Rioオリンピックでの日本人選手たちの活躍を見ていると嬉しい。
開会式の放映で、リオの風景が映し出されて、見慣れた風景が浮かび上がると、無性に懐かしくなった。
はるか昔、1974年から1779年まで、ブラジルのサンパウロに在住していたので、リオへは、仕事や観光で良く訪れていた。
その前は、フィラデルフィアでのMBA留学の2年間であったので、何となく、腰掛気分の海外生活であったのだが、ブラジルでは、仕事をして実績を上げなければならないし、家族も帯同しての本格的な海外生活なので、緊張を要した。
当時のブラジルは、大変な好景気で、鳴り物入りで囃されたBRIC'sの比ではなく、大変なブラジルブームで、草木も靡く勢いで、日本企業が大挙してブラジルに殺到した。
しかし、最近のブラジル経済の失速と同様に、ブームは長続きせず、世界でも屈指の経済的資源に恵まれながらも、何時まで経っても、ブラジルは「未来の国」である。
あの当時も、サンパウロには、高層ビルが何千棟も林立する巨大な近代都市であったが、一方、中心から離れると貧民街ファベーラが広がっていると言う二重国家の様相を呈していたが、今も、リオの風景を見ていると、美しい海岸沿いの近代都市の横に山手に向かって、びっしりと低層のファベーラが広がっていて、殆ど変わっていない。
ルーラ大統領の時に、大規模な貧民救済政策を実施したが、深刻な経済格差は解消されず、治安の悪さが依然として問題となっている。
尤も、私自身は、リオを訪れても、コパカバーナやイパネバ海岸沿いの高級街や官庁ビジネス街しか行ったことがないので、ファベーラは知らない。
しかし、一度だけ、友人の紹介で、日本にサンバ演奏団に参加して訪日したと言う演奏者を訪れて、サンパウロのファベーラに行ったことがあるのだが、あのリオのカーニバルでもそうだと思うのだが、多くの音楽家やダンサーたちは、ファベーラに住んで居たりするようで、正に、「黒いオルフェ」の世界であった。
もう一つ、印象的であったのは、カーニバルやサンバに繰り出すブラジル人の多くは、庶民たちであって、金持ちたちは、ホテルや大会場を借り切って大パーティを開いて、自分たち自身のカーニバルやサンバを楽しむようで、私も一寸覗いただけだが、華やかで楽しそうであった。
もっと金持ち連中は、外国に出て、楽しむのだと言う。
何時まで経っても、ブラジルは二重国家のままなのである。
これによく似た現象は、アルゼンチンのタンゴにも見られるようで、世界遺産に登録されても、まだ、庶民の芸術のようである。
リオでもサンパウロでも、街の一角でのカーニバルの雰囲気を味わったが、大変な雑踏と人混みなので、本格的なカーニバルには見に行かずに、テレビで実況を見ていた。
日本でも、祇園祭くらいで、祭り見物には行っていないので、まあ、仕方がないと思っている。
リオとサンパウロを飛行機で往復すると、チャンスに恵まれると、あの巨大なキリスト像コルコバード(Corcovado)が、機内の窓から綺麗に見える。
車で上ると、かなり高いところへの一本道なので、下手をすると上り切るのに時間がかかる。
ケーブルカーもあるようだが、私は、マイカーで上った。
もう一つ、上から遠望できるリオのシンボルは、頭のないライオンが伏せているようなポン・ヂ・アスーカル(Pão de Açúcar)で、砂糖パンに似ていると言うのでこの名前がある。
とにかく、リオの上空を飛ぶと、飛行コースにも寄るのだが、コルコバード、ポン・ヂ・アスーカル、そして、弧を描くコパカバーナとイパネマの白砂の海岸などの美しい風景が眼下に迫り、最初に見た時には、非常に感動した。
あまりにも美しくピクチャレスクな光景は格別で、ぐんぐんと迫りくる風景は圧倒的であり、その後、プラハで、私が見た一番美しい都市景観だと思って感激した、あの印象と同じである。
さすがにリオでは仕事にならなかったが、多少、時間にも余裕があったので、コパカバーナで、美女たちの写真を撮ったこともあった。
赴任を終えて、ブラジルを離れる前に、コパカバーナ海岸のリオ オットン パレス(
(Rio Othon Palace)に何泊かして、名残を惜しんだ。
薄暗いホテルの高層の窓から望んだ、大西洋のかなたの地平線に浮かび上がる朝日の美しさは、今でも、印象に残っている。
ブラジルについては、このブログの「BRIC’sの大国:ブラジル」ほかで随分書いて来たので、蛇足は避けるが、私にとっては、初めてのかなり長い海外生活の地で、永住権も取得した第二の故郷にも近い思い入れのある国なので、今回のオリンピックについては、平穏無事に成功裏に終わって欲しいと願っている。
少し前に、大分追加勉強して、2年間、群馬県立女子大学で、単発のブラジル学講義を行ったことがあるのだが、歴史上も非常に特異な国ではあるけれど、協創には最高の国だと思っており、日本としては、特に、注目すべき国であろう。
テレビで、オリンピック放送を見ていたら、窓の外で、アゲハチョウが、カノコユリにたわむれ始めたので、フッと、同じような光景を見たブラジルを思い出し、この文章を綴ってみた。
