NHKで、寅さん特集が放映されていて、「寅さん・鉄道ふれあい旅」で、倍賞千恵子と前田吟が、寅さんのゆかりの土地を回り、名場面や舞台となった懐かしい日本の故郷を映していた。
実に、懐かしい。
私は、アムステルダムにいて、ホテル・オークラと日本への往復で、寅さん映画を見て一気に、寅さんファンとなった。
その後、帰国の都度、ビデオやレーザーディスク、DVDを買ったり、ダビングしたり、録画したり、その後も続けて、48作全部を鑑賞した。
私の娘2人など、夫々、ヨーロッパで教育を受けたのだが、日本との重要な接点は、日本からの沢山の本と、寅さん映画であったと言っても良いと思っている。
寅さん映画を紡ぎ出した山田洋次監督、渥美清の名演と、マドンナや日本を代表する名優たちの醸し出す素晴らしい映画は、まさに、日本そのものであった。
このブログでも、何度も書いているので、今回は、寅さんを離れて、私自身の列車の思い出を書いてみたいと思っている。
私の最初の鉄道の旅は、中学の修学旅行で、宝塚から東京往復であった。
その次は、学生時代に、周遊券とユースホステルを使っての九州と北海道の周遊旅であった。
フッとすれ違った女子学生との甘酸っぱい出会いなど、剃刀を触れれば鮮血がほとばしるような青春の思い出が残っているのもあの頃。もう少し、前かも知れない。
大学生の頃は、そのほかにも、松山や東京の友を訪ねたり、ゼミの合宿で信州に行ったり、とにかく、学割が利いて国鉄は安かったので、少しアルバイトをすれば、動けたので、長旅が出来た。
殆ど、記憶に残っていないが、その後何十年か経って訪れた北海道の稚内など地方の素晴らしい都市が、見る影もなくさびれてしまっていて、今昔の感を覚えた。
会社に入ってからは、個人的な旅行などは別にして、東京と大阪との往復が大半で、地方へ行っても、地区の大都市ばかりで、殆ど新幹線か飛行機が主で、鉄道で長旅をすることはなくなってしまった。
その後、海外での生活が長くなって、鉄道旅は、その方の思い出の方が多くなった。
海外から帰ってからの50代から60代にかけては、仕事の関係上、大都市ばかりではなく、沖縄から北海道の知床まで全国を回る機会を得て、初めて、寅さんの世界に接することが出来るようになった。
北海道ではどうしても、移動は飛行機になるのだが、釧路から根室までは、昔の根室本線の「花咲線」を鉄道で行った。
確か、殆ど客のいない1両のジーゼルで、自然そのままの田舎を、ひっそりとした無人駅を通過しながら根室に着いたのを覚えている。
神武景気頃の釧路や根室は、はるかに元気があって、駅の雰囲気も、北海道の大動脈の一端を担っているようで、活気に満ち溢れていたように思う。
その後、北海道では、札幌から小樽や旭川、旭川から留萌くらいまで、列車を使ったのだが、特に、留萌のさびれぶりの酷さに驚き、途中のロケ地の恵比島駅ホームに隣接して置かれていた朝ドラの「すずらん」の明日萌駅などに似た駅や、もっと寂しい小屋のような無人駅が、全国各地の随所に残っていたのを思い出す。
私のような首都圏に住み、東京や横浜や大船などと言った殆ど一日中客でごった返している駅で乗り降りする人間には、想像もできない世界であった。
尤も、私自身は、このような雑踏の都会地を好きではなく、昔懐かしい雰囲気が残っていて、人の温もりを感じさせてくれる地方の風景や風物の方が、はるかに好きであり、そのような雰囲気が残っているのを感じて、嬉しくなってホットしているのも事実である。
寅さんが、逝って既に20年。
五月に、山口旅をして、日本の故郷の美しさ、懐かしさ、良さについて書いたのも、そのような発見と思いがあったからで、地方を創生して美しい日本を取り戻すことが、如何に大切か、このままでは、東京一極集中の、頭でっかちの文化文明だけが育って、リバイヤサンまがいの怪物が、日本の美しき伝統と文化、公序良俗を食い殺してしまう。
以前に、松江から津和野経由で下松まで特急と鈍行を乗り継いで、ゆっくりと移動したことがある。
途中運悪く、踏切事故で、単線なので、何時間も列車が止まって、仕事にならなかったことがあったが、自分の生活ペースが間違っているのではないかと、焦るのを恥じて、仕事を忘れて、津和野で沈没したことがあった。
今でも、人生それでなくてはならない筈だと思っているのだが、あの世に近くなった今でも、時間に追われてあくせくしているのが悲しい。
東北では、ローカル線は、仙台から気仙沼と山寺、福島から米沢経由で山形、程度なのだが、ゆっくりとした鉄道旅なので、東北の野山の美しい風景を楽しむことが出来て幸せであった。
九州では、福岡から大分、中国・四国では、岡山から高松、高松から松山、くらいしかない。
尤も、短距離なら、全国各地に、鉄道旅は散らばっている。
しかし、それも殆どの旅は、もう、10年も前のことになるので、時代は変わっているのかも知れない。
首都圏の電車では、大体、本を読んでいるのだが、東京を離れると、そんな無粋なことをせずに、静かに車窓からの景色の移り変わりを見ている方が多い。
