このフラワーセンターの桜は、やはり、植物園なので、バリエーションがあることが嬉しい。
野生本来の桜と言うよりも、園芸種として開発された桜が多い所為か、とにかく、美しい。
一本一本桜の種類が違うので、特に、5分咲きくらいで、花弁がすべて新鮮な状態で鑑賞すると、創造主のなせる業と言うべきか、本当に美しいことが良く分かる。
今回は、さくら園の東半分の桜と、築山の正面に植わっている静桜について、書いてみたい。





まず、目に付くのは、まだ、小木ながら、豪華な花姿で存在感を示すのが、王昭君。
前漢の元帝の時代、絶世の美女ながら、絵師に賄賂を贈らなかったために醜く描かれて、匈奴の呼韓邪単于の妃として送られた悲劇の女性で、杜甫や李白の詩にも、能「昭君」でも、登場する。








この王昭君に並んで、「楊貴妃」が、植わっていて、これは、はるかに小木で、胴吹き芽に一輪だけ咲いていて、その根元に名札がついていて、写真にし難く、とにかく、二枚写真に撮った。
この一輪を見ただけでも、かなり、豪華な桜であることが分かる。
最近、杜甫と李白の本を読んで、多少、詩心を学んだつもりなので、牡丹を思わせるイメージを桜にも感じたのであろう。


次は、「妹背」。
ピンクの清楚な感じの花である。



白い桜の「大提灯」。



繊細な感じのピンクの「手弱女」。
しとやかなやさしい女性を言うようで、益荒男との対称言葉だと言う。
しかし、浮かれ女。あそびめ。と言う意味もあると言うから、中々、意味深な味のある女性のようで、よく見ると、妖艶な蠱惑的な雰囲気もある桜である。



白い鮮やかな「白妙」。
白い桜でも、蕾は、ほんのりとピンクで優しい。




一番華やかに咲いている感じが、「関ヶ谷」。





一回りした時には、一応、桜の名前を意識していたが、二回目に回った時には、雰囲気を味わいたくて、シャッターを切った。
無意識なので、これが、私自身の気持ちなのかもしれない。
まず、空をバックにしたショット。
日本きっての桜守佐野藤右衛門は、桜は、下から見上げるものだと言っていた。




接写や胴吹き芽。
望遠ズーム18-200を絞り開放で、露出を調整するくらいで、何の造作もせずにシャッターを切り続けているので、良い写真が撮れるはずがないのだが、とにかく、下手な鉄砲数打ちゃ当たるの姿勢である。










入園門から、築山を臨むと、今、シャクナゲが満開で、極彩色の風景が展望できるのだが、その陰にひっそりと咲いている白い花が、小輪で清楚な「朝桜」。
花が小さいので、ユキヤナギのような雰囲気さえする。




私は、花見客で賑わう雰囲気が嫌いなので、静かにひっそりと咲いている桜を求めて、学生時代に、京都や奈良を歩いたのだが、今でも、それと裏腹なのか、ソメイヨシノとは違った桜を見たいと言う気持ちが強い。
佐倉城址公園の桜も、すこし、遅れて八重桜が咲くころに良く行った。
このフラワーセンターも桜の名所ではなさそうで、観光客は少ないのだが、これだけ、綺麗な桜を鑑賞しない手はないと思っている。
野生本来の桜と言うよりも、園芸種として開発された桜が多い所為か、とにかく、美しい。
一本一本桜の種類が違うので、特に、5分咲きくらいで、花弁がすべて新鮮な状態で鑑賞すると、創造主のなせる業と言うべきか、本当に美しいことが良く分かる。
今回は、さくら園の東半分の桜と、築山の正面に植わっている静桜について、書いてみたい。





まず、目に付くのは、まだ、小木ながら、豪華な花姿で存在感を示すのが、王昭君。
前漢の元帝の時代、絶世の美女ながら、絵師に賄賂を贈らなかったために醜く描かれて、匈奴の呼韓邪単于の妃として送られた悲劇の女性で、杜甫や李白の詩にも、能「昭君」でも、登場する。








この王昭君に並んで、「楊貴妃」が、植わっていて、これは、はるかに小木で、胴吹き芽に一輪だけ咲いていて、その根元に名札がついていて、写真にし難く、とにかく、二枚写真に撮った。
この一輪を見ただけでも、かなり、豪華な桜であることが分かる。
最近、杜甫と李白の本を読んで、多少、詩心を学んだつもりなので、牡丹を思わせるイメージを桜にも感じたのであろう。


次は、「妹背」。
ピンクの清楚な感じの花である。



白い桜の「大提灯」。



繊細な感じのピンクの「手弱女」。
しとやかなやさしい女性を言うようで、益荒男との対称言葉だと言う。
しかし、浮かれ女。あそびめ。と言う意味もあると言うから、中々、意味深な味のある女性のようで、よく見ると、妖艶な蠱惑的な雰囲気もある桜である。



白い鮮やかな「白妙」。
白い桜でも、蕾は、ほんのりとピンクで優しい。




一番華やかに咲いている感じが、「関ヶ谷」。





一回りした時には、一応、桜の名前を意識していたが、二回目に回った時には、雰囲気を味わいたくて、シャッターを切った。
無意識なので、これが、私自身の気持ちなのかもしれない。
まず、空をバックにしたショット。
日本きっての桜守佐野藤右衛門は、桜は、下から見上げるものだと言っていた。




接写や胴吹き芽。
望遠ズーム18-200を絞り開放で、露出を調整するくらいで、何の造作もせずにシャッターを切り続けているので、良い写真が撮れるはずがないのだが、とにかく、下手な鉄砲数打ちゃ当たるの姿勢である。










入園門から、築山を臨むと、今、シャクナゲが満開で、極彩色の風景が展望できるのだが、その陰にひっそりと咲いている白い花が、小輪で清楚な「朝桜」。
花が小さいので、ユキヤナギのような雰囲気さえする。




私は、花見客で賑わう雰囲気が嫌いなので、静かにひっそりと咲いている桜を求めて、学生時代に、京都や奈良を歩いたのだが、今でも、それと裏腹なのか、ソメイヨシノとは違った桜を見たいと言う気持ちが強い。
佐倉城址公園の桜も、すこし、遅れて八重桜が咲くころに良く行った。
このフラワーセンターも桜の名所ではなさそうで、観光客は少ないのだが、これだけ、綺麗な桜を鑑賞しない手はないと思っている。