地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

ジャカルタ炎鉄録 (20) バンドゥンのDC

2009-09-25 00:25:00 | インドネシアの鉄道


 ジャカルタ撮り鉄シリーズはまだまだ続きますが、ここらでちょいとジャカルタを離れてみましょう。
 インドネシアの大都市近郊輸送は、如何せん鉄道網の整備が十分ではないため、バス・ミニバスに頼る部分が非常に大きくなっていますが(それ以上にバイク利用者が余りにも多過ぎ、突進して来るバイクをかわしつつ道路を渡るのが結構怖い……-_-;)、鉄道も一応それなりに走っております。とくに、地方の大都市では3等オンリーの客車列車が走っているほか、1980年代に日本で(確か)製造されたセミクロスシートのDCが、足が速い・シートにクッションがあるという理由で2等=ビズニス車両として位置づけられ、近郊快速列車として各地を走っているようです。
 今回日帰りで訪れた西ジャワ州の州都・バンドゥンでも、1~2時間間隔で近郊快速DCが設定されており、ジャカルタからの特急「パラヒャンガン」を下車したのち駅の待合室で時刻表を見てみたところ、20分ほど待つとバンドゥン東郊外のチチャレンカからの列車が到着するとのことでしたので、駅東側にある跨線橋(歩行者専用)に上って、道行く人々の好奇の視線に耐えつつ (^^;) 待ち構えてみました。すると……4両編成の黄色いDCがご登場!



 眼下を通り過ぎる列車を速攻で後追いしてみたのが2枚目の画像。バンドゥン駅にしずしずと到着するシーンです。インドネシアの地方都市の駅は、シブい駅舎・雨風を避けるためのレトロなホーム上屋・周囲の緑豊かな植え込みがセットになった、何とも趣深い駅が多いような気がします(*^^*)。
 いっぽう、肝心のDCは……製造された時代が時代だけに、何やらキハ47の3扉ガラベンバージョンという気がしますね~(笑)。バンドゥン近郊用として配置されている車両は黄色+グレーに塗装されていますが、ネットやインドネシアの鉄道雑誌『Kereta Api』などを見ていますと、さらに東のスマランやスラバヤに配置されている車両はもっと異なる塗装となっているようですので、機会があれば是非訪ね歩いてみたいものです(時間がいくらあっても足りなさそうな……汗)。
 そんな日本製DC陣の活躍に対して、最近は新興勢力が台頭し、何やら混沌とした雰囲気が……(^^;)。1990年代に製造されたジャカルタの「一つ目小僧」VVVF車は、最近の日本製中古冷房車の投入や保守面での問題によって相次いで離脱し、今やジャカルタでは圧倒的少数派になってしまいましたが、こうして捻出されたVVVF車の車体を流用し(但しマスクは改造^^)、別に新調した発電用エンジンとVVVFの走り装置を搭載した近郊用電気式DCとして各地に進出しつつあるようです。(バンドゥンで近郊快速列車に入っているシーンは↓をどうぞ)近郊列車網の拡充として、日本製DCともども活躍するのか、それとも日本製DCが行く行くは置き換えられてしまうのか……気になるところです。


 バンドゥン駅で停車しているシーンを撮ろうと近づいたところ、イキナリ発車してしまいましたので、こんな正面ド逆光(→無理矢理レタッチ)、床周りもよく見えないダメ画像で失礼 (^^;



 【おまけ】バンドゥン市内を走る路線バス。1970年代の日本のモノコックバスには、確かこんな感じのマスクの車両もあったような……。とにかく懐かしさで1枚パチリ。

ジャカルタ炎鉄録 (19) 急行荷物列車参上!

