ウィリアム・ハーディー・マクニール(William Hardy McNeill)は、トインビー以来の大歴史学者だと言われている。
ベストセラーの「世界史」を読もうと思ったのだが、息子との共著のこの本、(原書の著者のタイトルが、J・R・McNeillが先になっているから主に息子の執筆かもしれない)が、新しい著作だし、簡便であろうと考えて、先に読み始めた。
この本のタイトルは、”The Human Web: A Bird's-Eye View of World History”で、
two renowned historians, father and son, explore the webs that have drawn humans together in patterns of interaction and exchange, cooperation and competition, since earliest times.
世界の歴史の初期から、相互作用や交換、協力や競争と言った形で人類を結びつけてきたウエブを探求して、世界史を説き起こそうとする俯瞰図的な書物と言うことである。
ウエブとは、人と人とを繋ぐ色々な結びつきで、様々な旧世界の文明の相互作用、特に、1500年以降の西洋文明が齎した影響を活写することで世界史を展望したマクニールにとっては、世界史を論ずる格好のテーマなのであろう。
ユーラシア大陸と北アフリカの大部分にまたがる最大の「旧世界のウェブ」が、多数の小さなウェブを統合して、単一の「コスモポリタン・ウェブ」となって、電子化されてはるかに迅速な交流が可能になって、今日では、誰もが単一のグローバルなウェブの中で暮らしていると言う。
まず、私が関心を持った問題意識は、これまで、周知の事実として論じられている四大文明が、どのように関連して発展してきたのか、そのウェブを、現在の世界歴史論としては、どう論じているのか、マクニールの見解を知りたいと言うことであった。
緊密なコミュニケーションの交点が、地球上の四か所で文明化の過程を生み出した。最古の文明は三つの川―――メソポタミアのチグリス・ユーフラテス川、エジプトのナイル川、パキスタンのインダス川とその支流―――に沿った水の豊かな土地で起こった。と言う。
紀元前3500-3000年頃にチグリス・ユーフラテス河口付近に誕生したシュメール人の10あまりの都市は、エジプト文明やインダス文明に先んじてはいたが、沿岸部の海路とそれを補う陸路のキャラバンが、三つの文明の交流を支えており、この三つの文明は、最初から相互に交流し合う一つの文明「ナイル=インダス回廊」ウェブを形成したと言っているのである。
エジプトだが、シュメール文化との初期の関係についても明白な考古学的影響がある。
古代エジプトは、泥煉瓦ではなくて石を使い、独自の技術や芸術様式を急速に発展させたが、最初期の階段ピラミッドには、シュメールの建築様式を意識して取り入れている。
シュメールの文字がゆっくりと発達したのに対して、エジプトの文字は最初から完成されたように見えるのは、ヒエログリフも楔形文字を意識的に模倣したからではないかとも言っている。
インダス文明のシュメールとの関りについては、マクニールは殆ど触れていないが、モヘンジョ・ダロやハラッパの遺跡で発掘されるシュメールの印章そのたの人工物は、シュメールとの交易があったことを証明している。海岸伝いの航路によって旅が容易になったために、考え方や技術の交換がインダス川のほとりでの文明の発達を初期から刺激したのかも知れないと言っており、
また、メソポタミアの二輪戦車隊が、紀元前1678年以降、エジプトを、紀元前1500年頃に、北インドに進出していたと言う。
マクニールは、紀元前2350年から紀元前331年にかけて、メソポタミア中心部における軍事的、政治的動乱によって、三つの根本的なイノベーションが起こり、これが、文明をこれほど強力なものにした「メトロポリタン・ウェブ」を、取り込まされた様々な民族同士の関係を円滑にするのを助けた。
その三つとは、官僚制に基づく政府、アルファベット文字、地域に限定されない会衆を基礎とする宗教である。
