地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

ハノイ懐旧鉄散歩 (14) 四角チェコ罐D12E

2012-06-25 00:00:00 | ベトナムの鉄道


 先日神保町の書泉に行った際、ふと眼に飛び込んできたトーマスクックのヨーロッパ鉄道時刻表の最新号……今すぐ欧州旅行を計画しているわけでもないのに、いつもお世話になっている「ぱれっと」様の東欧鉄遠征記を日々楽しみにしていることもあり、最近の東欧エリアの長距離列車網はどうなっているのだろうか?と思いまして手に取ったところ、ななんと何と!いつの間にか非欧州を網羅するOverseas Timetableの機能の一部もEuropean Timetableに掲載されているではありませんか!(^O^) 都内の大手洋書店でのOverseas Timetableの扱いがなくなって久しく、個人的に英国も12年前に訪れたきりですので (汗)、内容そのものは到底最新の時刻をフォローしているとは言えないものの、各国における主要な特急・急行列車の運行形態を大まかに知るのに極めて便利な内容がこうしてEuropean Timetableに載っているというのは嬉しい話です♪ もっとも、その分だけOveseas Timetableの存在が、諸外国における鉄道の凋落やネットの発達によって揺らいでいることを示しているのかも知れませんが……(-_-;)。
 というわけで、問答無用でゲットした後、神保町駅ですぐにやって来た8614F「伊豆のなつ」に揺られつつ、まずはアジア諸国の主要列車をチェックしてみたところ、ベトナムについては如何せん全国ひっくるめても極めて列車の数が少ないため、ハノイ近郊の区間列車やハロン線列車を除く全ての列車が掲載されていました (笑)。そこで、しばらく間が開いてしまったベトナムシリーズ、今回は中越国際輸送の一端を辛うじて担っている北京西~ハノイ「直通」列車の牽引機として抜擢されている赤い罐・D12Eをアップしてみましょう。



 如何にも東欧的で計画経済的な雰囲気が漂って来るこのDL、案の定チェコ製ということのようですが、性能的に安定し使いやすいためか、ベトナム国鉄の画像をネットで見ていると結構出演回数が多いような気がします。恐らくは、1990年代に中国製のドイモイ型 (D19E) が大挙入線するまで、ベトナム国鉄の最有力車種だったのでしょう。その栄光は未だ失われていないようで、ハノイ以北の区間ではラオカイ線の夜行豪華寝台列車(高原の避暑地へ向かう外国人観光客を乗せるため、複数の旅行会社が独自に車両を用意して連結……今回は乗っても撮ってもいないのですが ^^;)に登用されている模様であるほか、上述の通り中越国際列車「M1/2」(中国側の列車番号はT5/6)の本務機となっています。
 もっとも、北京西~ハノイ間の国際列車といっても、現実には客車がそのまま直通するのは不可能となっています。中国側の標準軌・25m級客車は、標準軌が尽きるザーラム駅からロンビエン橋を渡ってハノイ駅までの区間に入線出来ませんし、ベトナム国鉄のメーターゲージ用17~18m級客車では、恐らく国境で台車を履き替えても中国国鉄の連結器高etc..に全く対応出来ないでしょう。しかも、中国国鉄の特快(特急)は160km/h運転が日常化している中、ザーラム工場製のベトナム国鉄客車がそのようなハイスペックに対応出来るとは到底思えません (汗)。
 そこで、昔からこの国際列車は名義のみ「国際」であり、実際にはベトナム側国境のドンダン(同登)で乗り換えることになっているのですが、今や北京~ハノイ間の移動はヒマな旅行者ではない限り飛行機が常識であり、中国側途中駅とハノイとの間の往来もそれほど需要があるわけではないでしょうから(ベトナムに隣接する広西チワン族自治区・南寧とハノイの間は、別に中国国鉄24G客車による直通国際列車あり)、結果として北京西~ハノイ間の国際列車は客車1両のみというお寒い状況に……。ベトナム側ではトリコロールカラー・4人部屋の空調軟臥車が、ベトナム国章を車体に掲げ、辛うじて毎週2往復しているのが実情です。ハロン線満鉄客車の旅を敢行した際、ハノイ側終点イェンビエン(安園)の手前でこの国際列車とすれ違ったのですが、DL1両に客車1両という姿で漆黒を切り裂いて突っ走る光景は……マニアックを通り越して侘びしさの限りであったのは否めません。
 この国際列車の運行スケジュールは、毎週火曜・土曜の深夜にドンダン発→朝ハノイ着、毎週火曜・木曜の夜にハノイ発→深夜ドンダン着となっていますので、木~金の一往復はさておき、火曜のドンダン発の運行のためには月曜日のうちにザーラムからドンダンに編成を送り込み、火曜のドンダン着の後は水曜日にザーラムに回送しなければなりません。この回送にあたっては、国際列車と同じスジは用いられず、通常のハノイ(ロンビエン)~ドンダン間の列車に無動で連結するというかたちをとります。そこで、モスラ罐が牽引する午後のドンダン行列車を月曜日に撮影したところ、尻には国際列車用軟臥車とD12Eが連結されており、一本の列車で二度美味しいのみならず、通常の国際列車では楽しめない長大デコボコ編成をも味わうことが出来たのでした♪ (*^O^*) 貨車と国章つき空調軟臥車が連結されるなどという光景は、ロシア・モンゴル・中国・北朝鮮のいずれでもほとんどお目にかかれないでしょうが、ハノイでは毎週月曜日にこうして拝めるのです……(^^;)。