2009-09-24 00:46:00 | インドネシアの鉄道


 今回のインドネシア初訪問は時間の関係でJAL (とゆーか、子会社JALウェイズ) のジャカルタ直行便を利用したのですが、お盆のハイシーズンでも席は半分ほど空いており……JALの経営再建・路線整理問題にあたって「便利な路線なのにヤバいなぁ」と思っておりました。しかし、先ほど目にした『毎日新聞』→Yahooのネット記事によりますと、取りあえずは残すらしい……ということで、良かった良かった♪ インドネシアはASEANの雄邦にして、日本にとって極めて重要な親日国家・貿易相手国ですので(これまで机上の知識としては知っていましたが、今回そのことを心の底から痛感……)、たとえ観光客がジャカルタ線には余り乗っていなくとも、日本国のメンツにかけて絶対に存続させるということなのでしょう。もっとも、赤字路線の受け皿会社と思われるJALウェイズそのものがどうなるのか……という問題があるのですが、とりあえずジャカルタ直行便の便利さ(高いけど -_-) にハマった者として、事態の推移を見守りたいと思います(ガルーダはヤバそうですし……。以上の内容に対するコメントはご遠慮ください)。
 それはさておき、先日はインドネシアの優等列車の魅力をご紹介しましたが、優等客車列車という存在は、日本ではごく一部の豪華列車を除き風前の灯……。そんな存在に対して限りない懐かしさを感じる世代にとっては恐らく、かつて曰く言い難い独特の存在感を漂わせながら本線を疾走していた急行荷物列車もお馴染みだったことでしょう。とくに私の場合は、たまにEF58に牽引された東海道線の急行荷物列車を目にするにつけ、新旧取り混ぜて窓も少ない編成の姿に強烈なゴツさを感じたものです……。また、主要駅のホームに必ずと言っても良いほど設けられていた荷物用エレベータの類も、古き良き鉄道の旅にとって格好のアクセントだったはずです……。



 そんな急行荷物列車の面影をいま偲ぶとすれば、台湾の花蓮~台北~台中~高雄間を走る行包(荷物)列車がベストな存在でしょうか(そういえばしまった……まだまともに撮ってない ^^;)。そしてインドネシアにも、それに相当する存在があることを今回の訪問で初めて知り、沿線で撮影しながら思わず歓喜の声を上げてしまったのでした (笑)。
 今でも鉄道による郵便・荷物輸送を行っているインドネシアでは、郵便・荷物車はグリーン(日本以外の諸国で一般的に郵便事業のシンボルカラー)または連結相手となる特急列車の塗装を身にまとっていますが、今回東線で撮影していたところ……何と、全車グリーンに塗られた郵便・荷物車12両編成がドドド……と迫って来るではありませんか!! 1枚目の画像と2枚目の画像はそれぞれ、違う日の同じ時間帯に撮影していますので、恐らくは毎日運転の郵便・荷物専用列車だろう……と推測したのですが、現地で購入した雑誌『Kereta Api』バックナンバー (2009年2月号) をパラパラめくっていたところ、ををっ!この列車に関する紹介記事が載っていました。
 この列車は、ジャカルタ・グダン駅(ジャカルタ・コタ駅の北東に位置する貨物駅)とスラバヤ・パサールトゥリ駅を結ぶ急行荷物列車であり、毎日夕方6時頃に双方の駅を出発、翌朝8時半過ぎに双方の駅に到着、途中チルボンやスマランといった主要都市に停車する……とのこと。しかし、私が撮影したのはもっと遅い時間でしたので、単線も多い中で特急列車の運行を優先するあまり、この手の荷物列車は必然的に遅れてしまうのかも知れません (^^;)。または、最近時刻が大幅に変更されたとか (汗)。
 というわけで、時間的にはアテにならない列車ですが、希少価値ゆえに撮影の喜びは大! またいずれ訪問する際には、違った場所で狙ってみようっと (笑)。

変わりゆく近鉄特急・Snack&Sunny

2009-09-23 07:36:00 | 大手民鉄 (近鉄)


