杜甫は、中国文学史上最高の詩人として、李白の「詩仙」に対して、「詩聖」と呼ばれる大詩人だとは知っていたが、特に、作品や伝記を読んだこともないので、遠い存在であった。
私も、高校で、漢詩を少しは習っていたので、杜甫の「国破山河在 城春草木深 (国破れて山河在り 城春にして草木深し・・・)」くらいは覚えており、芭蕉が、「奥の細道」で、
国破れて山河あり、城春にして草青みたりと、笠うち敷きて時の移るまで涙を落としはべりぬ。 と引用して、有名な”夏草や 兵どもが 夢の跡”を詠んだのは知っている。
所謂、訓み下し文と言われている日本語に文章化した漢文訓読文については、白居易の「長恨歌」など、随分魅力的な表現だと思ったし、漢詩ではないのだが、土井晩翠の”祁山悲秋の風更けて 陣雲暗し五丈原”で始まる「星落秋風五丈原」などのリズム感など、随分、魅力的で印象に残っている。
しかし、私の悪い癖で、今、能狂言鑑賞で苦労している、日本文学の詩歌に対すると同じように、漢文に対しても苦手意識が強くなって、若い頃の不勉強が祟り、先に進めなかったのを後悔している。
中国史については、それなりに勉強したつもりだが、中国文学は、「紅楼夢」や「金瓶梅」を読んだのかは定かではないのだが、挑戦したので、今でも、箱が破れた骨董の本が手元に残っている。
原本「金瓶梅」は、もっとパンチが利いているのであろうが、林真理子の「本朝金瓶梅」も面白かったが、あまり、人前でニタニタ読むと恥ずかしい。
さて、肝心の「杜甫」だが、玄宗皇帝、楊貴妃、安禄山の時代の大詩人で、主に、粛宗に仕えた役人でもあった。
尤も、若き頃より、天下国家に奉仕すべく、役人を目指して勉強したが科挙には受からず、役人になったのは、40代になってからで、不運が重なって、恵まれたキャリアを歩いたわけではなかったし、極貧生活に喘いだこともあったと言う。
この本は、NHKのラジオ放送から起こした本だと言うので、杜甫の生涯を追って、その時代時代の杜甫の作品を取り上げて解説しながら、杜甫の足跡を展開しているので、比較的分かり安くて面白い。
杜甫は、当時の知識人たちの傾向と同じで、役人になって理想的な政治を行いたいと思っていたので、戦争に明け暮れて塗炭の苦しみに喘いでいた人民たちのビビッドな生活描写は勿論、玄宗皇帝などの政治や経済社会の矛盾や蹉跌を、積極的に詩歌の題材として取り上げて、糾弾交じりにリアリズムに徹した描写を続けていて、凄まじく、報道写真家のような鋭さがあって、感動さえ覚える。
その中にも、糟糠の妻への優しい思いやりや亡き子を忍ぶ心情吐露、旧友との再会の喜び、新婚翌日出征に泣く新妻など民の悲しみ、セミやコオロギや蛍、そして、旅の途中で走馬灯のように移り変わる景色や風物、歴史の足跡、等々、生きとし生けるものなど、社会派的な描写が、非常に興味深い。
とにかく、玄宗皇帝と楊貴妃の時代に、李白と杜甫と言う偉大な大詩人が活躍したと言うことは、偶然とは言え、凄いことで、フィレンツェでのルネサンスを彷彿とさせるようで面白い。
ケント大学のビジネス・スクールを終えた娘の卒業旅行にと思って娘を連れて上海を訪れて、ついでに、歴史散策を兼ねて、蘇州の蘇州古典園林や寒山寺や虎丘、杭州の「西湖」などを観光して、中国文学と芸術の一端に触れる機会を得た。
文革直後、北京の紫禁城を訪れて、丸1日、殆ど人のいない宮城を散策した時には、感動の一語であったが、あの蘇州や杭州の旅と同様、私があこがれ続けた中国古典の美しい世界は、大分消えてしまっていて、時の流れの非情を感じたのを覚えている。
杜甫の漢詩には、西湖の美しい中国風景の描写や、世界遺産の蘇州庭園のようなみやびと言った美しい風土の詩はなく、私には、少し拍子抜けであったことは、事実であった。
杜甫は、科挙に合格していないので、推薦によってやっと仕官が叶いながら、恩義のある宰相房琯の左遷を擁護するために、職を利用して、肅宗皇帝の寝室にまで踏み込んで直訴して、裁判に掛けられて、死刑だけは免れたと言う。
こんな性格であるから、折角、故郷に帰って、最愛の妻と幼い子供たちと穏やかな生活を送っていても、すぐに、天下国家のことが心配になって、出て行って、一悶着起こして左遷される。そんな生活を続けながら、人民の苦しみや国家の行く末を憂う鋭い漢詩を書き続けたと言うのである。
一寸意外であったのは、中国最高の名君の一人とされている玄宗皇帝の平穏であった筈の時代において、安禄山の反乱もあろうが、戦争に狩り出され続けて、人民が如何に悲惨な困窮生活を送っていたかを、杜甫の漢詩には、克明に描かれていることである。
唐朝の太宗李世民や清朝の康熙帝なども名君と言われて有名だが、中国は、あまりにも巨大な国なので、王朝は盛期を誇っていても、一般庶民は、根無し草のように、哀れな生活を送っていたのであろうか。
能を鑑賞していると、平和な御代を寿ぐテーマに満ち満ちているのだが、日本程度の小さな国の方が、安泰なのかも知れないと、勝手に感じている。
さて、最近、このブログでは、台頭する中国の政治経済などについて、辛口の文章ばかり書いているのだが、中国の古典や文化芸術の話になると、何となく、憧れがあって、心休まるのが不思議である。
