ヨーロッパで確立された最初の世界秩序であるウエストファリア・システムは、価値観として中立であり、どの国でもそのルールを利用でき、他国の国内問題に干渉せず、国境を侵さず、国の国権を尊重し、國際法の遵守を促すものであった。
しかし、流血に疲れ果てた国々が設計したため、力を配分し、温存する方法は重視したが、方向性と言う意識は提供しておらず、正統性をどう生み出すかと言う問題の答えを出していなかった。
第二次世界大戦後の数十年は、アメリカが、国際リーダーシップを発揮して、国際秩序の探求に新しい広がりを見せ、世界共同体と言う意識が高まりつつあった。
自由と代議制体で築かれたアメリカは、自由と民主主義を広めることと自国の隆盛と同一視し、それらの思想には世界に根付いたことのない正義と長続きする能力があると信じた。
民主主義の拡大が、国際秩序のための重要目標であり、自由市場経済システムが、個人の地位を高め社会を富ませ、従来の敵対関係を経済協力関係に置き換え得ると考えた。
当時の冷戦は、共産主義者の一時的な異常行動で、ソ連は遅かれ早かれ、国家のコミュニティに復帰する筈で、新しい世界秩序は、地球上のすべての地域を包含する。
そう考えて、アメリカは、何世代にもわたる世界秩序の構築に努力し、この進化に大きく貢献してきたと、キッシンジャーは述べている。
ところが、この秩序は、ウエストファリア・システムと同じように問題に直面する。
地政学の世界では、欧米諸国によって確立され、普遍的であると宣言された秩序が、何の合意もないので、民主主義、人権、国際法の概念を、敵対する勢力が様々に解釈し、相手を攻撃するスローガンとして頻繁に利用するなど、転機を迎えた。
内部崩壊する地域秩序、宗派同士の激しい殺し合い、テロリズム、処理と言う状況なしの戦争・・・民主主義と自由市場を広めれば自動的に公正で平和で、排他的ではない世界が創られると言う、冷戦後の楽観的な思い込みが暗礁に乗り上げたのである。
キッシンジャーは、国際秩序は、いつか、結合力を脅かす、二つの傾向、すなわち、正統性の定義の見直しか、力の均衡の大きさの変動に直面すると言う。
最初の例は、イスラム勃興、フランス革命、共産主義とファシズム、現在の中東の脆弱な国家構造に対するイスラム主義者が行った攻撃。
次は、ソ連の崩壊、20世紀のドイツの台頭、中国の台頭。
この二つの局面の秩序・・・力と正統性・・・を均衡させることが偉大な政治家の神髄だと言う。
この不均衡が大きくなるにつれて、21世紀の世界秩序の構造は、三つの重要な局面で欠陥があることを露呈した。
第一は、国家。
ヨーロッパは、EUに国家としての特質を与えておらず、中東の一部では、宗派や民族に細かく分離互いに抗争、崩壊国家の存在、等々。
第二は、世界の政治・経済構造の互いの対立。
政治構造は相変わらず国民国家が基本だが、経済グローバリゼーションは国境を無視。国の対外政策は、国境地帯を重視。等々国際秩序はパラドックスに直面。
第三は、大国が相談にのり協力する仕組みがない。
国連安保理、NATO,EU,G7,G20、APEC 等々不十分。
キッシンジャーは、国際システムの再建は、私たちの時代の政治家が力量を問われる最大の難問だと言う。
失敗の代償は、国家同士の大規模な戦争ではなく、独自の国内構造や経済形態で結びついた勢力圏―――例えば、過激なイスラムに対するウエストファリアのモデルというように―――への発展になるだろう。現代の世界秩序の探求には、様々な地域「内」に秩序の概念を確立する統一のとれた戦略が求められると言うのである。
キッシンジャーは、
個人の尊厳と参加方式の統治を認め、合意されたルールに従った国際的に強調する国家秩序に、望みをつなぐことが出来るとして、21世紀の世界秩序の進化において責任ある役割を果たすために、アメリカは、数々の疑問に答える覚悟が必要だ。と言う。
万国共通の原理を賛美するには、他の地域の歴史や文化と言う現実への認識が伴わなければならないし、現代の歴史で、人間自由の探求をきっぱりと表明し、人道的な価値観の擁護に欠かすことが出来ない地政学的勢力として―――方向性に意識を保って行かなければならない。と言っている。
しっかりしたアメリカが、時代の数々の難問に取り組み、極めて重要な哲学的・政治的役割を担って行くだろうが、世界秩序は一国が単独で行動しても達成できない。本物の世界秩序を打ち立てるには、それを構成する国々が、自らの価値観を維持しつつ、グローバルで、構造的で、司法的な第二の文化―――ひとつの国もしくは地域の思想を超越する秩序の概念―――を身につける必要がある。として、
