今回は、小野小町の能で、深草少将の百夜通いがテーマになっている。
ツレの小野小町は、前ツレで老女(面・深井)として登場し、中入りして、後場では、若い女(面・小面)として再登場するので、衣装が変る。
この日、「装束付け実演解説」があって、後ツレの装束付けが実演されたが、中入り後5分で、衣装付けするのだと言う。
シテが、後場しか登場しないのも、興味深い。
ストーリーは、
八瀬の山里の僧(ワキ/江崎欽次朗)のところに、毎日木の実を供えにくる女(ツレ/観世芳伸)がいて、ある日、名を尋ねると、市原野に住む者の霊と答え、供養を頼んで消える。僧が市原野に行って供養していると、小野小町の霊が現れ弔いに感謝するが、小町に恋い焦がれていた深草少将の幽霊(シテ/山階彌右衛門)が現れて、小町の成仏を妨げる。少将は、懺悔に生前の百夜通いの様子を再現して僧に見せ、100日目に、小町との祝言に、「飲酒戒」を守って酒を止めようとしたことによって、仏縁を得て、小町もろともに成仏する。
この能の終幕の立働きで、100日目に、紅の狩衣の着付けを上品に調えて小町との祝言に臨もうと出かけるのだが、嬉し盃を交わせば、仏の戒めである「飲酒戒」を犯すことになるので、これを止めようとした、この思いが、専心一念の悟りとなって、小野小町も少将も、多くの罪を消滅して成仏した。と言う話であるが、私には解せない世界。
尤も、深草少将も実在しなければ、百夜通いも伝説に過ぎないのだが、物語は、恋する少将に、小町が、「百夜、通い続けてくれれば晴れて契りを結ぼう」と言ったので、それを信じて少将が百夜通いに挑む。と言う話。
古今和歌集から見ると、小町は、言い寄ってくる男には拒絶する女と言うイメージが浮かび上がるらしいのだが、この百夜通いも、少将が諦めるであろうと思って口から出た言葉だと言う設定であろうか。
能「恋重荷」で、菊の世話をする山科の荘司が、白河院の女御に憧れて、持ち上がりさえしない重荷を持って、庭を百度、千度廻れば、姿を拝ませてやると言われて、憤死する話と同じであろう。
銕仙会の解説では、「通小町」は、
”人をうらみ、自らを嘆き、さまざまな感情が心中に渦巻きながらも、九十九夜のあいだ女のもとへ通い詰めた男。生きること、恋することの苦悩と、そこに差してきた一縷の光。”
「能を読む①」では、
”四位少将と小町の邪婬、それゆえの堕獄、受戒による救済。”と言うのだが、観阿弥の作だとか、世阿弥の手も加わっているらしいと言うのであるから、大曲なのであろう。
深草の少将の住まいがあったと言われているのは、深草にある墨染欣浄寺、京阪墨染駅から西へ疏水を越えて歩けばすぐなのだが、ここから、真っすぐ東に向かって、およそ5キロの道を、毎夜、山科の小野の随心院へ通ったと言う想定である。
途中に、小栗栖山が横たわっているので、少し、北に上って、かなり起伏のある今の名神高速道路沿いあたりの道を歩いたと思うのだが、雨の日も風の日も、冬の寒い時期に通ったと言うから、並大抵の努力では、続く筈がなく、満願の100日目に、途中で発作を起こして死んでしまうと言うのである。
私には、女性の気持ちは分からないが、男なら、下種な話かも知れないが、直感的に好きか嫌いか分かっている場合が普通であろうから、「〇〇すれば、恋を叶える」と言ったような話など、絵空事であることくらいは分かる筈だと思うのだが。
恋は素晴らしい。
恋を昇華出来るところが、動物と違うところ、人間の特権だと思う。
しかし、芝居でも、実らない恋の話は、好きではなく、悲しくなる。
受戒を受けて成仏しようとする小町を制して、「死してなお私を独り遺そうというのか…。」と、男の霊(シテ)が、小町の袖にすがりつく哀れな姿は、見るに堪えない。
随分前に、山科から、醍醐の三宝院を経て、宇治を訪れた時に、二回ほど、小野の随心院を訪れて、小野小町を忍んだことがあるが、しっとりとした良いお寺である。
