熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

鉄道の旅の思い出数々あれど(海外 その4)

2016年08月21日 | 生活随想・趣味
   この口絵写真は、ヴェニスのサンタ・ルチア駅。
   普通は、飛行機でヴェニスに入るのだが、少なくとも、2回は、キャサリン・ヘップバーンのように、長い鉄橋を渡って鉄路で、この駅に着いた。
   最初は、40年以上も前の初めてのヨーロッパ旅でもあり、案内所も混雑していたので、危険だとは思ったが、ホテルは、サンマルコ近くであることだけ確認して、旅館の客引きに従った。
   ローマの時もそうでだったが、多少のトラブルはあっても、十分な情報もなければ、どうにか対応できるのである。

   その後のヨーロッパ旅は、ミシュランの赤本と緑本の旅行案内を克明に調べて、鉄道の旅はクック社の時刻表を参考にして、事前にホテルの予約をして出発した。
   インターネットが使えるようになってからは、ミシュランは手放せなかったが、鉄道などは、詳細な時刻表が表示されるし、インターネットで予約できるので、これを使って、殆どの旅程と予約を確定して出発した。
   勿論、オペラのチケットなども、アメリカやヨーロッパは勿論、チャコやロシアでも、すべてインターネットで取得してきたが、問題が起きたことはなかった。

   さて、サンタルチア駅も、殆どどこもそうだが、ホームのあるところは至って殺風景で、大きな工場のようで味気ない。
   下記は、最近のフィレンツェの駅構内の写真だが、何処の駅も、映画の「終着駅」や「旅情」や「哀愁」のようなムードもなければ、騒がしいだけだが、駅によっては、立派なショッピングやレストランコーナーがあったりして、楽しめるところもある。
   

   このヴェニス駅から、特急でミラノに向かった時には、大体、空席があるのでたかをくくって出たのが悪くて満員で、列車を移動しても空席がなく困った。
   この時、車掌が使用しているボックスが、車両の途中にあってそれが開いていた。
   検札に回っているので、殆ど席にいないのだが、当然のこととして客席にするわけに行かない。
   抵抗したのだが、頼み込んで、2席だけ保留して、4席あけてくれた。
   ところが、横にいたアメリカ人夫婦が、当然の権利だと思って、ついてきてコンパートメントに入って来たので、娘を廊下に残した。
   イタリアだから、色々ある。

   もう一つ困ったのは、ベローナに行く時、禁煙席の予約をミスって、立派な車両だったが、移動できずに煙草の煙と匂いに困ったことがある。
   喫煙者の気持ちは分からないのだが、自分たちでも、煙のもうもうしたところで喫煙するのは不味いのであろう、客が、禁煙車の荷物などの接続室で煙草を吸っていたので、モラル違反だろうと言ったら、すごすご喫煙室へ帰って行った。

   仕事でも、結構、ヨーロッパでは、鉄道を使った。
   ドイツやスイスなどでは、鉄道の方が便利な時がある。
   それに、アウトバーンを走ってみたが、ドイツでの都市間のビジネス移動は、ベンツやアウディで飛ばした方が便利である。
   ドイツで思い出深いのは、デュッセルドルフからフランクフルトまで、ルフトハンザの鉄道便を使って移動したことである。
   普通の飛行機の時刻表に載っている正規の便で、乗るのが飛行機か鉄道かの違いで、機内食のサービスなども飛行機と全く変わらない。
   途中、車窓から、ライン川やドイツの美しい風景が展開して、楽しいひと時を過ごすことが出来た。

   もう一つ、ドイツでの列車での思いでは、ベルリンの壁が崩壊した直後に、東ドイツの市場調査に行った時に、東ベルリンからライプチッヒまで、鉄道で移動した。
   記憶は定かではないのだが、とにかく、戦時中の厳つい古色蒼然とした列車で、何となく、封印列車に乗るような感じで、無性に不安だったのを覚えている。
   ライプチッヒもドレスデンも、素晴らしい都市であった筈だが、戦後の爪痕は酷くて、半世紀近く経っていたのに、見る影もなかった。

   フランスでの鉄道旅は、パリからブラッセルを経てアムステルダムまでの旅である。
   その時は、オランダに駐在していたので、少し時間があり、1時間で行けるKLMを避けて、ゆっくりと鉄道旅で田舎を見ようと思ったのである。
   確かTEEで、立派な食堂車がついていたので、そこで、昼食をとることにした。
   当然、フランス料理だが、ミシュランのレストランを歩いていた頃でもあったので、上等のワインを注文して、結構時間があったので、車窓の景色を楽しみながら、アムステルダムに帰った。
   このアムステルダム駅だが、東京駅のモデルになったとかで絵葉書では奇麗なのだが、プラットフォームやコンコースなどは、絵にはならない。

   北欧は、ノルウェーのオスロからベルゲンまで、鉄道に乗った。
   予定の変更をオスロ駅で行ったのだが、ノルウェー語が大半で、窓口が良く分からず、チケットを確保するのに苦労した。
   今でこそ、殆どの国がEUなので、かなり、移動が楽になったが、言葉だけは、まだまだ旅の障壁で、ドイツ語とポルトガル語を少し程度の知識ではだめで、英語一本で押し通したので、結構、あっちこっちで誤解やトラブルがあった。
   家族旅行では、当然、交渉するのは私一人で、娘が大学生になってからは助手をしてくれた。

   ヨーロッパの鉄道は、広軌の所為もあるのだろうが、日本のJRの列車のようにスマートな感じはなく、とにかく、厳つくて大きな感じで圧倒される雰囲気である。
   途中、険しい山間部を猛烈な勢いで走っているので、デッキ近くに出て外を見たら、凄い迫力であった。
   列車の旅でよいのは、列車を下りて駅を出れば、すぐに、街の中であることである。

   スペインでは、飛行機便をキャンセルして、田舎の景色を見たくて、コルドバからマドリードまで、特急に乗った。
   日本の新幹線とは全く遜色なく、綺麗な列車であったが、とにかく、スペインの田舎は、森あり林あり、焼け焦げたような荒野あり、砂漠あり、葡萄畑あり、実に変化に富んでいて絵のように美しいのである。

   イギリスに5年間もいながら、イギリスの鉄道は、それ程でもなく、ロンドンから友人がいたギルフォードを何度か往復した。
   それに、シェイクスピア戯曲を聴きに、シェイクスピアの故郷ストラート・アポン・エイヴォンへも何度も通ったので、車が多かったが、列車も使った。
   美しいイングランドの田園風景が楽しませてくれる。
   これも、何回か往復したのは、ケント大学に留学していた次女を訪ねて、ロンドンからカンタベリーの鉄道旅である。
   残念だったのは、ユーロトンネル工事の途中フォークストン駅建設工事の視察に入ったのだが、ユーロトンネルを越えてパリへ行ったことはない。
   一度、スコットランドへの旅で、ロンドンからニューキャッスルまで、夜行の車載用寝台車を予約したのだが、オランダでの商談が長引いてロンドンに帰れず、結局翌日、車を飛ばした。

   面白いのは、欧米各地で乗ったメトロや市電などの思い出だが、これで、一応、鉄道旅の思い出を〆たいと思う。
コメント
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