冒頭、江戸の夏の風物詩とも言うべき長屋の連中総出の井戸替えの賑やかな風景から、幕が開く。
江戸の市井の人々の体臭がむんむんとした長屋を舞台にして、主人公の二人の駕籠舁『権三と助十』(権三を獅童、助十を染五郎)が、無実の罪で裁かれた元長屋の住人小間物屋彦兵衛を、大岡越前守の名裁きで解決して救い出すと言う話。
大岡政談の「小間物屋彦兵衛」の話が元になった岡本綺堂の戯曲、新歌舞伎の演目だと言うから興味深い。
二人の住む長屋の大家・六郎兵衛の彌十郎が名案を出し、権三女房おかんの七之助や助十の弟助八の巳之助や猿回しの宗之助が、コミカルタッチで掻きまわす、とにかく、長屋の住人を巻き込んで、江戸っ子気質を存分に見せる愉快な舞台である。
小間物屋彦兵衛のせがれの彦三郎(壱太郎)が、どうしても実直一途の父彦兵衛が強盗殺人の罪を犯したとは信じられず、大坂から家主の六郎兵衛を訪ねてやってくる。
その会話を立ち聞きしていた権三と助十が、事件の夜に真犯人とおぼしき人物、左官屋の勘太郎を目撃していたにも拘わらず、かわり合いになるのを恐れて黙っていたのだが、切羽詰まって真相を告白する。
面白いのは、六郎兵衛が知恵を絞って、「彦兵衛は無実なのに、権三と助十が力を貸したのに良く調べなかったと家主のところへ殴りこんできたので引き立ててきた」と訴え出れば、再審議になると考えて、権三と助十と彦三郎の三人に縄をかけて、長屋連中の声援を受けて、奉行所へ出立する。
再審議となったが、勘太郎は証拠不十分で釈放され、「無事に帰れた」と角樽を持って、お礼参りに権三と助十を訪ねて来たのだが、実は奉行が、証拠がないので勘太郎を釈放して泳がせたら、勘太郎が天井裏に隠してあった血のついた財布を燃やすところを隠し目付けに目撃され、奉行所の役人が来て、真犯人として引き立てて行く。
牢内で病死したと思われていた彦兵衛も、大岡越前の配慮で無事に匿われていて姿を現し、万々歳で幕。
岡本綺堂は、「半七捕物帳」「番町皿屋敷」「修禅寺物語」の作者としての印象が強いので、この「権三と助十」は、全く、意外な感じで見ていたが、やはり、演じている役者たちが上手いのであろう。
この歌舞伎は、大岡裁きの妙を楽しむと言うよりは、1時間10分ほどの江戸庶民の生きざまを器用に演じ続けた歌舞伎役者たちの見せて魅せる芝居の面白さ、醍醐味を楽しむべき舞台であろうと思う。
ほのぼのとした、しみじみとした、温かさ、優しさが滲み出ていて、ほっとさせてくれるところが非常に良い。
私の様な元関西人には、良く分からないが、ウィキペディアによると、
多くの研究者は江戸っ子の性格として「見栄坊」「向こう見ずの強がり」「喧嘩っ早い」「生き方が浅薄で軽々しい」「独りよがり」などの点をあげている。と言う。
「さっぱりとした気風」や「いなせ」や「威勢が良い」と言う特質も持ち味なのであろうが、とにかく、東男と京女と言うから、日本男児の代表なのであろう。
今回の役者で、これにかなり近い江戸っ子を演じているのは、権三の獅童で、パンチが利いていながらひょろりと腰の定まらないところが面白く、助十の染五郎は、「百年前から自分もそう思っていた」と言ったような非常に調子のよい江戸男を上手く演じていて面白い。
二人とも、颯爽とした素晴らしい芝居を見せる役者でありながら、この舞台では、その他大勢と変わらない雰囲気で、軽妙なタッチで、自由自在に泳ぎながら芝居を楽しんでいる風情が良い。
10年ほど前に、面白い舞台を見たと思ったのだが、権三は菊五郎、助十は三津五郎であったようである。
しかし、江戸っ子丸出しの威勢が良くて一本気の男を演じて爽快だったのは、助八の巳之助であろう。
悪役の左官屋の勘太郎を演じた亀蔵は、ドスの利いた性格俳優ぶりを見せて好演していた。
やはり、面白いのは、家主六郎兵衛の彌十郎で、この芝居ではベテランの芸が光っていて、この舞台の要。
老獪な「髪結新三」の家主の長兵衛に似た芸の冴えに加えて、この舞台では、善人の好々爺ぶりの雰囲気を醸し出していて、面白い。
七之助は、獅童の権三と息の合った「おかん」、長屋のミーハー的なおかみを、軽妙な雰囲気で歯切れよく流すところなど、上手い。
一寸、場違いな雰囲気で登場する大坂人の彦三郎を、女形で見ることの多い壱太郎が、初々しく演じていて面白い。
この「権三と助十」、名作なのかも知れないが、毒にも薬にもならないと言うと語弊があるが、暑気払いに楽しむためには格好の舞台かも知れない。
同時上演されたのは、「嫗山姥」。
荻野屋八重桐の扇雀の義太夫に乗った踊りを楽しむ舞台であろうか。
