地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

上海市街西部の小駅にて・16年前の光景

2006-06-27 18:13:38 | 中国の鉄道


 目まぐるしく移り変わる中国の鉄道事情のうち、当面の最大の話題は先日もご紹介した青蔵線の開通でしょうが、いっぽう東の上海でも、市街の南西部に国鉄・地下鉄・路線バスを集約した新ターミナル「上海南駅」が完成し、盛大にオープンしたようです。それに先立ち、すでに数本の路線が出来上がっている地下鉄はすっかり市民の足として定着し、さらに近郊輸送として既存の国鉄の線路を改良し、上海南から金山衛 (杭州湾に面した石油化学コンビナートの街) に至る高速電車が近いうちに走り始めるようです。
 そんな上海鉄事情、私が上海を訪れたのは1995年が最後ですので、全然ついて行けません (笑)。1990年に生まれて初めての海外旅行として中国を貧乏旅行したとき、最初に訪れたのは上海でして (金がないので神戸からフェリー「鑑真号」に乗りました。当時は中国を安く旅行したい貧乏学生を満載して大盛況でしたね……)、この街にはそれなりに熱い思い入れはあるのですが、今改めて訪れると当時のイメージがボロボロに壊れそうな気がして……。
 そこで、今から16年前の上海で撮った画像をご紹介することにより、「上海といえばテレビに出てくるとおりの派手派手・ギラギラな街」と思っている多くの方にカルチャーショックを味わって頂くことにしましょう (笑)。

 いま、上海市街の西部には地下鉄3号線 (明珠線) という路線が走っていますが、このルートはかつて国鉄線でして、いまの「中山公園」駅のあたりに「長寧」という駅がありました。この長寧駅は80年代まで上海西駅と呼ばれていましたが、確か88~89年頃、京滬線 (滬は上海の別名) の「真如」駅にその名を譲り、駅のある区の名前を取って長寧駅となったのでした。小粒ながらも非常にクラシックな駅舎でしたね……(*^^*)。
 その長寧駅から、先述の石油工業都市・金山衛まで、主に工場技術者・労働者の通勤のために毎日4往復の「市郊」列車が走っており、もちろん運賃さえ払えば外国人でも便乗可能でした。
 そこで、中国各地を貧乏旅行して上海に戻り、次の「鑑真号」の出航まで約1週間上海で長居していた私は、ある日ヒマ潰しとしまして上海の西にある古き良き街・松江 (→島根の松江とは姉妹都市) にバスで遊びに行き、帰りは松江から「市郊」列車が停車する「新橋」まで田舎バスに乗り、新橋から長寧まで30分少々の濃いぃ通勤列車乗車を楽しんだのでした。

 上海と松江を結ぶ主要道路から外れて新橋の集落へ向かうバスのプチ旅は、途中木製の太鼓橋を渡ったり、アヒルの大群を蹴散らしながら走ったりと、なかなかワイルドなものでした。そして終点の新橋では、古~い商店街で下ろされたのち、駅まで田んぼの中のデコボコ道を歩いて行くという……何とも言えないのどかさが漂っていましたが、今ではこれら全てが開発の名の下に消えてしまったのでしょうか (-_-)。