 先日の関西出張撮り鉄にあたっては、往路は新幹線でダイレクトに京都入りし、帰路は近鉄に乗って名古屋に出るというルートをたどったのですが、そういえば最近は個人的にそういうパターンでの移動が増えていることに気がつきました。これもひとえに、青山峠を高速で越えてゆく大阪線のダイナミックさや、標準軌の長距離インターアーバンとして独自の発達を遂げた近鉄の風格にハマッてしまったからなのだろう……と思います。
 その道中は、頻繁に行き交う特急に乗っても良し。大和八木から東では総じて空いている一般車に乗っても良し。そういえば、近鉄のロングシート車を利用すれば、東京と大阪の間を完全にロングシート・オンリーで移動できることに気づきました(関ヶ原経由は滋賀県内でロングシート車・ゼロ区間が入るはず)。ま、私自身は、気分は若いつもりでも体力が三十路ですので、そんなことをするつもりは全くないのですが……(^^;)。それはさておき、一般車利用の道中では、JRと比べて昭和の魅力炸裂な車両が頻繁に行き交う近鉄だけに、気軽に撮りやすそうな駅で途中下車して、次は何が現れるのかワクワクするという楽しみがあります。
 そして今回は……12200系スナックカーのみで組成されたデカ前パン先頭の堂々8連(パンタ数も8個)を、最高の光線とアングルで激写! v(^O^)v



 周知の通り、近鉄では最近新型ACE (22600系) の増備を加速させつつあり、今春以降近鉄を2~3ヶ月に一回乗るたびごとにじわじわと増えているのを実感します。もっとも、12200系の在籍数そのものが多いため、勢力が完全に逆転するのはまだしばらく先のことでしょう。しかし、今後廃車が進むにつれて、12200系のみで揃った長大編成やデカ前パンの編成を目に出来る機会も急速に減って行くわけで(恐らく最後まで残るのは下枠交叉型パンタ装備車でしょう)……そうなる前にこのようなカットを撮ることが出来たのは有り難いことです(^O^)。
 いっぽう、もう一つ撮影出来てラッキーだったのは、12400系サニーカーの赤幕車! 今回近鉄を訪れて衝撃的だったのは、当面廃車対象ではない12400系において行先表示をLED化する工事が始まっていることでして……その対象は自ずと12400・12600系及び30000系ビスタEXの全編成へと拡大されて行くのでしょう。というわけで……白抜きの漢字がデカく、ローマ字が入らないという、独特の存在感が炸裂しまくりな12400系の赤幕が消えるのも時間の問題……(T_T)。今回はこんな感じで、大阪線山岳区間を激走するシーンを完璧に記録できましたが、次回訪問時にも残っており、姿を現してくれるかどうか……非常に心配です (-_-;)。

ジャカルタの東急8007Fをつくる (1)

2009-09-22 00:00:00 | 超へっぽこ模型製作


 思い起こしてみれば、模型超初心者のくせにイキナリ板キット製作に手を出して東急8000系を組み立てたのが、いまからちょうど1年前の話。もっとも、それ以来技術的進歩らしきものは全くなく、相も変わらず説明書通りの素組みしか出来ない私でありますが (^^;)、まずは何かここらで一丁、個人的板キット製作開始約1周年を記念して、最高にアブノーマルかつ最高に思い入れのある車両を製作してみようとふと思い立ちました。そこで、連休の中日に自宅にこもってシコシコと塗装を進め、1日かかってようやくここまで出来上がったのが、↑の顔パーツ2枚です。