キッシンジャーは、アメリカが主体となって、現時点では、今の状態に即したウエストファリア・システムの現代化を図るべきだと提言している。
私が、この本を読んでいて感じたのは、キッシンジャーは、アメリカの世界における別格の役割を、肯定していることで、この思いを託して、
戦後の12代の大統領が、いずれも、紛争の解決とすべての国々の平等のために、アメリカが無私の探求の旅に乗り出すのは、自明の理だとしていた。そこでは、世界平和と万民の調和が、成功の至高の基準になる筈だった。二大政党の大統領総てが、アメリカの原理を全世界に適用することが出ると宣言してきた。なかでももっとの感銘をあたえた発言は、ジョン・F・ケネディ大統領の・・・と書いている。
私が、大学で学び始めた経済学では、日本だったからかもしれないが、アメリカのMNCが、中南米で搾取している実態などを暴いた米帝国主義の動向が脚光を浴びていたが、しかし、その後、フィラデルフィアに留学した頃には、まだ、キッシンジャーの言う明るくて大らかなアメリカの民主主義のオーラが、確かに、アメリカには残っていた。
ウオーターゲート事件で、ニクソン政権の末期であったが、あの事件さえなければ、中国と国交を開いたニクソンであったから、もっとこの路線を踏襲して偉業を成し遂げていたであろうと思っている。
この本は、現代の戦争と平和の歴史を克明に分析した国際秩序論とも言うべきで、アメリカの覇権や力の凋落と言ったことには直接触れずに、前述したように、正統性や力の均衡、国家やシステムの変革など多極化したグローバル構造の視点から説き起こしていて、現代世界史として読んでも、非常に面白い。
しかし、ピケティに触発されたためではなかろうが、現在のアメリカは、深刻な経済格差の拡大によって国家を二分するような状態となり、ティーパーティの台頭だけかと思ったら、トランプやサンダース現象など、アメリカの民主主義のみならず、政治経済社会を根底から揺すぶるような動きが見え始めている。
アメリカが揺れ始めると、どうにか持っている現在の国際秩序まで危うくなってしまう。
追記ながら、グーグルのエリック・シュミット会長から聞いたと言って、第9章「テクノロジー、釣り合い、人道的良心」で、インターネットについて、かなり、詳しく書いているのが興味深い。
しかし、流血に疲れ果てた国々が設計したため、力を配分し、温存する方法は重視したが、方向性と言う意識は提供しておらず、正統性をどう生み出すかと言う問題の答えを出していなかった。
第二次世界大戦後の数十年は、アメリカが、国際リーダーシップを発揮して、国際秩序の探求に新しい広がりを見せ、世界共同体と言う意識が高まりつつあった。
自由と代議制体で築かれたアメリカは、自由と民主主義を広めることと自国の隆盛と同一視し、それらの思想には世界に根付いたことのない正義と長続きする能力があると信じた。
民主主義の拡大が、国際秩序のための重要目標であり、自由市場経済システムが、個人の地位を高め社会を富ませ、従来の敵対関係を経済協力関係に置き換え得ると考えた。
当時の冷戦は、共産主義者の一時的な異常行動で、ソ連は遅かれ早かれ、国家のコミュニティに復帰する筈で、新しい世界秩序は、地球上のすべての地域を包含する。
そう考えて、アメリカは、何世代にもわたる世界秩序の構築に努力し、この進化に大きく貢献してきたと、キッシンジャーは述べている。
ところが、この秩序は、ウエストファリア・システムと同じように問題に直面する。
地政学の世界では、欧米諸国によって確立され、普遍的であると宣言された秩序が、何の合意もないので、民主主義、人権、国際法の概念を、敵対する勢力が様々に解釈し、相手を攻撃するスローガンとして頻繁に利用するなど、転機を迎えた。
内部崩壊する地域秩序、宗派同士の激しい殺し合い、テロリズム、処理と言う状況なしの戦争・・・民主主義と自由市場を広めれば自動的に公正で平和で、排他的ではない世界が創られると言う、冷戦後の楽観的な思い込みが暗礁に乗り上げたのである。
キッシンジャーは、国際秩序は、いつか、結合力を脅かす、二つの傾向、すなわち、正統性の定義の見直しか、力の均衡の大きさの変動に直面すると言う。
最初の例は、イスラム勃興、フランス革命、共産主義とファシズム、現在の中東の脆弱な国家構造に対するイスラム主義者が行った攻撃。
次は、ソ連の崩壊、20世紀のドイツの台頭、中国の台頭。