アルファベット文字の齎した重要な影響の一つは、一般の人々が神聖な文書を読めるようになった結果、宗教を作り出したと言うのだが、
この三大イノベーションの歴史への貢献は大きい。
シュメールなどメソポタミアが先行した文明なので、逆のエジプトやインドからのフィードバックについては触れられてはいないが、紀元前はるか昔に、「ナイル=インダス回廊」文明が、十分な交通やコミュニケーション手段を持って、相互に交流しながら、文明の発展を図っていたと言うのは、驚くべきことである。
また、この世界の文明を生み出した同じ中近東の故地で生まれたイスラム文化が、メディチのフィレンツェを触発して、イタリア・ルネサンスを生み出す一因となったと言う厳然たる事実を思えば、今、世界を揺るがせているイスラム排斥が、何を意味するのか、非常に興味深い。
歴史の皮肉と言うべきか、長い人類の歴史を考えてみれば、今の欧米人の文化文明に尽くした貢献など、微々たるものだとすれば、今日のアロガントさを許せないと言う気持ちも分からない訳ではない。
一方、紀元前3000年頃、黄河流域の中ほどに位置する中国北部の高度地帯にも同じような相互交流の中心が生まれたが、西方からステップや砂漠を越えて目新しい物品が齎されるなど重要な影響を受けつつも、その後の東アジアの文明は、「ナイル=インダス回廊」とは別個の独自のスタイルの文明を発展させたと説く。
中国は、紀元前350年頃から北西部の辺境地帯より騎兵の襲撃を受けるなど、草原地帯からの侵入者に対して有効な手立てを持たなかったために、漢の武帝の頃から西部に遠征隊を送り込んで道を開いたおかげで、中国と西アジアとのキャラバンを介した交易や直接の交易が起こり、その後も長く途絶えることがなかった。
これによって、かって間接的で断続的であった遠く離れた中心地同士の交流が、成長しつつあったユーラシアの中で接続し、絶え間なく行き来することになって、「旧世界のウェブ」が一つに纏まって、世界史に新たな時代が出現したと言うのである。
とにかく、この本は、高校の世界史教科書を読んでいるような感じの明快さで、非常に示唆に富んでいて面白い。
ベストセラーの「世界史」を読もうと思ったのだが、息子との共著のこの本、(原書の著者のタイトルが、J・R・McNeillが先になっているから主に息子の執筆かもしれない)が、新しい著作だし、簡便であろうと考えて、先に読み始めた。
この本のタイトルは、”The Human Web: A Bird's-Eye View of World History”で、
two renowned historians, father and son, explore the webs that have drawn humans together in patterns of interaction and exchange, cooperation and competition, since earliest times.
世界の歴史の初期から、相互作用や交換、協力や競争と言った形で人類を結びつけてきたウエブを探求して、世界史を説き起こそうとする俯瞰図的な書物と言うことである。
ウエブとは、人と人とを繋ぐ色々な結びつきで、様々な旧世界の文明の相互作用、特に、1500年以降の西洋文明が齎した影響を活写することで世界史を展望したマクニールにとっては、世界史を論ずる格好のテーマなのであろう。
ユーラシア大陸と北アフリカの大部分にまたがる最大の「旧世界のウェブ」が、多数の小さなウェブを統合して、単一の「コスモポリタン・ウェブ」となって、電子化されてはるかに迅速な交流が可能になって、今日では、誰もが単一のグローバルなウェブの中で暮らしていると言う。
まず、私が関心を持った問題意識は、これまで、周知の事実として論じられている四大文明が、どのように関連して発展してきたのか、そのウェブを、現在の世界歴史論としては、どう論じているのか、マクニールの見解を知りたいと言うことであった。
緊密なコミュニケーションの交点が、地球上の四か所で文明化の過程を生み出した。最古の文明は三つの川―――メソポタミアのチグリス・ユーフラテス川、エジプトのナイル川、パキスタンのインダス川とその支流―――に沿った水の豊かな土地で起こった。と言う。