社会主義日本エレクトリーチカを作る (2)

2012-06-24 00:00:00 | 超へっぽこ模型製作


 歴史すら妄想的に描き換えて製作を始めた「社会主義東 (or北) 日本」のエレクトリーチカですが、前回アップした段階では相変わらずマスクの種車である小田急2220形の雰囲気、あるいは南海的な雰囲気が非常に強く、これでは「資本主義西 (or南) 日本」から輸入した電車または技術供与を受けた電車ということになってしまいかねません (笑)。そのような展開では、折角妄想に走るというのに些かもったいないことは否めませんので、塗装に先立ちもう少々手を加えてみました (^^;)。



 具体的には……撫順FK1を製作した時点で購入してあった細い半円プラ棒を用い、社会主義計画経済的電車・客車共通アイテムともいうべき窓下の太いリブを表現してみたのですが、これで205系ボディと小田急2220顔をつなぐ一体感が大いに醸成されたように思います♪ また、2220形以後の小田急顔基本アイテムである貫通ドアの幕を埋めた次第です。さらに、ソ連やポーランドの電車を仔細に眺めた結果、正面部分にも雨樋を再現すれば、小田急的なイメージから相当遠ざかり、一層社会主義エレクトリーチカらしくなるだろう……と判断しまして、0.14mm厚・幅0.5mmのプラ線をオデコ部分から乗務員室扉にかけて貼ってみました。
 こうして下ごしらえを整えたのち、いよいよメタルプライマー塗りを経て屋根のダークグレーを吹いてみたところ……うむ、これでだいぶ社会主義エレクトリーチカらしくなって来ました (笑)。もっとも、何やら南海11001系の初期車に似ているような気もして来たのですが……(滝汗)。ここらへんはさらにダークグリーンを塗れば印象がガラッと変わるはずです、たぶん (^^;;)。

東北新幹線30周年記念・去りゆく200系

2012-06-23 00:00:00 | 国鉄型車両


 先日発売の鉄道雑誌では、やけに東北・上越新幹線を扱っているところが多い……と思ったら、実は本日が東北新幹線開業30周年。情報弱者ですみません、といったところですが (^^;)、「ひかりは北へ」というスローガンとともに建設された東北新幹線が東北の様々な物事を大きく変えたことは言うまでもないことでしょう。
 それは一面では、首都圏と東北の時間的距離を一気に縮め、誰もが気軽に東北へビジネス・観光で出掛けることが可能になったという絶大な利点をもたらしたわけですが、一方では上野発の長距離列車をほぼ絶滅寸前へと追いやり、新幹線開業により分離された東北線盛岡以北=IGR・青い森の収支が厳しく、そして今や七戸十和田駅の開業により十和田観光電鉄が廃止となったり……ということで、鉄道趣味的には寂しい現象をももたらしています。とくに個人的には、いつかはワイド周遊券で長距離急行・鈍行に乗りまくって東北・北海道の長旅を……という小学~中学生時代の夢が、東北新幹線開業とともに東北線の時刻表が一変していったことでガラガラと崩壊し、さらに余剰急行型車両のローカル転用で旧型客車の一大王国が大陥落してゆくさまを目の当たりにしています。
 それは飯田線旧国全廃に続き、「将来の希望(=より良い進学・より良い就職によって旅の軍資金を一層ゲット!)のためには当面の学級崩壊状態でクソ過ぎる中学生活をも我慢できる……」という筋書きを根本から破壊するハルマゲドン的事態 (汗) だったといっても過言ではありません。本当に全てが真っ暗な中学時代……(鬱)。結局東北に旧客を求めて出掛けたのは、中2の夏に18きっぷの日帰りで黒磯と福島の間を消滅目前のオハフ61で1往復したのみでした……。