 では……これは一体何かと申しますと、感動の「伊豆のなつ」からはや4年、ジャカルタ入りしてからも相応の年月が過ぎたことから、「伊豆のなつ」帯を剥がされて新装成った東急8007Fの姿です! 既にGMの伊豆急8000系板キットを東急8007Fとして組んだ以上、ジャカルタの8007Fも再現したいものだと思いまして……(^^;)。しかもこれなら、板キット製作1周年記念にふさわしい一品です。
 もっとも、以上の能書きは後で思いついて付け足したものに過ぎませんで、真相は……甥っ子が自宅に遊びに来て、私が所有するNゲージで遊びまくっているのを脇で監督しながら、手持ち無沙汰を穴埋めするべく指を動かしていたらここまで出来たという次第 (笑)。まあ何はともあれ、マスキングの繰り返しによって東急8000系列ジャカルタ移籍組名物の細かい模様を再現するのは、やはり相当骨が折れました……(@o@)。0.5mm幅のマスキングテープを使いまくった後では、1mmがものすごく長く太く感じられるといふ……(笑)。
 なお帯色は、秩父7000系と近似の派手目グリーンの缶スプレーが手許にないため、とりあえずGM東急グリーンと西武イエローで代用してみたのですが……ちょっと濃すぎかも (^^;)。蛍光灯の下では結構それっぽく見えるのですが、ストロボ一発当てですとやはりこういう色になってしまいますなぁ……(^^;
 というわけで、さらにマスキング塗装や色差しを進めて行くつもりですが、問題は……窓枠を黒Hゴムの色にするのか、それとも石除け金網枠の色としてステンレスシルバーのままにしておくのか、う~ん悩みますね 。

明治のSL 1080号機・梅小路にて屋外公開

2009-09-21 00:39:00 | 保存・園内・特殊車両


 既にRM誌編集長氏のブログをはじめ各所にて伝えられております通り、明治の御代に幹線旅客用SLとして英国から輸入され、のちに鉱山の専用線で用いられて来たD9→1070形・1080号機が、このたび長年の眠りから覚めて梅小路蒸気機関車館へと奇跡の輿入れを果たし、念入りな化粧直しを経て先日から一般公開のはこびとなりました。しかも、通常は他の所蔵機関車と同じく扇形庫内での展示となると予想されるところ、お披露目当初は転車台南側の撮影にはもってこいな位置に屋外展示されるとのこと! 個人的にはSLに熱狂した世代ではなく、他に何も用事がなければ往復の新幹線代を払ってまでして遠路このために梅小路まで往復することはない……のですが (^^;)、これが極めて貴重な機会であることは疑いの余地がないわけでして、しかもこういうタイミングに合わせて18日に京都出張!!\(^O^)/ こりゃぁ~もう行くしかない!というわけで、ライティング的にみて左右両方を照らす13時前後の時間帯を狙って約1年ぶりに勇躍梅小路へと向かったのでした。



 昔ながらの風貌をそっくり保った梅小路の雄壮な扇形庫をバックに、艶消しブラックに磨き上げられて静かに佇む1080号機……。それはまさに、一世紀以上の時空を隔てて現代に蘇る歴史浪漫……。こんな小型のSLが急行列車を牽引していたというのは信じ難い気もしますが (^^;)、2軸のスポーク動輪だけは車体に比して相当大きく、結構軽快に飛ばしまくっていたのかも……と想像しています。
 それにしても、国鉄・JRや大手私鉄及びその関連施設ではなしに、これだけ年代物なSLが良好な保存状態を保って来たというのは、誠に驚嘆以外の何物でもありません……。貴重な車両を保ってきた専用線関係者の皆様の献身的なご尽力の賜物なのでしょう。しかも、単にそれだけでは決してこのように梅小路入りして化粧直しされることにつながるわけではなく、特に何事も世知辛い今の世の中だけに、最終的な保存先も決まらず化学変化に任せて朽ちて行くのみだったのかも知れず、保存に向けた関係各位の奔走という絶妙な巡りあわせがあってはじめてこのような慶事が実現するのだ……ということをしみじみと感じます。改めて、明治のSLがこれほど理想的な状態で屋外展示されるに至るまでの関係各位のご尽力に敬意を表すると同時に、一介の単なる鉄ヲタとしては、積極的に鉄道を利用し運賃収入や保存施設の収入に貢献することで、陰ながら保存活動を支援したいと思う次第です。
 ちなみに、1080号機が活躍していた専用線は葛生のさらに奥にあったそうですが、う~む、東武・専用線入り乱れてこの手のSLがゴロゴロしていた最盛期の葛生界隈の情景……。今やガラ~ンとした葛生駅ヤード跡地の「夏草や強者どもが夢のあと」状態を思うにつけ、タイムマシンがあれば是非見てみたい……(-_-;;)。