そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

死刑より重い刑罰がないか

2008-04-23 | 死刑

光市の母子殺害事件は、極めて残忍で犯行内容をみると戦慄すら覚える。暴行殺人は、僅か6ヶ月の幼児にまで及ぶ、許しがたい犯行である。極刑はやむを得ない。

被害者にとって、成人か未成年かは問題ではない。被害者が応報感情を抱き、犯人に死刑を望む心情は全く理解できる。今回の判決には、死刑回避を目論んだ弁護団の大失態もある。

死刑そのものに反対する弁護団が、それまでの少年の供述を翻させたり、タイムアウトを狙って欠席したりと、姑息過ぎた手法が拙かったこともある。わずかにあった、極刑からの回避はほぼ完全に断たれることになった。

ところで、法律上最も重い刑(極刑)とは死刑のことであろうか。死刑になりたくて、小学校ならたくさん人が殺せるので、死刑にしてくれると小学校に凶器を持って、数人を殺害した人物がいる。彼の望みどおり、死刑判決を得て既に執行されてようである。55

死刑は、この男にとっては自殺の手段でしかないかった。日本に死刑がなければ、この男は犯行に及ばなかったかもしれない。死刑にしてしまうと、それですべてが終わりである。これで、殺された人たちの家族は溜飲を下げたのだろうか?

とは、犯罪の抑止性もさることながら、罪を償うという側面を持つ。死刑を受けて、罪を償うとは矛盾行為である。先ず、悔悛の機会がない。自らが犯した罪の重さと、命を奪った人や社会的に居場所をなくした人たちに対する、反省の場を奪うことになる。

極刑の死刑には減刑がない。死刑の次が懲役である。懲役には当然のように減刑がある。30年くらいなら、20年で社会復帰するようである。死刑さえ回避すれば社会復帰できるのである。

日本には終身刑がない。死ぬまで獄舎で罪を償うことの方が、死刑よりも重い刑のようにも思える。いっそ死んでしまいたいと思う程反省し、罪を償う機会を生涯与え続ける方が、よほど重い意味を持つ。

軽々に、あるいは応報感情で死刑にするより、減刑されない終身刑を設け、生涯服役し反省することの方がよほど、人間的であり量刑の意味がある。

世界的に見ても、135カ国が死刑を廃止している。毎年死刑廃止案が国連で採択されている。昨年、死刑が執行されてのは1252名とされるが、中国をはじめとして公表されない数字もかなりあるように思われる。

免罪の危険性もある。死刑に対する日本の風潮は、明らかに世界の流れに反している。終身刑がなぜないのであろうか?

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