熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ヘンリー・キッシンジャー著「国際秩序」(2)日本

2016年08月18日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   キッシンジャーは、本書第5章「アジアの多様性」の中で、日本とインドについて書いている。
   この本を読んでいて感じるのは、巷にあるようなカレントトピックス風の解説書等ではなく、国際関係論や国際外交史と言った純然たるテキストであり、読み応え十分である。

   日本について、10ページほどの記述だが、日本人は神の子孫だとする公の思想や、中国文化との接触などから語り始めて、島国であることによる大幅な自由裁量に恵まれた特殊性などから国際問題に入っており、時系列的に、日本歴史を追っているのだが、比較的、好意的な日本論である。

   豊臣秀吉の大民国征服を意図した朝鮮遠征や江戸時代の鎖国と外国排斥、ぺリー来訪による劇的な変遷、明治維新の成功と近代化によって、短期間に、ウエストファリア世界秩序の一員として躍り出た経緯などを書いていて面白い。

   先の大戦による大災厄を、ペリーに対応したと同じやり方で順応して、たぐいまれなる国の文化を基盤とする不屈の国民精神で、回復力を維持したが、これを発揮して、2011年の3.11の大地震、津波、原子力発電所事故をも乗り切っている。としている。

   興味深いのは、戦後日本の進化は、冷戦の争いから戦略の方向性から切り離して、経済発展の改革プログラムに集中するために、それを払いのけたと指摘していることである。
   日本は、法的には、先進民主主義にの陣営に身を置きながら、その時代のイデオロギー闘争に加わることを拒んだ、この巧みな戦略で、明治維新後に匹敵する猛烈な経済成長を成し遂げたと言うのである。
   巧みな戦略と言うよりも、巨大なアメリカの傘下にある政治経済社会体制を敷いていたので、イデオロギーの入り込む余地などなかったであろうし、経済成長に脇目を振っている余裕などなかったのであろう。

   最近については、アジアの力の均衡の劇的な変化に対応して、安倍首相のもとで強力な国家指導体制が戻り、日本政府が評価に基づいて行動する許容度が変り、日本は、脅威を「抑止し」、必要とあれば「打破する」能力を強化する。憲法によって戦争を禁じられることのない軍隊を保有し、積極的な同盟政策を行える「普通の国」になりたいと言う案某を口にするようになった。と指摘している。
   日米安保条約が締結されている同盟国の日本の対応の変化であるから、アメリカとしては、大歓迎なのであろう。

   最後に、キッシンジャーは、日本の歴史上の転換点として、中韓の隆盛などアジア情勢の変化を勘案しても、国際秩序における役割を、もっと幅広いものに定義しなおす必要に言及して、
   アメリカとの同盟の効用と実績を吟味し、幅広い相互利益に役立てるためにも、日本は、次の三つの選択肢の観点から、役割を分析するであろう。
   ①アメリカとの同盟に重点を置き続ける。
   ②中国の勃興に適応する。
   ③ますます国家主義的になる外交政策に依存する。
   三つの内のどれが支配的になるのか、それとも三つを勘案した選択になるのかは、アメリカの公式な確約とは無縁に、グローバルな力の均衡を日本がどう計算し、基調をなす潮流をどう読み取るのかにかかっている。と言う。

   キッシンジャーの指摘する三つの選択肢がそれだけなのかは、問題だが、諸般の事情を勘案すれば、日本は、平和憲法を維持する以上は、独立独歩では、国家体制を維持できないであろう(?)から、①のアメリカとの同盟の維持は必須であろう。
   しかしながら、政治的にも経済的にも、隣国の中国や巨大なアジアとの友好的な外交通商関係の維持は、極めて大切なので、中国との関係をどうすのか、②に対する配慮見当も大切であると考えられる。
   ③については、平和日本を70年以上も堅持してきた以上、多少は、国家主義的な動きが力を増そうとも、大局には問題はなかろうと思っている。

   キッシンジャーは、「普通の国」の「普通」の定義がアジアの秩序の維持に関わってくる筈だと言っているのだが、いずれにしろ、日本にとっては、アメリカとどう付き合うかが、今後とも、最も重要なポイントであることは、変りがないと思っている。
コメント
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