熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ウィリアム・H・マクニールほか著「世界史 Ⅱ」インディオの悲劇

2017年04月07日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   先日、アフリカの奴隷貿易について書いたが、
   1492年以降、ポルトガル人とスペイン人が、太平洋を越えて南北アメリカ大陸に到達し、内陸部に侵入を開始した。
   メキシコやペルーのように統一された帝国を発見すると、彼らは、軍事力で素早く征服するか、インカ帝国の場合のように、クーデターに近い形で乗っ取った。
   エルナン・コルテスは、数百人の部下を引きいて、アステラの敵からの支援と天然痘の流行に助けられて、1519-21年にアステカ帝国を滅ぼした。
   1532年には、フランシスコ・ピサロが、167人の手勢を連れて、天然痘で疲弊し内戦で引き裂かれたインカに攻め入り、外交術、裏切り、戦闘、殺戮によってほどなくインカを支配した。
   興味深いのは、インディオは、家畜に由来する伝染病やペストに免疫がなかったので、スぺイン人が持ち込んだ病原体にやられて、半数以上、恐らくは9割が命を落としたと言う事実である。

   しかし、北アメリカ、中央アメリカ、ブラジル、南アメリカの最南部「コースノール」などのように統一された帝国が存在しなかった地域は、植民地化は緩慢であった。
   他地域のスペイン領、ポルトガル人のブラジル、イギリスやフランスの北アメリカはこのケースで、支配権、経済的つながり、文化を押し付ける過程に何世紀も費やしたが、徐々に、「旧世界のウェブ」に組み込まれて行った。
   
   その後の、スペインの新世界とインディオへの、想像を絶するような極めて過酷な殺戮や支配や搾取を行ったことは、史上明確な事実であって、金銀財宝、ある限りの富を掻き集めて本国に送り、その富によってスペインは栄光を勝ち得たのだが、その栄光故に、経済が破たんするなど国運は下降の一途を辿っていった。
   マクニールは、詳しくは、アメリカの、「旧世界のウェブ」への融合について、記していないので、これまでに、私自身が、このブログで論じてきた諸点を加味しながら、ポルトガルやスペインの中南米支配の事実を敷衍してみたい。

   ダレン・アセモグルとジェイムズ・A・ロビンソンは、「国家はなぜ衰退するのか」の中で、
   スペインの征服者たちは、植民と同時に、インディオ達の豊かな帝国を略奪殺戮の限りを尽くして破壊して金銀財宝を本国に持ち去り、植民地形成後は、原住民たちを分け合って奴隷化したエンコミエンダ制度を確立し、更に、ミタ、レパルティメント、トラジンと言った圧政搾取システムを網の目のように張り巡らせて、先住民の生活水準を有無を言わせず最低水準に引き下げて、それを越えた収益をすべてスペイン人が吸い上げると言った社会制度を確立して、維持し続けて来たのである。
  これに引き換えて、遅ればせながら新大陸に乗り込んできたイギリス人達には、アメリカ大陸の好ましい部分、すなわち、搾取すべき原住民が沢山いて金銀財宝のある場所は、既に占領されてしまっていて、貧しい北米大陸が残っていただけであり、自力開発して、自分たちの力だけで生き抜く以外には道はなく、寒さと飢えに苦しむ苦難の運命の連続であった。と述べている。
   この英仏とスペインの植民地支配形態が、本国および植民地の将来像の命運を分けたと考えれば、非常に興味深い。
   

   J・D・ ダビッドソンは、これは、インディオへと言うよりは、植民地ブラジルへの対応だが、
   ポルトガル人は、ブラジルへは、金銀財宝や金儲けの機会を求めて来ており、移住地の開発や発展のために尽くそうとか、生活上も創意工夫やイノベーションを追求しようと言う気持ちなど更々なかった。
   その上に、もっと悪いのは、ポルトガル王朝の政策で、ナポレオンに駆逐されてブラジルへ逃げ込むまでの300年間、本国がブラジルに強いた鎖国政策及び収奪行為の酷さで、勿論、独自の外国との貿易は一切禁止で、印刷を認めないから出版文化も許さず、大学の設置は禁止、その上に、マニュファクチュア禁止と言う考えられないようなことが行われていたのである。
   と言って、ポルトガルのブラジル支配が、如何に近視眼的で自己本位であったかを語っており、現在まで尾を引いている法治国家とはほど遠いアミーゴ社会のブラジルの一面を匂わせていて面白い。

