この国の病巣部の一端を、震災の現場から届けてくれた本に出会った。「あのとき、大川小学校で何が起きたのか」池上正樹・加藤順子著、青志社刊1500円である。
石巻市の大川小学校で、津波に呑まれて74名もの児童が亡くなった。教員も10名亡くなっている。津波にのまれて助かった生徒は4名、先生が1名である。
地震の直後、生徒は校庭に集められて川の高い土手に向かって避難したが、津波に呑まれてしまった。裏山は地震で木が倒れ行けなかった。というのが、教育委員会から報告されている。
著者は、まず報告書の子供たちの表現が一律であったことや、「山さ行こう」という子供たちの声があったのに、報告書に記載されていなかったこと、学校の管理下に留め置かれてこれほどの死者が出ているのに、報告が杜撰だったことを疑問に思った。
著者たちや遺族の聞き取りで、生徒たちは校庭で51分もの間何もせず放置されていたことが判った。山の木は倒れていなかった。事実唯一、生き残った若い先生は、直接山に逃げたようである。ようであるというのは、この唯一生き残った教師は4月に一度、父兄の前で証言したまま入院して今日に至っている。そのため正確な証言は得られなかった。
校長は当日有給休暇を取っていたが、現場には6日後に写真を撮りに戻っただけである。4月には無神経な新入生歓迎会の開催までやって、父兄の顰蹙をかっている。翌年早期退職して、責任も問われることもなく、校長の証言もないに等しい。
事故報告は、石巻市の教育委員会が行っている。明らかな虚偽の報告である。聞き取りメモも録音も廃棄されている。
大津市のいじめ事件の、教育委員会の報告書も同質のものであった。父兄や生徒に責任の所在を求める、明らかな意図的、作為的な報告書が作られていた。
大川小学校は震災に対応する訓練どころか、マニュアルすら持っていなかったようである。少なくとも教師たちは把握していなかった。子どもたちは、避難する自由さえ奪われて、学校の管理下に拘束され命を奪われた。
山さ行こうと思った生徒たちの感覚の方が正しかった。そのことを、教員の身分保障を最優先するために存在する、教育委員会は認めることができないのである。無為に校庭で生徒たちを待機させたことも、認めないのである。これは、大津のいじめ問題で、家庭に問題があったと報告した教育委員会と全く同じである。
遺族も子供たちも、「先生がいない方が、助かった」と発言している。管理下に生徒を置きながら、学校の取った行為は許されるものではない。更には、教育委員会の身内の責任逃れのための虚偽の報告も、日本中で常態化しているのではないか。新たに設置された第三者委員会が、どのような報告を出すか、興味深く見つめていきたい。
本書は、震災対応を扱ってはいるが、現代日本が抱える官僚・お役人の病巣部をえぐり出していると言える。