金融緩和など正体不明のアベノミックスに、思惑だけが先行して市場や国民が浮かれている間に、安倍首相は国粋主義者としての馬脚を現しはじめてきた。
TPP論議に隠れるようにして、「極東裁判(東京裁判)は勝者による断罪である」と発言し、お腹が痛くなって投げ出した時には、東京裁判は「日本は受諾しており異議を申し上げる立場にない」とした立場と大きく異なり、右旋回している。
更には、従軍慰安婦問題では93年の、河野談話の見直しに言及している。先日は、F35ステルス戦闘機を巡って、武器輸出三原則の特例としたが、安倍首相は三原則そのものの見直し発言している。憲法96条改悪に向けても、超党派で動き出している。
TPP論議とといい、アベノミックスといいとても急速な展開を、経済政策と外交の広がりに隠れて、安倍首相はもっと大きな部分が右旋回を切り始めた。
今日(12日)4月28日を「主権回復の日」などと閣議決定し、今年は政府主催の式典を行い、天皇皇后を出席させるというのである。根拠は、1952年にサンフランシスコ講和条約が発行し、占領下の日本が独立したというのである。この時外に置かれていた沖縄は、反発を露わにしている。
この日は、日本が占領軍から独立したように見えるのは外見上だけで、現実はアメリカ支配の始まった日としての意味付けの方が、圧倒的に大きい。前年9月8日に講和条約を48ヵ国と調印した。同日午後、吉田茂はたった一人で、日米安保条約をアメリカ軍クラブの小さな集会場で調印している。
その後の日本にとっては、この日米安保条約の方が圧倒的に大きな意味を持っている。しかもこの時の安保条約は、アメリカは日本のどこでも基地を作れるし、断りなく軍事作戦ができるというものであった。
朝鮮戦争の直後であり、東西冷戦の始まった時期でもある。アメリカは、(連合軍ではない)この時以来日本を反共の防波堤のための属国として、思うがままに操って日本国民を翻弄してきた。
安倍の祖父の岸信介さえも、この時の安保条約の余りのひどさに改定に向けて動いたのではないか。結局は、国民的な反対運動とアメリカの画策で岸の思惑は挫折したが、少なくともこの時の条約は、日本の独立・主権回復とは程遠い、アメリカ従属が決定したものであった。
こうした背景を無視した「主権回復の日」の祭典である。安倍首相の右傾化ここに極めりの感がある。