源や成長力が魅力 ”と言うことだが、日本経済が頭打ちで、アジアなどの新興国への進出が、先行きの暗い日本企業の活路を見出す道だと言った記事が新聞や経済誌を賑わせているのだが、本当にそうだろうかと言う前に、何時も思うのは、日本企業にその能力があるのだろうかと言う疑問である。
   
   例えば、BRIC’sを考えても、中国には日系進出企業も多くてかなりの成功企業があるのだが、インドでは突出しているのはスズキだけだし、ブラジルでも、ロシアでも、進出が遅れたのみならず規模もかなり消極的であるから、華々しく活躍している企業は少ない。
   国内で真面に成功できない企業が、海外に出て成功する例はないであろうが、かって、アメリカの多国籍企業が世界中で猛威を振るい、シュラバン・シュレベールに「アメリカの挑戦 」の中で、アメリカの多国籍企業の存在を、「第3の帝国」と言わしめた時代から、ICT革命が始まる前では、力のある最先端を行くパワーのあるMNCが、世界市場を押さえることが可能であった。
   力で、世界市場を押さえこむことがある程度可能であった、グローバリゼーションと富の伝播は先進国の力で拡散したと言えなくもなかったのである。
   日本が、Japan as No.1と持ち上げられて、破竹の勢いで快進撃していた1990年代初年までは、正に、この潮流に乗った時代であった。
   
   グローバル・ビジネスの場合、日本企業も、日本人ビジネスマンも、最大の問題は、国際感覚なり海外事業への適応能力の欠如だと思っている。
   海外での生活は勿論、文化文明や国民性などが全く違うので、ビジネスそのものも根本的に違うのだが、単一民族単一文化単一価値観(?)にあまりにも感化洗脳されてしまった日本ビジネスマンが、殆ど国際経験や知識も感覚もなく海外に出かけて事業につき、ローカル人材を十分に活用出来ないのみならず経営者への登用もせずに、日本人派遣社員も短期間で交代し、更に、日本本社の経営陣が国際感覚欠如の日本志向オンリーであれば、グローバル・ビジネスで成功する筈がない。

   半世紀以上も前に、アーノルド・トインビーが、何故アメリカ人が世界中で嫌われるのか、独自の世界を作り上げて同化しないからだと喝破したが、あの当時は、アメリカの一人勝ち。しかし、今や、日本は、普通の国となった弱体化した成熟国家で、同化出来なければ勝ち目はない。
   ドラッカーが、日本企業が、最もグローバル化していないと言っていたのもこのあたりのことを言っていたのであろうが、随分前の話だが、私自身、長い間、海外事業に携わって来て、多くのこのような日本企業の失敗を見て来ている。
   日本人の海外留学生が激変し、国際人材が縮小傾向にある現状を考えれば、益々、お先真っ暗であり、短期間の英語研修や海外派遣で茶を濁す姑息な手段では、ダメである。
   商社などの仲人口に乗って、切羽詰って海外に出る中小企業が、結構多いようだが、自活できなければ、レバシリ、インパキ、ユダヤ、華僑、イン僑等々、名うての豪のものが犇めいているグローバル戦場で、ウカウカしていると餌食になるのが関の山。ローカルにマッチしたオンリーワン・ビジネスでなければ生きて行けない。

   これまでは一般論だが、日本の海外進出企業の多くは製造業なので、これからは、製造業主体に考えてみたい。
   世界はフラット化したとフリードマンは言ったが、私は、むしろ、バンカジ・ゲマワットの言う「コークの味は国ごとに違うべき」だと思っている。
   日本企業の問題は、この味の違いを理解できない、理解してビジネスを行おうとしないし出来ないと言うことである。

   これまで、このブログで、プラハラードの「ネクスト・マーケット」でのBOP市場の開拓や、GEとヴィジャイ・ゴヴィンダラジャン教授の「リバース・イノベーション」について論じ、今日では、新興国に置いて、その新興国のニーズに合わせて新興国自身で開発された商品やサービスが、新興国では勿論、グローバル市場でも非常に重要な位置を占めるようになったことを論じて来た。
   リバース・イノベーションとは、”先進国の製品がグローバル市場に伝播するのがグローバリゼーションで、次は、ローカル・ニーズに合わせて先進国の製品を改良して提供するのがグローカリゼーションで、最後のリーバス・イノベーションの段階では、まず、ローカル・ニーズに合わせて新興国で開発され、その製品の質が向上して世界標準となって、グローバル市場に供給されると言うことである。”
   GEは、”インドで開発した1000ドルの携帯型心電計(ECG)MAC400や、中国で開発した1万5000ドルのコンパクト超音波診断装置(ラップトップPCを使用した安価な携帯型)”が、今日では、欧米日での主力商品となっており、今や、インドの新開発R&D組織は、本国を凌駕する程だと言う。

   先に論じたように、日本企業が世界の市場を制覇していた時期には、品質さえ良ければ、競争相手がなかったので、売れたし世界市場を押さえられた。 
   しかし、日本企業が製造して販売しているような製品、特に、コモディティ化してしまった最終製品は、デジタル化の進行でモジュール化してしまってコスト競争が熾烈を極め、これまでのような持続的イノベーションでは十分な差別化が出来ず競争できなくなってしまった。
   そして、日本企業がターゲットとする先進国の成長鈍化による市場縮小に反比例して、新興国のボリュームゾーンやBOPなど底辺の市場が急拡大して来た。

   しかし、これらの新市場は、これまで、日本企業が国際市場で製造販売していた商品とは全く次元の違う別なカテゴリーの商品である。
   すなわち、日本流の高度なスペックの商品を、多少品質を落としたり機能を削ったり材料の質を落としたりしてローカル・ニーズに合わせたようなグローカリゼーション商品では、ダメであり、ローカルの人間が、全く、違ったゼロからの発想で作り出したローカル・イノベーションの商品であり、良ければ、リバース・イノベーションとして、逆に、グローバル市場を席巻できるような商品でなければならないのである。
   果たして、日本企業に、その覚悟があるかどうかと言うことであろう。
  
コメント
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