映画「沈まぬ太陽」が人気のようだ。山崎豊子の原作新潮文庫も書店に平済み、てんこ盛りだ。
今日はパラダイムを変えて「昇らぬ太陽はない」の話題を少々、
これは映画や山崎豊子の本の話ではない。太陽が昇れが星の光は消える、というおはなし。
星日ともに天にいただかず、と明言を吐いたのは大川周明だったか、北一輝だったか。
そんなおはなしである。60年ぶりにお日様が昇る太平洋の話である。
注:星=星条旗、日=日章旗
続く
日英軍事同盟はあるうる話である(軍事的合理性、必然性があった)。そして太平洋においては日本に対するアメリカからの攻撃を抑止する力があった。だから大正末年、アメリカは手練手管を使ってイギリスに日英軍事同盟の延長しないように働きかけた。
日英軍事同盟が失効した段階で日本の命運は定まったと言える。あとは日本を挑発して先に手を出させてから攻撃するだけである。これはアメリカ政府が建国以来アメリカ・インディアンのホロコーストに使ってきた政策とまったく同じものである(アメリカ騎兵隊史参照)。
従わないインディアン部族は騎兵隊が皆殺しにし、屈服した部族は荒れ果てた居留地に囲い込む。
日英同盟が失効しても国際政治の舞台に明治維新の修羅場をくぐりぬけてきた維新の元勲たちのような人材がいたら話は違ったであろう。
しかし、日英同盟の失効と同じころに元老たちは政治の舞台から退場し、皮肉なことにその元老たちが考案育成した軍事官僚が徒党を組んでがん細胞のように自律的膨張をはじめ、軍事のみならず政治まで壟断するようになった。
1945年にいたる日本の壊滅は一次方程式のように線形的、一義的に予測可能なものとなった。それは広島、長崎への原爆投下、日本全国への都市爆撃によるホロコーストでしめくくられた。アメリカ・インディアンと同じ運命をたどったのである。
アメリカ人はアメリカ・インディアンのホロコーストに罪悪感をもっていない。同様に広島長崎への原爆投下、大規模都市爆撃による大量の市民の虐殺についても罪の意識はない。
ただしクジラの捕獲には深甚な罪の意識を日本人に要求している。それは19世紀の大捕鯨国であったアメリカの過去についてではない。
次号へ続く