熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

気の遠くなるような秋を感じて

2020年11月22日 | 生活随想・趣味
   秋と言えば、思い出すのは子供の頃の田舎の秋。
   宝塚の鄙びた田舎の秋である。
   まだ、終戦時代の貧しくて苦しかった生活の残照が色濃く漂っていた時代であったが、子供たちに取っては、野山が格好の遊び場であって、丁度夕焼け小焼けの赤とんぼの世界で、真っ暗になるまで遊びほうけて家に帰っていった。
   学校から帰り鞄を投げ出して遊びに出ると、鉄砲玉のように帰らないので、宿題など勉強をした覚えがない。
   何処で何をして遊んでいていつ帰って来るのか、何処の親も気にもしていなければ心配もしていなかった、そんな、よき時代であった。

   今ではあまり歌っていないような気がするが、秋の童謡・唱歌・日本の歌を検索すると、小さな秋みつけた、里の秋、真っ赤な秋、故郷の秋、虫の声、村祭り、夕焼け小焼け、七つの子・・・懐かしい歌が蘇ってくる。そんな世界であった。
   近くに田んぼがないので季節感がつかめないのだが、刈り入れが終って稲わらが積み上げられた田んぼなどは格好の遊び場で、その上で組んず解れつ、暴れ回るのであるから楽しかった。
   秋が深まってくると、トンボが真っ赤に染まるのだが、フッと、稲わらの先に止まったのに気づいて、その美しさに子供心に感動したのを思い出す。
   真っ暗になった空には、星が降るように輝き、天ノ川がとうとうと横たわっていて、月の美しい夜には、影絵のような影を踏みながら家路についた。
   何故か、田舎というと、シーンとして気の遠くなるような大地が静寂一色に染まった晩秋の風情を強烈に思い出すのである。
   学生になってからの、京都や奈良の古社寺散歩に明け暮れたときの思い出も、桜や新緑ではなく、燃えるような極彩色に紅葉した野山や、赤く紅葉した残り葉をつけた古木にぶら下がった柿の実などの秋の景色や、モズの鋭い鳴き声など、冷気を帯びた秋である。

   我が家の一寸した秋の風情。鴫立沢の紅葉はじめと、色づいたブルーベリー、そして、ドウダンツツジ。
   
   
   

   兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川
   今では、河川という河川はびっしりとコンクリートで整備されてしまって、川に入ってドジョウすくいするなど夢の夢だが、当時は、土手から小川に下りて蛭や蛇をものともせずにフナやコイを手づかみしたり・・・とにかく、自然そのもの、小動物そのものとの接触が身近な日常であった。
   蜂に刺されて腫れ上がったり、切り株に足を突き刺して怪我をしたり、手足が傷だらけであっても、別に気にすることもなく、今から思えば、そのような生活の中から、自分で頭を打ちながら危険を察知し、少しずつ生活の知恵を積み重ねて成長してきたような気がしている。
   水鉄砲や竹馬は勿論、おもちゃらしいものは総て手作りで、一人前に、ナイフやノコギリなど工具も自由に使えたし、草履も自分でなえたのだが、
   幸か不幸か、最近の子供には、過保護というか安全第一で、すべて、そんな自由な道が塞がれている。

   さて、秋だが、椿を意識して育て始めてから、春の花である椿でも、早咲きの椿は、秋が深まると咲き始めるので、最近では、椿の開花の方が気になり始めている。
   天気の良い日には、そんな椿が咲き始めた庭に出て、少し寒さを感じながら、徒然なるままに読書に勤しむのが晩秋の楽しみである。
   エレガントみゆきの枝に、シジュウカラが飛んできて止まった。
   
   
   
   
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