12月2日(水)、江東区小学校教育研究会・情報教育部の研究授業をやらせていただきました。なんと区外からも何人もの先生が参加して下さいました。遠くは青森県からも。ご参観ありがとうございました。
公開した授業は6年国語「やまなし」です。
作品を完全に「異化」の立場から読ませることをねらい、授業のゴールを「やまなしの中で宮沢賢治が表現したかったことは何かを考えて、全員が発言できるようにする」ということにしました。
さて、11月中に書いた日記で下書き状態になっていたものを、ここにコピーしてみます。
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井上の指導理念のひとつに、「教師は何もしない」ということがあります。
これは上越教育大学の西川純教授が進めている『学び合い』の考え方にかなり近いのではないかと思います。
そうです。「何もしない」のです。それが子ども達には最高の“指導”となるのです。しかし本当に何もしなかったら、それは職務怠慢で教育委員会の処分の対象になってしまいます(笑)
見た目は「何もしない」のですが、学ぶ環境はしっかり整え、子ども達が「何かをする」のをジ~っと待つという指導法なのです。子ども達を信頼しないとできない指導法です。
そういう私の指導は「両刃の剣」です。うまくいけば最高の状態を生み出します。ミスするとアリ地獄にはまります。なぜ「両刃の剣」なのかというと、子ども達の自主性にすべてを任せてしまうからです。小学生は成長途上で、未熟なのは当たり前です。しかし、高学年の子ども達は未熟ながらにも、大人への一歩を踏み出しています。その「大人性」を信頼して「何もしない指導」をします。幸い、これまで担任したいくつかの学年では失敗したことはなく、劇的に子ども達が成長してくれていますので、効果的な指導方法だとは思っています。
12月2日に予定している江東区小学校教育研究会・情報教育部の研究授業を私がやることになっていますが、これもまた「教師が何もしない」という形態にこだわって指導案を作りました。
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そんなことで、今回の授業も指導案の中にこんな言葉を書いておいたくらいです。
「教師は余計な支援をせずに、ただ授業の目標を達成できるようにすることだけを意識させる。」
考える材料はできるだけたくさん与えて、あとは子ども達任せ。班で勝手に意見の交流をし、クラス全体討論では、担任が指名しなくても子ども達だけでどんどん討論をしていく。私は「iMindMap」で書記に徹するだけ。
それでも画像のマインドマップのように、大変に深い意見交流が行われました。
「宮沢賢治は戦争の時代に生まれた人だから、やまなしの中で戦争に反対する表現を入れたにちがいない。それがクラムボン(=人間)なのではないか。」
「やまなしは自然の姿をそのまま表現したものにちがいない。なぜなら賢治は植物の心を人間の心と同じだと考えていたから。」
「カワセミがいきなり飛び込んでくる表現で、大砲の弾を表現し、魚が捕られることで、領地の奪い合いを表現する。そんな怖い社会を変えたかったんだろう。」
「やまなしの中で五月の場面と十二月の場面に分けて、光とかカワセミ、やまなしといったものが川の中に出てきます。だから春夏秋冬を表現しているのでは。」
「読み手に感性豊かになってほしいという願いを込めて書いたのだろう。」
こうした内容の意見が次々に飛び出し、参観して下さった先生方に驚きを与えていたように見えました。
実際に、終了後に行った研究協議会では、
「教師である自分でも、今日の子ども達が話し合っていた深い読み込みができていなかった。」
「6年生の担任泣かせ、指導の難しい『やまなし』の授業で、あそこまで深い思考をしている小学生を初めて見た。」
「一見すると、話し合いをしている内容があっちへこっちへ飛びまわっていて散漫になっているようなのに、マインドマップにまとめていくと不思議と整理されている。マインドマップを使わないとできない授業だった。」
というような感想をいただきました。
頑張った子ども達には大きな拍手です!
(この授業の関連記事をしばらく続ける予定です。)