この二つの局面の秩序・・・力と正統性・・・を均衡させることが偉大な政治家の神髄だと言う。
この不均衡が大きくなるにつれて、21世紀の世界秩序の構造は、三つの重要な局面で欠陥があることを露呈した。
第一は、国家。
ヨーロッパは、EUに国家としての特質を与えておらず、中東の一部では、宗派や民族に細かく分離互いに抗争、崩壊国家の存在、等々。
第二は、世界の政治・経済構造の互いの対立。
政治構造は相変わらず国民国家が基本だが、経済グローバリゼーションは国境を無視。国の対外政策は、国境地帯を重視。等々国際秩序はパラドックスに直面。
第三は、大国が相談にのり協力する仕組みがない。
国連安保理、NATO,EU,G7,G20、APEC 等々不十分。
キッシンジャーは、国際システムの再建は、私たちの時代の政治家が力量を問われる最大の難問だと言う。
失敗の代償は、国家同士の大規模な戦争ではなく、独自の国内構造や経済形態で結びついた勢力圏―――例えば、過激なイスラムに対するウエストファリアのモデルというように―――への発展になるだろう。現代の世界秩序の探求には、様々な地域「内」に秩序の概念を確立する統一のとれた戦略が求められると言うのである。
キッシンジャーは、
個人の尊厳と参加方式の統治を認め、合意されたルールに従った国際的に強調する国家秩序に、望みをつなぐことが出来るとして、21世紀の世界秩序の進化において責任ある役割を果たすために、アメリカは、数々の疑問に答える覚悟が必要だ。と言う。
万国共通の原理を賛美するには、他の地域の歴史や文化と言う現実への認識が伴わなければならないし、現代の歴史で、人間自由の探求をきっぱりと表明し、人道的な価値観の擁護に欠かすことが出来ない地政学的勢力として―――方向性に意識を保って行かなければならない。と言っている。
しっかりしたアメリカが、時代の数々の難問に取り組み、極めて重要な哲学的・政治的役割を担って行くだろうが、世界秩序は一国が単独で行動しても達成できない。本物の世界秩序を打ち立てるには、それを構成する国々が、自らの価値観を維持しつつ、グローバルで、構造的で、司法的な第二の文化―――ひとつの国もしくは地域の思想を超越する秩序の概念―――を身につける必要がある。として、
キッシンジャーは、アメリカが主体となって、現時点では、今の状態に即したウエストファリア・システムの現代化を図るべきだと提言している。
私が、この本を読んでいて感じたのは、キッシンジャーは、アメリカの世界における別格の役割を、肯定していることで、この思いを託して、
戦後の12代の大統領が、いずれも、紛争の解決とすべての国々の平等のために、アメリカが無私の探求の旅に乗り出すのは、自明の理だとしていた。そこでは、世界平和と万民の調和が、成功の至高の基準になる筈だった。二大政党の大統領総てが、アメリカの原理を全世界に適用することが出ると宣言してきた。なかでももっとの感銘をあたえた発言は、ジョン・F・ケネディ大統領の・・・と書いている。
私が、大学で学び始めた経済学では、日本だったからかもしれないが、アメリカのMNCが、中南米で搾取している実態などを暴いた米帝国主義の動向が脚光を浴びていたが、しかし、その後、フィラデルフィアに留学した頃には、まだ、キッシンジャーの言う明るくて大らかなアメリカの民主主義のオーラが、確かに、アメリカには残っていた。
ウオーターゲート事件で、ニクソン政権の末期であったが、あの事件さえなければ、中国と国交を開いたニクソンであったから、もっとこの路線を踏襲して偉業を成し遂げていたであろうと思っている。
この本は、現代の戦争と平和の歴史を克明に分析した国際秩序論とも言うべきで、アメリカの覇権や力の凋落と言ったことには直接触れずに、前述したように、正統性や力の均衡、国家やシステムの変革など多極化したグローバル構造の視点から説き起こしていて、現代世界史として読んでも、非常に面白い。
しかし、ピケティに触発されたためではなかろうが、現在のアメリカは、深刻な経済格差の拡大によって国家を二分するような状態となり、ティーパーティの台頭だけかと思ったら、トランプやサンダース現象など、アメリカの民主主義のみならず、政治経済社会を根底から揺すぶるような動きが見え始めている。
アメリカが揺れ始めると、どうにか持っている現在の国際秩序まで危うくなってしまう。
追記ながら、グーグルのエリック・シュミット会長から聞いたと言って、第9章「テクノロジー、釣り合い、人道的良心」で、インターネットについて、かなり、詳しく書いているのが興味深い。