そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

農業とは何だろう

2008-04-10 | 政治と金

2先日ハイビジョン特集・世界里山紀行「ポーランド 湿地とともに生きる」を見た。21世紀の現代に信じられないような、湿地とともに生きる人たちを見た。

夏には、牛たちが湿地を泳いで島に渡り、毎日酪農家が搾乳に行く。小さな船で持ち帰った、牛乳でチーズを作っている。牛たちを、サギたちが取り囲む。酪農家は、壊れた3 トラクターで草を刈る。収穫は、 乾草だけである。

農村には、コウノトリが家の屋根に気に頂にと巣を作り繁殖する。鳥たちは、放牧した牛が歩い て飛び立った昆虫を食べる。人々は、それを見て和やかな気持ちになる。ここは輝く緑と水の恵みは、ヨーロッパの”肺”と呼ばれ200種もの野鳥が繁殖する。

効率一辺倒の近代農業は、こうした自然環境との折り合いを絶ってしまって、家畜の生理も自4 然界の循環も無視してしまった。

とりわけ、畜産では効率のツケが家畜に及んでいる。人の営み自然の動きを無視した典型は、採卵鶏にみられる。

彼女たちは、外界と遮断された暗黒の部屋の中で、高々A4サイズの針金のケージで身動きすらPhoto_2できずに、ひたすら穀物を与えられ続けて食べ続ける。毎日卵を産まなければ、少なくとも一週間に4個以上を産まなければ淘汰される。

それに比べて、此処の家畜たちは丁寧に扱われ、家族同然に扱われている。ほんの半世紀前までは、日本でも見られた光景である。庭で遊ぶから「イワトリ」と呼ばれていた。牛との触れ合いも、農民の生活手段でもあり、和みでもあった。

日本は、食料を海外に依存する政策を選択した。そのために失ったこと、そのためにこの国に起きていることを、どこまで容認する気なのだろう。

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