むかし琉球王国と言う弱小通商国があった。台湾の北にある。現在は沖縄と呼ばれている。武力はほとんどない。日本とシナの中間にあり、両方の顔を立てて生き延びていた。シナの外交団や通商使節が来るときにはシナの属国としてふるまった。日本の薩摩藩の役人が来島するときには日本に臣従を装った。
幕末には薩摩の実質的支配を受けたが、シナとの交易は巡り巡って薩摩藩の利益にもなったので、シナの使節がきたときには薩摩から派遣された役人はシナ人の目に触れないように隠れていた。琉球も従来通り私のご主人様はシナでございます、といった。シナも薩摩の存在は知っていたが、形式的には知らぬふりをして琉球の態度を是とした。現実的と言えば現実的だ。お互いにメンツをつぶさないで済む。戦争にもならない。これを琉球の両属政策と言う。
翻って今日の日本を見るに岸田首相はアメリカと中共に対してそれぞれ臣従をしめす両属政策をとるつもりのようだ。当時の国際情勢、各勢力のバランスは両属政策の存立を可能にした。また、弱小通商国家にはそれ以外に生き延びる道はなかった。
岸田首相は恥ずかしげも無くこの古臭い両属政策を取ろうとしている。出来ると思っている。知能薄弱だ。現在の国際情勢で出来るわけがない。国恥政策というべきである。
自民党に投票した人は、いまごろ開けてびっくりの毒餃子を口に入れた気分だろう。