   ニューヨークタイムズの記者ラリー・ローターが、「BRAZIL ON THE RISE(仮題 台頭するブラジル)」で、現代ブラジルを克明に活写しており、群馬県立女子大学の「ブラジル学」の講義の参考にと思って、この本を台本にして21回にわたってこのブログで、”BRIC’sの大国:ブラジル”を掲載した。
   その一部を、以下に引用して、ブラジルのインディオおよび恵まれない人々について、追加情報を記しておきたい。
   インディオの人口だが、ブラジル建国時には600万人いたのが、1970年には、20万人に激減し、その後、人口が3倍くらいに増えているので、テリトリーの問題でトラぶっている。
   インディオは、少人数の集団を形成して移動する狩猟民であるので、広大な土地を必要としており、1%以下の人口で10%の土地を名目上支配しているので、それが増加するとなると、アマゾン開発に虎視眈々と身構えている開発業者など多くのブラジル人が、利権保護のために、大反発するのである。
   しかし、現実には、インディオの所有権が厳然と存在しているインディオ保護居住区は、地方の大ボスや鉱山業者や開発業者たちの違法極まりない侵入や乱開発で無茶苦茶に権利が侵害されており、駐屯している軍隊も、インディオを保護するどころか高飛車に対応してトラブルが絶えないと言う。
   現在でも、武装した開発団などが、どんどん、インディオ・テリトリーに押しかけて権利を侵害し、アマゾンの乱開発を進めていると言う。

   もう一つは、今様の賃金奴隷制度の存在である。元々、19世紀から20世紀初頭のゴム景気の時に端を発しているのだが、現在では、輸出用の植物栽培や、木材業、鉱山業と言った過酷な労働に、貧窮した農民労働者などが各地から集められて、粗末な住居に寝起きして奴隷のように酷使されていると言う。
   身分証明書や労働手帳は、燃やされてしまい、毎日朝の6時から仕事に出て夜の11時に終わり、生活必需品はすべて強制的に労働キャンプで買わされ、生活経費はすべて天引きされるので、賃金は一度も支払われたことがないと元賃金奴隷がローターに語っているが、ある宗教団体によると、そのような労働者が、少なくとも、2万人存在し、政府機関の急襲で、毎乾季に、1000人以上が解放されるのだと言う。
   武装した監視人によって厳重にガードされているので、逃げるに逃げられないというのだが、現実は、あの植民地時代の東北地方のサトウキビのエンジェニーニョ制度と殆ど同じような過酷さである。

    バンデイランテスが、インディオを目指して奴隷狩りに、奥地に踏み込み、マットグロッソやアマゾナスなど西に進出して、同時に、新領土を広げて行った。
   この大土地植民区を如何に開発すべきかだが、スペイン支配のラテン・アメリカには、沢山のインディオが居たので労働力に不足はなかったが、ブラジルの場合には、ポルトガルとの交易で文明の機器などを手に入れたインディオは取引に興味を失って奥地に入ってしまったので、広大な土地を開発するために、アメリカのように、アフリカから、黒人奴隷を輸入なければならなかったのである。
   ラテン系は、混血にはあまり拘らないので、スペイン系ラテン・アメリカには、白人とインディオの混血メスティソが、そして、ブラジルには、白人と黒人の混血ムラート(あのカーニバルで魅力的な女性はムラータ)が多いのは、この移民政策の所為である。
   ブラジルにおいては、CAPITANIASにおいて、膨大な黒人やインディオ達が、奴隷労働(slave labor)として、非人間的な過酷な労働を強いられて搾取に搾取を重ねられて、ブラジルの開発が進められて来たのである。

   吹けば飛ぶような小国ポルトガルが、真っ先に世界に雄飛して大航海時代を開き、地球上を二つに分けた「トルデシリャス条約」によって、奇しくも、南米大陸の東に飛び出した巨大なブラジルを植民して、BRIC'sの大国の基礎を築いた。
   スペインもそうだが、このポルトガルも、その恵まれた幸運とも言うべき運命故に、本国のその後がスポイルされたと言えば、言い過ぎであろうか。
   先の「BRIC’sの大国:ブラジル」にも書いているが、良くも悪くも、あの当時のポルトガルやスペインのDNAが、そのまま、新世界の国々の運命や国民気質にビルトインされて、今日を体現している。
   変わっても変わらない世界があって、面白いと思っている。
コメント
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