変な文章を綴ってしまったが、明日は、海外での鉄道旅について書いてみたい。
実に、懐かしい。
私は、アムステルダムにいて、ホテル・オークラと日本への往復で、寅さん映画を見て一気に、寅さんファンとなった。
その後、帰国の都度、ビデオやレーザーディスク、DVDを買ったり、ダビングしたり、録画したり、その後も続けて、48作全部を鑑賞した。
私の娘2人など、夫々、ヨーロッパで教育を受けたのだが、日本との重要な接点は、日本からの沢山の本と、寅さん映画であったと言っても良いと思っている。
寅さん映画を紡ぎ出した山田洋次監督、渥美清の名演と、マドンナや日本を代表する名優たちの醸し出す素晴らしい映画は、まさに、日本そのものであった。
このブログでも、何度も書いているので、今回は、寅さんを離れて、私自身の列車の思い出を書いてみたいと思っている。
私の最初の鉄道の旅は、中学の修学旅行で、宝塚から東京往復であった。
その次は、学生時代に、周遊券とユースホステルを使っての九州と北海道の周遊旅であった。
フッとすれ違った女子学生との甘酸っぱい出会いなど、剃刀を触れれば鮮血がほとばしるような青春の思い出が残っているのもあの頃。もう少し、前かも知れない。
大学生の頃は、そのほかにも、松山や東京の友を訪ねたり、ゼミの合宿で信州に行ったり、とにかく、学割が利いて国鉄は安かったので、少しアルバイトをすれば、動けたので、長旅が出来た。
殆ど、記憶に残っていないが、その後何十年か経って訪れた北海道の稚内など地方の素晴らしい都市が、見る影もなくさびれてしまっていて、今昔の感を覚えた。
会社に入ってからは、個人的な旅行などは別にして、東京と大阪との往復が大半で、地方へ行っても、地区の大都市ばかりで、殆ど新幹線か飛行機が主で、鉄道で長旅をすることはなくなってしまった。
その後、海外での生活が長くなって、鉄道旅は、その方の思い出の方が多くなった。
海外から帰ってからの50代から60代にかけては、仕事の関係上、大都市ばかりではなく、沖縄から北海道の知床まで全国を回る機会を得て、初めて、寅さんの世界に接することが出来るようになった。
北海道ではどうしても、移動は飛行機になるのだが、釧路から根室までは、昔の根室本線の「花咲線」を鉄道で行った。
確か、殆ど客のいない1両のジーゼルで、自然そのままの田舎を、ひっそりとした無人駅を通過しながら根室に着いたのを覚えている。
神武景気頃の釧路や根室は、はるかに元気があって、駅の雰囲気も、北海道の大動脈の一端を担っているようで、活気に満ち溢れていたように思う。
その後、北海道では、札幌から小樽や旭川、旭川から留萌くらいまで、列車を使ったのだが、特に、留萌のさびれぶりの酷さに驚き、途中のロケ地の恵比島駅ホームに隣接して置かれていた朝ドラの「すずらん」の明日萌駅などに似た駅や、もっと寂しい小屋のような無人駅が、全国各地の随所に残っていたのを思い出す。
私のような首都圏に住み、東京や横浜や大船などと言った殆ど一日中客でごった返している駅で乗り降りする人間には、想像もできない世界であった。
尤も、私自身は、このような雑踏の都会地を好きではなく、昔懐かしい雰囲気が残っていて、人の温もりを感じさせてくれる地方の風景や風物の方が、はるかに好きであり、そのような雰囲気が残っているのを感じて、嬉しくなってホットしているのも事実である。
寅さんが、逝って既に20年。
五月に、山口旅をして、日本の故郷の美しさ、懐かしさ、良さについて書いたのも、そのような発見と思いがあったからで、地方を創生して美しい日本を取り戻すことが、如何に大切か、このままでは、東京一極集中の、頭でっかちの文化文明だけが育って、リバイヤサンまがいの怪物が、日本の美しき伝統と文化、公序良俗を食い殺してしまう。
以前に、松江から津和野経由で下松まで特急と鈍行を乗り継いで、ゆっくりと移動したことがある。
途中運悪く、踏切事故で、単線なので、何時間も列車が止まって、仕事にならなかったことがあったが、自分の生活ペースが間違っているのではないかと、焦るのを恥じて、仕事を忘れて、津和野で沈没したことがあった。
今でも、人生それでなくてはならない筈だと思っているのだが、あの世に近くなった今でも、時間に追われてあくせくしているのが悲しい。
東北では、ローカル線は、仙台から気仙沼と山寺、福島から米沢経由で山形、程度なのだが、ゆっくりとした鉄道旅なので、東北の野山の美しい風景を楽しむことが出来て幸せであった。
九州では、福岡から大分、中国・四国では、岡山から高松、高松から松山、くらいしかない。
尤も、短距離なら、全国各地に、鉄道旅は散らばっている。
しかし、それも殆どの旅は、もう、10年も前のことになるので、時代は変わっているのかも知れない。
首都圏の電車では、大体、本を読んでいるのだが、東京を離れると、そんな無粋なことをせずに、静かに車窓からの景色の移り変わりを見ている方が多い。
変な文章を綴ってしまったが、明日は、海外での鉄道旅について書いてみたい。