ツレの小野小町は、前ツレで老女(面・深井)として登場し、中入りして、後場では、若い女(面・小面)として再登場するので、衣装が変る。
この日、「装束付け実演解説」があって、後ツレの装束付けが実演されたが、中入り後5分で、衣装付けするのだと言う。
シテが、後場しか登場しないのも、興味深い。
ストーリーは、
八瀬の山里の僧(ワキ/江崎欽次朗)のところに、毎日木の実を供えにくる女(ツレ/観世芳伸)がいて、ある日、名を尋ねると、市原野に住む者の霊と答え、供養を頼んで消える。僧が市原野に行って供養していると、小野小町の霊が現れ弔いに感謝するが、小町に恋い焦がれていた深草少将の幽霊(シテ/山階彌右衛門)が現れて、小町の成仏を妨げる。少将は、懺悔に生前の百夜通いの様子を再現して僧に見せ、100日目に、小町との祝言に、「飲酒戒」を守って酒を止めようとしたことによって、仏縁を得て、小町もろともに成仏する。
この能の終幕の立働きで、100日目に、紅の狩衣の着付けを上品に調えて小町との祝言に臨もうと出かけるのだが、嬉し盃を交わせば、仏の戒めである「飲酒戒」を犯すことになるので、これを止めようとした、この思いが、専心一念の悟りとなって、小野小町も少将も、多くの罪を消滅して成仏した。と言う話であるが、私には解せない世界。
尤も、深草少将も実在しなければ、百夜通いも伝説に過ぎないのだが、物語は、恋する少将に、小町が、「百夜、通い続けてくれれば晴れて契りを結ぼう」と言ったので、それを信じて少将が百夜通いに挑む。と言う話。
古今和歌集から見ると、小町は、言い寄ってくる男には拒絶する女と言うイメージが浮かび上がるらしいのだが、この百夜通いも、少将が諦めるであろうと思って口から出た言葉だと言う設定であろうか。
能「恋重荷」で、菊の世話をする山科の荘司が、白河院の女御に憧れて、持ち上がりさえしない重荷を持って、庭を百度、千度廻れば、姿を拝ませてやると言われて、憤死する話と同じであろう。
銕仙会の解説では、「通小町」は、
”人をうらみ、自らを嘆き、さまざまな感情が心中に渦巻きながらも、九十九夜のあいだ女のもとへ通い詰めた男。生きること、恋することの苦悩と、そこに差してきた一縷の光。”
「能を読む①」では、
”四位少将と小町の邪婬、それゆえの堕獄、受戒による救済。”と言うのだが、観阿弥の作だとか、世阿弥の手も加わっているらしいと言うのであるから、大曲なのであろう。
深草の少将の住まいがあったと言われているのは、深草にある墨染欣浄寺、京阪墨染駅から西へ疏水を越えて歩けばすぐなのだが、ここから、真っすぐ東に向かって、およそ5キロの道を、毎夜、山科の小野の随心院へ通ったと言う想定である。
途中に、小栗栖山が横たわっているので、少し、北に上って、かなり起伏のある今の名神高速道路沿いあたりの道を歩いたと思うのだが、雨の日も風の日も、冬の寒い時期に通ったと言うから、並大抵の努力では、続く筈がなく、満願の100日目に、途中で発作を起こして死んでしまうと言うのである。
私には、女性の気持ちは分からないが、男なら、下種な話かも知れないが、直感的に好きか嫌いか分かっている場合が普通であろうから、「〇〇すれば、恋を叶える」と言ったような話など、絵空事であることくらいは分かる筈だと思うのだが。
恋は素晴らしい。
恋を昇華出来るところが、動物と違うところ、人間の特権だと思う。
しかし、芝居でも、実らない恋の話は、好きではなく、悲しくなる。
受戒を受けて成仏しようとする小町を制して、「死してなお私を独り遺そうというのか…。」と、男の霊(シテ)が、小町の袖にすがりつく哀れな姿は、見るに堪えない。
随分前に、山科から、醍醐の三宝院を経て、宇治を訪れた時に、二回ほど、小野の随心院を訪れて、小野小町を忍んだことがあるが、しっとりとした良いお寺である。
