「篤姫」はひどいものになりそうだ。今日はおゆら騒動の後の話になっていた。ほとんど触れないつもりらしい。筋からいってそうなのだろう。1849年のおゆら騒動の時は西郷22歳、まだ政治ごっこにデビューするまえだ。今日の放送でもわかるとおり。
しかし、彼の人生に与えた影響は甚大である。西郷の周辺の下級武士がおおく粛清された。ドラマでも大久保のことが出ていたが、そういういきさつでおゆらにつながる人物を忌み嫌うようになる。
ところでおゆらといっても、ドラマで説明してくれないからわからないだろう。おゆらはお油羅ともお油良ともかく。島津斉興の側室だが、江戸両国の船宿の娘とも大工の娘ともいう。南国太平記では大工の娘になっている。
斉彬は斉興を隠居させて藩主になりたいので、幕府老中の安部正弘と組んで自藩の密貿易を幕府に密告して隠居に追い込もうと陰湿な工作をした。ところが財政担当の調所笑左衛門が責任を自分どまりにして藩主に累を及ぼさないように自殺する。これはドラマでは前回だったかな。調所が築いた体制はびくともしない。斉興も隠居しない。
てづまりになった斉彬派はあせっておゆらと久光を暗殺しようとする。その計画がもれたのがおゆら騒動である。斉興の怒りははげしく弾圧は過酷を極めた。あらたな罪状が見つかったというので、切腹させたものの腐屍を墓から掘り出してのこぎり引きの追刑にしたりしたのである。
これが江戸幕府の耳に入り(もちろん斉彬派がご注進におよんだのであるが)、度が過ぎるというので斉興は隠居を命じられ斉彬が襲封したのである。つまり、挑発作戦が成功したのであった。
さて、おゆらの血筋であるが、のちに斉彬が急逝すると(1851年)、おゆらの子久光の子である忠義が後をt継ぐ。久光は国父として幕末から明治維新後まで薩摩ににらみを利かす。
忠義の7女がクニノ宮家に嫁ぐ。その娘が良子姫である。後に昭和天皇の皇后となる。つまり平成天皇はおゆらの玄孫にあたられる。直木三十五は昭和5年から6年にかけて「南国太平記」を新聞に連載する。そのおゆらの方を直木三十五は「毒婦おゆら」として描く。
直木の種本は西郷一派が幕末に作った政治パンフレットである。
満州事変はこの連載が終わるころに起こったが、田舎の百姓出の職業軍人たちが天皇の権威を無視して軍隊を動かすようになるわけだ。この天皇無視、あるいは天皇の権威を自分たちの都合の良い「お題目」に使うという習性は226事件でも同じだ。
おゆらには兄がいた。直木の南国太平記ではぐうたらな町のあんちゃんとして描いているが、その行く末もちょっと紹介しよう。薩摩藩のある家老の娘と結婚してあらたに一家を構えることを許される。Y家という。くわしくは信頼できる郷土史家に確認されたい。