開会式の放映で、リオの風景が映し出されて、見慣れた風景が浮かび上がると、無性に懐かしくなった。
はるか昔、1974年から1779年まで、ブラジルのサンパウロに在住していたので、リオへは、仕事や観光で良く訪れていた。
その前は、フィラデルフィアでのMBA留学の2年間であったので、何となく、腰掛気分の海外生活であったのだが、ブラジルでは、仕事をして実績を上げなければならないし、家族も帯同しての本格的な海外生活なので、緊張を要した。
当時のブラジルは、大変な好景気で、鳴り物入りで囃されたBRIC'sの比ではなく、大変なブラジルブームで、草木も靡く勢いで、日本企業が大挙してブラジルに殺到した。
しかし、最近のブラジル経済の失速と同様に、ブームは長続きせず、世界でも屈指の経済的資源に恵まれながらも、何時まで経っても、ブラジルは「未来の国」である。
あの当時も、サンパウロには、高層ビルが何千棟も林立する巨大な近代都市であったが、一方、中心から離れると貧民街ファベーラが広がっていると言う二重国家の様相を呈していたが、今も、リオの風景を見ていると、美しい海岸沿いの近代都市の横に山手に向かって、びっしりと低層のファベーラが広がっていて、殆ど変わっていない。
ルーラ大統領の時に、大規模な貧民救済政策を実施したが、深刻な経済格差は解消されず、治安の悪さが依然として問題となっている。
尤も、私自身は、リオを訪れても、コパカバーナやイパネバ海岸沿いの高級街や官庁ビジネス街しか行ったことがないので、ファベーラは知らない。
しかし、一度だけ、友人の紹介で、日本にサンバ演奏団に参加して訪日したと言う演奏者を訪れて、サンパウロのファベーラに行ったことがあるのだが、あのリオのカーニバルでもそうだと思うのだが、多くの音楽家やダンサーたちは、ファベーラに住んで居たりするようで、正に、「黒いオルフェ」の世界であった。
もう一つ、印象的であったのは、カーニバルやサンバに繰り出すブラジル人の多くは、庶民たちであって、金持ちたちは、ホテルや大会場を借り切って大パーティを開いて、自分たち自身のカーニバルやサンバを楽しむようで、私も一寸覗いただけだが、華やかで楽しそうであった。
もっと金持ち連中は、外国に出て、楽しむのだと言う。
何時まで経っても、ブラジルは二重国家のままなのである。
これによく似た現象は、アルゼンチンのタンゴにも見られるようで、世界遺産に登録されても、まだ、庶民の芸術のようである。
リオでもサンパウロでも、街の一角でのカーニバルの雰囲気を味わったが、大変な雑踏と人混みなので、本格的なカーニバルには見に行かずに、テレビで実況を見ていた。
日本でも、祇園祭くらいで、祭り見物には行っていないので、まあ、仕方がないと思っている。
リオとサンパウロを飛行機で往復すると、チャンスに恵まれると、あの巨大なキリスト像コルコバード(Corcovado)が、機内の窓から綺麗に見える。
車で上ると、かなり高いところへの一本道なので、下手をすると上り切るのに時間がかかる。
ケーブルカーもあるようだが、私は、マイカーで上った。
もう一つ、上から遠望できるリオのシンボルは、頭のないライオンが伏せているようなポン・ヂ・アスーカル(Pão de Açúcar)で、砂糖パンに似ていると言うのでこの名前がある。
とにかく、リオの上空を飛ぶと、飛行コースにも寄るのだが、コルコバード、ポン・ヂ・アスーカル、そして、弧を描くコパカバーナとイパネマの白砂の海岸などの美しい風景が眼下に迫り、最初に見た時には、非常に感動した。
あまりにも美しくピクチャレスクな光景は格別で、ぐんぐんと迫りくる風景は圧倒的であり、その後、プラハで、私が見た一番美しい都市景観だと思って感激した、あの印象と同じである。
さすがにリオでは仕事にならなかったが、多少、時間にも余裕があったので、コパカバーナで、美女たちの写真を撮ったこともあった。
赴任を終えて、ブラジルを離れる前に、コパカバーナ海岸のリオ オットン パレス(
(Rio Othon Palace)に何泊かして、名残を惜しんだ。
薄暗いホテルの高層の窓から望んだ、大西洋のかなたの地平線に浮かび上がる朝日の美しさは、今でも、印象に残っている。
ブラジルについては、このブログの「BRIC’sの大国:ブラジル」ほかで随分書いて来たので、蛇足は避けるが、私にとっては、初めてのかなり長い海外生活の地で、永住権も取得した第二の故郷にも近い思い入れのある国なので、今回のオリンピックについては、平穏無事に成功裏に終わって欲しいと願っている。
少し前に、大分追加勉強して、2年間、群馬県立女子大学で、単発のブラジル学講義を行ったことがあるのだが、歴史上も非常に特異な国ではあるけれど、協創には最高の国だと思っており、日本としては、特に、注目すべき国であろう。
テレビで、オリンピック放送を見ていたら、窓の外で、アゲハチョウが、カノコユリにたわむれ始めたので、フッと、同じような光景を見たブラジルを思い出し、この文章を綴ってみた。