 まぁそれでも、一度も61系客車(そして、61系客車をも含む茶色オンリーの10両編成スカスカ鈍行!)に乗ったことがないよりはマシであり、体中に湧き出るあらゆるエネルギーをオハフ61の風貌と鼓動に集中させるひとときは、ある意味で中学時代の数少ない感動的体験でありました。そしてこれを最後に、個人的趣味活動は国鉄から離れて私鉄中心となり、国鉄・JRは単に私鉄を巡礼するための移動手段となったのみならず、やがて古き良き重厚長大な汽車旅のロマンを求める心は、一旦非鉄海外バックパッカーという方向を選択させたものです……。
 もっとも、旧客を廃車に追いやった50系客車や急行型車両といえども全て国鉄型車両である以上、自分自身と世代を共にするとともに私鉄巡礼の佳き足となってくれたこれらの車両にもいつの間にか情が移るのは当然の成り行きというものです。そこで私自身も、約10年ちょい前に鉄活動に復帰してからは私鉄と国鉄型車両の両方を対象として地味に巡り歩いているわけですが、一方であれほど怨嗟の対象であったはずの東北・上越新幹線も、これまた歳月のマジックにより、いつの間にかそれが存在すること自体を当然の前提としている自分を発見して驚くばかりです。
 そして今や、わざとスカスカの「たにがわ」「なすの」200系自由席をチョイスし「やっぱCRH2E2系とは異なる、どっしりとした走りや頑丈な (?) 車体構造が良いのだよ!フハハハ!」などとうそぶきながら朝からビールを飲むという自堕落にも浸っているという私はすっかりオッサン……(笑)。それに0系が完全に引退した今となっては、我が日本国の科学技術の結晶たる新幹線の原初の前面スタイルを今に受け継ぐ200系の存在は、それだけでも走る鉄道文化遺産ではありませんか! さらに東北新幹線には、昨年の大震災以来、復興東北・復興日本のシンボルにして原動力でもあるという神聖な使命が加わっていることにつきましては、改めて贅言するまでもないことでしょう。
 というわけで、200系の先行きは明らかに暗いことは否めませんが、まずは200系が30年間君臨し続けた東北新幹線の歴史的功績を素直に言祝ぎつつ、そんなまさに年齢も心も中二病そのものだった自分と東北新幹線との苦すぎる関係を、オッサン化した自分としては笑い飛ばしたい気分であります。こうして鉄道も自分も歳月を重ねて行くということなのですなぁ……(^^;)。

京急800形「TH急行・久里浜行」(笑) を撮る

2012-06-22 00:00:00 | 大手民鉄 (京急)


 旧1000形の全廃を以て趣味的には少々波静かになったかのように思える京急。しかしここに来て、銀1000の継続的な増備に伴い、800形や2000形4連 (2400番台) に廃車が生じ、現存する界磁チョッパ車も実は先行きが長くないのではないか……という懸念を強めざるを得ない今日この頃です。まぁ確かに、旧1000形の最終ロットと800・2000形は車齢が近いわけで、しかも節電が社会的要請になればなるほど、VVVF車へとバトンを渡すのはやむを得ない趨勢であるのも事実……。
 というわけで、しばらく撮影が御無沙汰だった京急も、そろそろまた800・2000形の撮影に気合いを入れなければならないなぁ……と思っていた矢先、そんなファン心理につけ込むかのようにマイクロが怒濤の京急車リリース攻勢をかけてきたのには大いに驚きました (汗)。1500形や新600形のみならず、何とKATOが製造中止にして久しいという800形が発売されるとは……!! 最近鉄道模型を始めた私にとって、当然のことながらKATOの800形は縁遠い存在であり、マイクロでも鉄コレでも良いので800形が出ないものかと待望しておりましたので、思わず狂喜乱舞ものです (笑)。早速近所の模型屋に800形新旧塗装の両方を予約……(爆)。



 まぁ超京急原理主義な方は、恐らく全部揃えなければ気分が休まらないことでしょうから、必然的に年末の金策が逼迫することになり御愁傷様……という感じですが、とりあえず1500形以降の車両は収集対象から外している私にとって大した問題はございません。いや~ダルマさんが我が家にやって来る日が楽しみです♪♪
 そこで先日ふとダルマさんを撮りたくなりまして、横浜へ買い物に出かけたついでに神奈川新町へ。新町では営業中の列車を撮るのみならず、ホームからも「車庫内横断踏切」からも入換中の光景を楽しむことが出来ますので、かりに本線でお目当ての800・2000形がなかなか来なくとも、新町をねぐらとしている車両が割と多い800形が動くところを激写出来る確率は相当高いという利点があります (^^)。
 そして、京急の入庫車はしばしば、幕の焼け具合をなるべく均一にするため (?) 通常使わない幕をテキトーに表示し、結果的にとんでもない種別+列番+行先の組み合わせで楽しませてくれますが、金沢文庫ではそんな幕のまま動くシーンをうまく撮ることは難しく、久里浜に至っては全然撮影出来ないのに対し、新町の場合は運さえ良ければまさにお気に入りの車両がヘンテコ幕のままウロウロする光景を撮影することは十分に可能だったりします。そこで今回は何とも幸運なことに、エア急ではない昔ながらの急行幕+800形では通常有り得ない88THという列番+800形は通常ほとんど行かない久里浜行……という表示でウロウロするシーンをゲットォォォォ!! (*^^*) そもそも昭和50年代初頭の時点で既に、急行は追浜以遠へは行かなかったわけで、急行表示と久里浜表示の組み合わせはインチキ甚だしいわけですが、車庫の中はアナーキーですのでどんな組み合わせもOK! それに、飛行機マークのない急行表示と800形の組み合わせ自体何とも懐かしいではありませんか!! いや~素晴らしいひとときでした♪
 もっとも、新町を訪れる理由は他にもあるわけで、その撮影成果は改めて (笑)。