江戸の市井の人々の体臭がむんむんとした長屋を舞台にして、主人公の二人の駕籠舁『権三と助十』(権三を獅童、助十を染五郎)が、無実の罪で裁かれた元長屋の住人小間物屋彦兵衛を、大岡越前守の名裁きで解決して救い出すと言う話。
大岡政談の「小間物屋彦兵衛」の話が元になった岡本綺堂の戯曲、新歌舞伎の演目だと言うから興味深い。
二人の住む長屋の大家・六郎兵衛の彌十郎が名案を出し、権三女房おかんの七之助や助十の弟助八の巳之助や猿回しの宗之助が、コミカルタッチで掻きまわす、とにかく、長屋の住人を巻き込んで、江戸っ子気質を存分に見せる愉快な舞台である。
小間物屋彦兵衛のせがれの彦三郎(壱太郎)が、どうしても実直一途の父彦兵衛が強盗殺人の罪を犯したとは信じられず、大坂から家主の六郎兵衛を訪ねてやってくる。
その会話を立ち聞きしていた権三と助十が、事件の夜に真犯人とおぼしき人物、左官屋の勘太郎を目撃していたにも拘わらず、かわり合いになるのを恐れて黙っていたのだが、切羽詰まって真相を告白する。
面白いのは、六郎兵衛が知恵を絞って、「彦兵衛は無実なのに、権三と助十が力を貸したのに良く調べなかったと家主のところへ殴りこんできたので引き立ててきた」と訴え出れば、再審議になると考えて、権三と助十と彦三郎の三人に縄をかけて、長屋連中の声援を受けて、奉行所へ出立する。
再審議となったが、勘太郎は証拠不十分で釈放され、「無事に帰れた」と角樽を持って、お礼参りに権三と助十を訪ねて来たのだが、実は奉行が、証拠がないので勘太郎を釈放して泳がせたら、勘太郎が天井裏に隠してあった血のついた財布を燃やすところを隠し目付けに目撃され、奉行所の役人が来て、真犯人として引き立てて行く。
牢内で病死したと思われていた彦兵衛も、大岡越前の配慮で無事に匿われていて姿を現し、万々歳で幕。
岡本綺堂は、「半七捕物帳」「番町皿屋敷」「修禅寺物語」の作者としての印象が強いので、この「権三と助十」は、全く、意外な感じで見ていたが、やはり、演じている役者たちが上手いのであろう。
この歌舞伎は、大岡裁きの妙を楽しむと言うよりは、1時間10分ほどの江戸庶民の生きざまを器用に演じ続けた歌舞伎役者たちの見せて魅せる芝居の面白さ、醍醐味を楽しむべき舞台であろうと思う。
ほのぼのとした、しみじみとした、温かさ、優しさが滲み出ていて、ほっとさせてくれるところが非常に良い。
私の様な元関西人には、良く分からないが、ウィキペディアによると、
多くの研究者は江戸っ子の性格として「見栄坊」「向こう見ずの強がり」「喧嘩っ早い」「生き方が浅薄で軽々しい」「独りよがり」などの点をあげている。と言う。
「さっぱりとした気風」や「いなせ」や「威勢が良い」と言う特質も持ち味なのであろうが、とにかく、東男と京女と言うから、日本男児の代表なのであろう。
今回の役者で、これにかなり近い江戸っ子を演じているのは、権三の獅童で、パンチが利いていながらひょろりと腰の定まらないところが面白く、助十の染五郎は、「百年前から自分もそう思っていた」と言ったような非常に調子のよい江戸男を上手く演じていて面白い。
二人とも、颯爽とした素晴らしい芝居を見せる役者でありながら、この舞台では、その他大勢と変わらない雰囲気で、軽妙なタッチで、自由自在に泳ぎながら芝居を楽しんでいる風情が良い。
10年ほど前に、面白い舞台を見たと思ったのだが、権三は菊五郎、助十は三津五郎であったようである。
しかし、江戸っ子丸出しの威勢が良くて一本気の男を演じて爽快だったのは、助八の巳之助であろう。
悪役の左官屋の勘太郎を演じた亀蔵は、ドスの利いた性格俳優ぶりを見せて好演していた。
やはり、面白いのは、家主六郎兵衛の彌十郎で、この芝居ではベテランの芸が光っていて、この舞台の要。
老獪な「髪結新三」の家主の長兵衛に似た芸の冴えに加えて、この舞台では、善人の好々爺ぶりの雰囲気を醸し出していて、面白い。
七之助は、獅童の権三と息の合った「おかん」、長屋のミーハー的なおかみを、軽妙な雰囲気で歯切れよく流すところなど、上手い。
一寸、場違いな雰囲気で登場する大坂人の彦三郎を、女形で見ることの多い壱太郎が、初々しく演じていて面白い。
この「権三と助十」、名作なのかも知れないが、毒にも薬にもならないと言うと語弊があるが、暑気払いに楽しむためには格好の舞台かも知れない。
同時上演されたのは、「嫗山姥」。
荻野屋八重桐の扇雀の義太夫に乗った踊りを楽しむ舞台であろうか。
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