私も、高校で、漢詩を少しは習っていたので、杜甫の「国破山河在 城春草木深 (国破れて山河在り 城春にして草木深し・・・)」くらいは覚えており、芭蕉が、「奥の細道」で、
国破れて山河あり、城春にして草青みたりと、笠うち敷きて時の移るまで涙を落としはべりぬ。 と引用して、有名な”夏草や 兵どもが 夢の跡”を詠んだのは知っている。
所謂、訓み下し文と言われている日本語に文章化した漢文訓読文については、白居易の「長恨歌」など、随分魅力的な表現だと思ったし、漢詩ではないのだが、土井晩翠の”祁山悲秋の風更けて 陣雲暗し五丈原”で始まる「星落秋風五丈原」などのリズム感など、随分、魅力的で印象に残っている。
しかし、私の悪い癖で、今、能狂言鑑賞で苦労している、日本文学の詩歌に対すると同じように、漢文に対しても苦手意識が強くなって、若い頃の不勉強が祟り、先に進めなかったのを後悔している。
中国史については、それなりに勉強したつもりだが、中国文学は、「紅楼夢」や「金瓶梅」を読んだのかは定かではないのだが、挑戦したので、今でも、箱が破れた骨董の本が手元に残っている。
原本「金瓶梅」は、もっとパンチが利いているのであろうが、林真理子の「本朝金瓶梅」も面白かったが、あまり、人前でニタニタ読むと恥ずかしい。
さて、肝心の「杜甫」だが、玄宗皇帝、楊貴妃、安禄山の時代の大詩人で、主に、粛宗に仕えた役人でもあった。
尤も、若き頃より、天下国家に奉仕すべく、役人を目指して勉強したが科挙には受からず、役人になったのは、40代になってからで、不運が重なって、恵まれたキャリアを歩いたわけではなかったし、極貧生活に喘いだこともあったと言う。
この本は、NHKのラジオ放送から起こした本だと言うので、杜甫の生涯を追って、その時代時代の杜甫の作品を取り上げて解説しながら、杜甫の足跡を展開しているので、比較的分かり安くて面白い。
杜甫は、当時の知識人たちの傾向と同じで、役人になって理想的な政治を行いたいと思っていたので、戦争に明け暮れて塗炭の苦しみに喘いでいた人民たちのビビッドな生活描写は勿論、玄宗皇帝などの政治や経済社会の矛盾や蹉跌を、積極的に詩歌の題材として取り上げて、糾弾交じりにリアリズムに徹した描写を続けていて、凄まじく、報道写真家のような鋭さがあって、感動さえ覚える。
その中にも、糟糠の妻への優しい思いやりや亡き子を忍ぶ心情吐露、旧友との再会の喜び、新婚翌日出征に泣く新妻など民の悲しみ、セミやコオロギや蛍、そして、旅の途中で走馬灯のように移り変わる景色や風物、歴史の足跡、等々、生きとし生けるものなど、社会派的な描写が、非常に興味深い。
とにかく、玄宗皇帝と楊貴妃の時代に、李白と杜甫と言う偉大な大詩人が活躍したと言うことは、偶然とは言え、凄いことで、フィレンツェでのルネサンスを彷彿とさせるようで面白い。
ケント大学のビジネス・スクールを終えた娘の卒業旅行にと思って娘を連れて上海を訪れて、ついでに、歴史散策を兼ねて、蘇州の蘇州古典園林や寒山寺や虎丘、杭州の「西湖」などを観光して、中国文学と芸術の一端に触れる機会を得た。
文革直後、北京の紫禁城を訪れて、丸1日、殆ど人のいない宮城を散策した時には、感動の一語であったが、あの蘇州や杭州の旅と同様、私があこがれ続けた中国古典の美しい世界は、大分消えてしまっていて、時の流れの非情を感じたのを覚えている。
杜甫の漢詩には、西湖の美しい中国風景の描写や、世界遺産の蘇州庭園のようなみやびと言った美しい風土の詩はなく、私には、少し拍子抜けであったことは、事実であった。
杜甫は、科挙に合格していないので、推薦によってやっと仕官が叶いながら、恩義のある宰相房琯の左遷を擁護するために、職を利用して、肅宗皇帝の寝室にまで踏み込んで直訴して、裁判に掛けられて、死刑だけは免れたと言う。
こんな性格であるから、折角、故郷に帰って、最愛の妻と幼い子供たちと穏やかな生活を送っていても、すぐに、天下国家のことが心配になって、出て行って、一悶着起こして左遷される。そんな生活を続けながら、人民の苦しみや国家の行く末を憂う鋭い漢詩を書き続けたと言うのである。
一寸意外であったのは、中国最高の名君の一人とされている玄宗皇帝の平穏であった筈の時代において、安禄山の反乱もあろうが、戦争に狩り出され続けて、人民が如何に悲惨な困窮生活を送っていたかを、杜甫の漢詩には、克明に描かれていることである。
唐朝の太宗李世民や清朝の康熙帝なども名君と言われて有名だが、中国は、あまりにも巨大な国なので、王朝は盛期を誇っていても、一般庶民は、根無し草のように、哀れな生活を送っていたのであろうか。
能を鑑賞していると、平和な御代を寿ぐテーマに満ち満ちているのだが、日本程度の小さな国の方が、安泰なのかも知れないと、勝手に感じている。
さて、最近、このブログでは、台頭する中国の政治経済などについて、辛口の文章ばかり書いているのだが、中国の古典や文化芸術の話になると、何となく、憧れがあって、心休まるのが不思議である。