紀元前3500-3000年頃にチグリス・ユーフラテス河口付近に誕生したシュメール人の10あまりの都市は、エジプト文明やインダス文明に先んじてはいたが、沿岸部の海路とそれを補う陸路のキャラバンが、三つの文明の交流を支えており、この三つの文明は、最初から相互に交流し合う一つの文明「ナイル=インダス回廊」ウェブを形成したと言っているのである。
エジプトだが、シュメール文化との初期の関係についても明白な考古学的影響がある。
古代エジプトは、泥煉瓦ではなくて石を使い、独自の技術や芸術様式を急速に発展させたが、最初期の階段ピラミッドには、シュメールの建築様式を意識して取り入れている。
シュメールの文字がゆっくりと発達したのに対して、エジプトの文字は最初から完成されたように見えるのは、ヒエログリフも楔形文字を意識的に模倣したからではないかとも言っている。
インダス文明のシュメールとの関りについては、マクニールは殆ど触れていないが、モヘンジョ・ダロやハラッパの遺跡で発掘されるシュメールの印章そのたの人工物は、シュメールとの交易があったことを証明している。海岸伝いの航路によって旅が容易になったために、考え方や技術の交換がインダス川のほとりでの文明の発達を初期から刺激したのかも知れないと言っており、
また、メソポタミアの二輪戦車隊が、紀元前1678年以降、エジプトを、紀元前1500年頃に、北インドに進出していたと言う。
マクニールは、紀元前2350年から紀元前331年にかけて、メソポタミア中心部における軍事的、政治的動乱によって、三つの根本的なイノベーションが起こり、これが、文明をこれほど強力なものにした「メトロポリタン・ウェブ」を、取り込まされた様々な民族同士の関係を円滑にするのを助けた。
その三つとは、官僚制に基づく政府、アルファベット文字、地域に限定されない会衆を基礎とする宗教である。
アルファベット文字の齎した重要な影響の一つは、一般の人々が神聖な文書を読めるようになった結果、宗教を作り出したと言うのだが、
この三大イノベーションの歴史への貢献は大きい。
シュメールなどメソポタミアが先行した文明なので、逆のエジプトやインドからのフィードバックについては触れられてはいないが、紀元前はるか昔に、「ナイル=インダス回廊」文明が、十分な交通やコミュニケーション手段を持って、相互に交流しながら、文明の発展を図っていたと言うのは、驚くべきことである。
また、この世界の文明を生み出した同じ中近東の故地で生まれたイスラム文化が、メディチのフィレンツェを触発して、イタリア・ルネサンスを生み出す一因となったと言う厳然たる事実を思えば、今、世界を揺るがせているイスラム排斥が、何を意味するのか、非常に興味深い。
歴史の皮肉と言うべきか、長い人類の歴史を考えてみれば、今の欧米人の文化文明に尽くした貢献など、微々たるものだとすれば、今日のアロガントさを許せないと言う気持ちも分からない訳ではない。
一方、紀元前3000年頃、黄河流域の中ほどに位置する中国北部の高度地帯にも同じような相互交流の中心が生まれたが、西方からステップや砂漠を越えて目新しい物品が齎されるなど重要な影響を受けつつも、その後の東アジアの文明は、「ナイル=インダス回廊」とは別個の独自のスタイルの文明を発展させたと説く。
中国は、紀元前350年頃から北西部の辺境地帯より騎兵の襲撃を受けるなど、草原地帯からの侵入者に対して有効な手立てを持たなかったために、漢の武帝の頃から西部に遠征隊を送り込んで道を開いたおかげで、中国と西アジアとのキャラバンを介した交易や直接の交易が起こり、その後も長く途絶えることがなかった。
これによって、かって間接的で断続的であった遠く離れた中心地同士の交流が、成長しつつあったユーラシアの中で接続し、絶え間なく行き来することになって、「旧世界のウェブ」が一つに纏まって、世界史に新たな時代が出現したと言うのである。
とにかく、この本は、高校の世界史教科書を読んでいるような感じの明快さで、非常に示唆に富んでいて面白い。