小沢一郎の元秘書たちが起訴された。不起訴の小沢は、この程度のことは織り込み済みのようである。田中角栄や金丸信たちの失脚する姿を、近くで詳細に見てきた小沢は上手くすり抜けたようである。
今回の事件は、どう見ても小沢一郎をターゲットにした捜査であった。不自然なことがあまりにも多すぎる。のど元過ぎたことの記憶が薄らぐ国民性からは、もうすでに昨年の西松建設の問題すら、遠のいているように見える。この時には、小沢は民主党代表を辞めたが、今回は幹事長を辞めない。今回小沢が辞任しないのは、自らが築いた地位の保全に他ならないであろう。。
時あたかも、大相撲の朝青龍が引退した。理事会の引退勧告を受けたのであるが、解雇が本来であったろうと思われるが、朝青龍には品格がない。横綱どころか力士としての、品格に欠ける。土俵の内外での下品さは目に余るものがあった。引退会見でも朝青龍はお騒がせしたことは口にしたが、自らの反省はなかった。強ければ誰も文句は言えないと思っているようである。
小沢一郎の今回の事件について、腑に落ちないことが数多くあるが、検察に的を絞られた小沢を擁護するつもりはない。小沢には政治家としての品格がない。剛腕と言われるように数多くのことを、ごり押しでやってきた。小沢の政治手法は力任せの大ナタ振いである。
これは「政治は力、力は数、数は金」と言ってはばからなかった、角栄流の政治手法である。人の命を守りたいとする、鳩山由紀夫の理念とは大きな齟齬がある。小沢の政治手法には、人がいないからである。ともあれ小沢の政治手法は、朝青龍のように品格に欠ける。敗戦時の居直りと、勝者の驕りが付きまとう。弱者への威圧的態度を隠さない。
翻って党首の鳩山由紀夫を見ると、これが逆に品格だらけである。敵味方を問わず、他人の主張を聞き入れるのである。氏家が育んだとても良い人のようである。鳩山は逆に決断がいつまでもできない。ひょっとするとこの二人のコンビは、絶妙の関係であるかもしれない。