伊豆半島・東海バスの箱根登山塗装車

2012-06-21 00:00:00 | 濃いぃ路線バス&車両


 先日の駿豆線赤電つながりで、今日は伊豆半島のバスネタを (^^;)。
 伊豆半島の主要な交通機関として鉄道ファンが真っ先に思い浮かべるのは、伊東線~伊豆急と伊豆箱根駿豆線の二本立てといったところでしょうが、実際の伊豆半島は鉄道がカバーしていないエリアにこそ険しくも美しい大自然の美がてんこ盛り。そんな伊豆半島のほとんどをカバーする交通機関として、古くから小田急系列の東海バス(東海自動車)が網羅しています。蜜柑を思わせるオレンジの濃淡が何とも印象的なバスが、海沿いの集落を結ぶかと思えば山深い峠道にも挑む姿は、それだけでも十分に「伊豆に来たなぁ~」と思わせるものがあり、とくに個人的には父親が伊豆出身ですので、昔からオリジナル車と小田急系列他社(とくに神奈中)からの譲渡車が入り乱れて走る光景に思い入れを感じてきたものです (*^^*)。
 そんな東海バス、最近は地域ごとの分社化及び小田急グループ内での役割分担の変更により、車両の動きが非常に慌ただしい印象があるのですが、とりわけ同一グループ内で箱根登山と東海バスが競争するという珍景が展開されていた沼津・三島地区のバス事業がごっそり合併されて、東海バス子会社としての沼津東海登山バスが設立されて以来、にわかにカオスな状況に……(^^;)。具体的には、沼津・三島地区の箱根登山からの継承車が東海バス各地域分社に転配されている他、最近では箱根登山の中古がそれなりに東海バスに流れ、しかもこれら箱根登山出身車は塗装変更せずに走っていることから、今や東海バスの塗装はオレンジ塗装・箱根登山旧塗装ブルー帯・小田急グループ共通観光車塗装の三本立てとなっています (汗)。



 とくに一般車で塗装が二本立てとなっている状況は、あたかも京急で鋼製車とアルミ製車の色が異なる有様を思い出させるものがありますが (笑)、いっぽう箱根登山で最近新車投入ラッシュが続き、朱色とクリーム色の新塗装車や「ハートフルとざん」塗装車が激増した影で長年馴染みの青帯塗装が減ってしまい、相州人として寂しさを禁じ得ないものがありますので、そんな消えゆく箱根登山旧塗装車が東海バスで宝くじ的に姿を現すという現状は何とも言えず痛快です (*^^*)。
 そんな東海バスの現状について、ここ2~3年来伊豆急や駿豆線を訪れるたびに、ちらほらと箱根登山旧塗装車が東海バスを名乗って走っている光景に仰天していたものですが、『バスラマ・インターナショナル』誌の今年5月号で東海バスが特集され、車両現況の全貌が明らかになった結果、ますます仰天……(^^;)。何と「東海バスの主力がいつのまにかエルガミオ地獄に! (号泣)」という個人的印象は全く正しく、逆にシブくダンディな経年車に箱根登山旧塗装車が少なくないとは……。
 というわけで、先日怪社の若手社員研修旅行引率で伊豆半島を周遊した際には、貸切バスでの移動ながらも何とか東海バスを記録する機会がないものか……と密かに期待していたのですが、そんな願望がまさに天に通じたためか、堂ヶ島ではメトロ窓キュービックの箱根登山旧塗装車をゲット!! そして浄蓮の滝でも、まさに天城峠の天険に挑んでいる最中の箱根登山旧塗装・二段窓ジャーニーをゲット!! いや~何という幸運なのでしょう♪♪ 逆に……東海バス塗装車は1枚も撮っていないという……(^^;;)。エルガミオとジャンジャンすれ違ったのは確かですが、撮影出来るタイミングでエルガミオばかり来るようではストレス全開となってしまいますから、本当にツイている!の一言です。
 さて、今後は東海バス塗装の経年車も記録するべく、伊東・下田・修善寺・松崎といった拠点を巡らなければ……と思うものですが、何時になることやら。