しばらくご無沙汰してしまった台湾シリーズですが、昨日は台北近郊のローカル線・平渓線にて、日本人観光客を台鉄の旅へと誘うプロモーション活動としてSL (CK124=C12に相当) が運行され、大成功のうちに終わったようです (今後も5・6月に各1回運行)。しかも客車として使用されたのは、東急車輌製の花東線バス窓ナローDCを1067mmゲージ用に改造したDR2050形! 花東線のローカル運用をDR2700に譲ってからは長らく保留・保存車とされていましたが、今回は大抜擢! 台湾で今後も古き良きものが愛されることを祝いつつ、連載再開です (^^
さて、前回は南台湾の亜熱帯な風景の中をのんびり走る屏東線鈍行=「普快車」の話題を扱いましたが、アップした画像に写っている客車の半分は既に、窓が非常に大きな「復興号」用客車・SP20000形になっており、小窓が魅力的な旧型客車SP2300形は、当初の予定通り3月中に屏東線の運用を離脱してしまったようです (そのことを否定する情報は今のところ見当たりませんので……)。
この結果、屏東線の非電化区間 (屏東以東) を走る各駅停車の列車は、すでに「復興号&冷房通勤電車運賃」が適用されている「区間車」ともども、全て復興号客車SP20000形の世界に統一されたことになります。そして、「区間車」と「普快車」が同じ車両を使用し、所要時間もほとんど変わらないにもかかわらず、列車名の違いだけで運賃が異なるのは不自然なことから、来る5月のダイヤ改正を機に、屏東線からは「普快車」が消え、「区間車」に統一されるのでしょう……。
しかしこれによって、屏東線は今後しばらく復興号客車最後の楽園となることがはっきりしたわけで、ある種の感慨とうれしさを感じるのも確かです。
そもそも復興号は、台湾が新興工業国として広く注目を集めた1980年代を象徴する車種であると言えましょう。既に台鉄は70年代、豪華客車特急としてキョ光号の運行を開始し、70年代後半には動力分散式特急・自強号の運行も始めていましたが、急速に生活水準が上がって豊かになる中でこれらの豪華特急は予約が難しくなり、1970年頃までに日本で製造されたスハ44風転クロ客車による非冷房の座席指定客車急行 (対号快車) は、それまでの人気列車から一転、「冷房つけろ」「もっとデラックスにしろ」という不満の対象となって行きました。そこで台鉄は1980年、キョ光号と同じ冷房客車ながらシートピッチをやや狭め、ビニール製シートへとレベルを落とした車両を用意し、キョ光号に連結しながらも安めな運賃で乗れるようにしたのでした。そして翌1981年、台鉄はこの客車を用いた列車を正式に「復興号」として独立させました。
以来20数年、ラムネ色の復興号は主に西部幹線を中心に運用され、最盛期には台北~高雄間を約1時間間隔で行き交い、停車駅が多く便利なことと豪華なことが相まって、大いに人気を博したのでした (そこでスハ44風客車を冷房改造して復興号に編入したところ、「ボロい!」と大ブーイングが起こったことは前に記しました通りです)。しかし90年代末以後は、豪華高速バスの熾烈な競争の影で客足が復興号から離れ、さらには台湾新幹線も開通……。そこで台鉄自身が「汽車型」輸送体系から通勤電車主体の都市近郊輸送へとシフトする中で、ドアが1両1カ所しかなく、運賃収入面でもメリットが少ない復興号は、EMU700の「区間快車」に役目を譲って西部幹線から遅かれ早かれ消えて行くことになりました (T_T)。
もちろん、屏東線に最後の楽園を見出した復興号の今後も、決して楽観できないことは否めません。そもそも、復興号客車が屏東線の通勤通学ラッシュ向きではないことは明らかですし (藍色普通車時代と比べて乗降にえらい時間が……)、高雄都市圏の拡大に伴い、台鉄としては電化区間を屏東から潮州 (今回の2枚の画像は潮州駅で撮影) まで延伸する予定とか。そのあかつきには潮州~枋寮間の区間列車も通勤DCの類に置き換えられてしまうのではないかと予想しています。
しかしそれまでの数年間は、出来るだけ機会を見つけて何度でも屏東線を訪れ、亜熱帯の超豪華鈍行の旅を楽しんでみたいものだと思っています。JRの特急ハザなんて足下にも及ばないほどゆったりとしたシートピッチのフカフカリクライニングシートにもたれながら、窓の外を流れる椰子の木の森を眺めるひとときは、これぞ悦楽!のひとことに尽きます (*^^*)。