 ポツンと小さな駅舎がたたずむ新橋駅で当時0.9元 (約30円) の切符を購入し、しばらく待っていますと……ルーマニア製のND2型に牽引された10両編成がやって来ました。いろいろな客車のごった煮編成でしたが、ニス塗り車内・ボックスシートのYZ21型 (↑がその車内。21系は、恐らく満鉄客車のスペックをベースに、ソ連技術を掛け合わせたコルゲート付き切妻軽量車体として、1950年代に製造された客車) は案の定満席……(-_-)。いっぽうYZ22の両開き2扉ロングシートバージョン (形式名忘れた ^^;) はガラガラ (どんな国でもボックスシートに乗りたいと思うのが人情というところでしょうか。笑)。しかし、これには乗りたくない……。そこで、後者と同じ車両ながらも、着席定員を増すべくロングシートの間にとってつけたような板張りボックスシートが増設されている奇妙奇天烈な客車に目を付け、それに乗車しました。
 途中、春申・梅隴・新龍華・徐家匯といった駅があり、今でこそこれらのエリアは上海の発展を象徴する繁華街やニュータウンとなっているものの (日本人の居住者も多いのでしょうね~)、当時は如何にも場末チックなボロ工場や住宅が広がるのみで……当然のように通過 (笑)。
 というわけで、確か夕方4時半頃、終点の長寧駅に到着。トロリーバスに乗り換えて、バックパッカー御用達の安宿 (外灘の北にある浦江飯店。今では完全に改装され、19世紀中頃に当時の租界随一の豪華ホテルとして誕生した輝きを復活させたようです……当然安い大部屋は廃止されてしまいました T_T) へ帰ろうと思い、バス通りに出てきたところ……踏切がずっと閉まったままで、トロリーバスや自転車が足止めを食らって多くの人がウンザリしたような表情を浮かべていました。どうやら、自分が乗ってきた列車が機回しをするため、到着以後ずっと閉まりっぱなしのようです。ふつう常識的に考えれば、踏切小屋の係員がまめに開閉すれば良さそうなものですが……開閉のたびに自転車とのいたちごっこが繰り返されるために面倒臭がっていたのかも知れません (汗)。
 そんなこんなで踏切待ちの自転車の数は増える一方……そこで私は「これはすごいことになりそうだ!」と直感し、踏切隣の跨線橋に登って一部始終を見届けることにしました。考えてもみれば、自転車の人はチャリをかついでこちらに登ってくれば何の問題もないはずなのですが、そうしないのは一体何故……悠長なのか、それとも踏切番氏と同じように面倒くさがりなのか?
 待つことしばし、ようやくND2型が機回しでやって来ました。所々に木々が混じる石炭臭いモノトーンな街、チャリに跨った半袖半ズボンの人々、そしてダークグリーンの鉄道車両や丸っこいバス……これが私の頭の中の上海です (^^;)。



 さて、機回しも終わったことだし、そろそろ踏切が開くか……何でこれだけのことのために20分近く閉め続けたんだろう……と思ったのも束の間、今度は遠くの方から煙が次第に近づいてきました。建設型SL牽引の客車列車! 全国時刻表には載っていなかったものの、掲げられていたサボを見ると、上海市街の南西・閔行へ行く列車でした。(ボロスキャナでのスキャンゆえ、SLのシャドウがノイズだらけな点についてはご容赦を……。ちなみにこの列車、1990年代中頃の全国時刻表には記載があります) 到着してからしばらく停車し、貨物列車と交換して再び発車するまで、とにかくずっと踏切は閉まりっぱなし (苦笑)。ついにしびれを切らしたオッサンが踏切を乗り越え、列車の手前で通過を待っていますね (汗)。このカット、本当は客車や背後の街並みを含めて広角で撮っているのですが、上海のど真ん中をSLが走っており、上海風スタイルのバスとコラボレーション (?) していたことを分かりやすくお見せするため、大幅にトリミング拡大しております (^^;

 かくして、このSL市郊列車が発車したのちようやく踏切は開きましたが、待つこと少なくとも30数分! 既に夕方の帰宅ラッシュも始まっており、このあと踏切の上はどのような状態になったかは……ご想像の通りです (超爆)。

 こんな感じで、延々と踏切を塞ぎながら我が物顔で上海市街を走っていた国鉄線……一刻を争う急激な経済発展の中、地下鉄の高架線に改められてしまったのは当然過ぎる成り行きだったと思いますが、こんなシーンをたまにポジで眺め返すにつけ、悠長だった (?) 時代にやっぱり懐かしさを感じずにはいられないわけです……(^_^;)。