熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立能楽堂夏スペシャル・・・素の魅力

2016年08月28日 | 能・狂言
   8月の国立能楽堂は、子供のプログラムが入るので、舞台が減る。
   しかし、国立能楽堂夏スペシャルの「素の魅力」公演は、人間国宝能楽師のオンパレードで、豪華な舞台が演じられた。

   演目は、次の通り。
   ◎素の魅力
   仕舞 頼政(よりまさ)  梅若玄祥(観世流)
   狂言謡  御茶の水(おちゃのみず)  山本東次郎・山本則俊(大蔵流)
   狂言語  文蔵(ぶんぞう)  野村萬(和泉流)
   袴能  天鼓(てんこ)  友枝昭世(喜多流)

   玄祥の「頼政」は、シテ 寺と宇治との間にて から、終幕まで。
   宇治川を挟んでの興亡、宇治橋の橋板を外して防戦するも攻め込まれて、味方は敗退し、頼政は、平等院の扇の芝の上で辞世の句を詠んで自害する。
   床几に掛けたまま扇を扱って舞う宇治川の激戦の迫力、決然と意を決しての自刃。
   聴衆は、玄祥の鬼気迫る迫真の舞に息をのんで、切戸へ消えて行く演者への拍手さえ憚れて、静寂だけが場内を圧する。

   この平等院の宇治川河畔は、若かりし頃、宇治分校の一年間、宇治に下宿して通い詰めた散歩道。
   頼政の舞台が彷彿として、無性に懐かしい。

   「御茶ノ水」は、夕暮れ時、野中の清水で水をくむ女を追ってきた新発意とが交わす恋の謡。
   中世の流行歌謡の小歌だと言うのだが、東次郎・則俊掛け合いの朗々とした謡が異次元の世界を醸し出す。

   野村萬の「文蔵」は、狂言の語りの部分だけを、謡、舞とともに演ずる。
   「源平盛衰記」の「石橋山合戦」の模様を、床几に掛けたままで型を交えながらの勇壮な仕方話で表現する。
   これまでに、「奈須与市語」は、何度か聴く機会があったのだが、これは初めてで、迫力のある合戦の模様を、萬は、舞ながら、20分にも及び、緩急自在、強弱リズム感豊かに、朗々と謡い続けた。
   いつもながら、86歳になる萬師の衰えを知らぬ舞台の雄姿を、仰ぎ見ている。

   袴能「天鼓」は、
   前シテ/王伯 後シテ/天鼓 友枝昭世
   ワキ/勅使 宝生欣哉
   アイ/勅使の従者 野村万蔵
   笛 藤田六郎兵衛
   小鼓 大蔵源次郎
   大鼓 亀井忠雄
   太鼓 前川光長
   後見 中村邦生
   地謡 香川靖嗣

   袴能であるから、面、衣装を用いずに、紋付・袴姿で能を演じる。
   作物や小道具を略する場合もあるということだが、鞨鼓台などは、通常通り。
   冷房のない時代には、夏の風物詩だったと言うのだが、面と衣装と言う、見方によっては、障害物を外した直面での舞台での演能は、能楽師にとっては、どうなのであろうか。
   あるいは、面と衣装を用いることによる能本来の心構えとか緊張感など伝統の演能にも、独特のものがあろうし、興味深いところである。

   トップ能楽師たちの醸し出す最高峰の「天鼓」。
   緊張して鑑賞させてもらった。
   
   
   
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