都会の公園の人工的に植栽された樹木が伐採されるとなると、これに反対する署名がたちどころに数万人集まり中止されることになる。ところが、たとえば知床などの全くの自然木が伐採されることになっても、そのことすら知らないばかりか署名もろくに集まらない。伐採する仕事をする人を顔見知りや縁戚関係にあるなど、田舎では珍しくはない。反対署名をすると地域に住みずらくなる危険を冒す人は「カワリモン」ということになる。
田舎は産業を欲しがっている。だから何でもいいから来て貰いたい。原発に産業廃棄物に焼却場、墓地、自衛隊などなど、何でもいい。こうして田舎がゴミ箱になっいく。(自著「そりゃないよ獣医さん」新風舎刊http://www.creatorsworld.net/okai/)新幹線や高速道路も同じように田舎の陳情で建設されます。道路網が整備されると便利になると誘致します。なにより土建屋さんが儲かり、雇用が増えるからです。ところがいざ完成すると、便利になった分人の流出が始まり過疎が進行する結果になっています。
この国の少子高齢化は着実に進行しているが、それは均等には生じない。田舎から始まるのである。その田舎が疲弊している。高齢化と農業無視の政策に加えて、小泉改革の市場原理主義のもたらしたものはいかにも大きい。「イナカモン」は農業・食料を生産し、水や空気を浄化してこの国の文化の礎となっていた。その田舎が疲弊している。この国にどのような未来があるのだろうか?