本ブログの昨年9月27日の「稲、米。ご飯」記事である
『今年も新米の季節になった。日本人の主食はお米である。このお米は、生えているときには稲、収穫し流通されて購入すると米、そしていよいよ食べるとなるとご飯、となる。扱う目的と場所によって名前が変わる、世界にこんな穀物はない。
しかも、そのまま食べるのである。小麦もトウモロコシもおよそ、穀物といわれるもので、加工せずにそのまま食べるものはない。しかも、米は作付の過程で、水を大量に使い、長年管理してきた人類と環境として共存してきた。連作が全く問題のない、水管理による多雨の地域で、人々に「メシを食わせ」命を支えて来た。
日本では神道などの儀式の手段として、稲の位置は低くはない。しめ縄にして木や岩などを崇めてきた。地鎮祭や上棟式に供物や奉納品に、加工品のお酒とともに欠かせない。稲作文化として日本は位置づけられる。』
次は本年1月8日の「食糧自給が必要な理由」記事です。
『食糧は人が生きてゆく上で欠かすことができないものである。人類はこれを商品化して、特定の人たちに作ってもらうシステムを作った。食糧は、量として倍も消費できないし、3割も少なくすることもできない。安定供給が求められる。
直接生命をつかさどるものであり、質も問われるものである。地形や歴史や風土、さらに毎年の気象にも影響を受けて生産されるものである。
商品として見た場合、工業製品や商業製品とは全く異なるものである。
「私は××で食っている」とか「これを飯のタネにしている」というように、生きてゆく上で最低限欠かすことのできない、商品なのである。』
これまでよくもまあと思われるほど、食糧について書いてきました。その理由がこの二つです。TPPはこうした日本文化や、人が生きていく本質を奪うものです。
もうすでに日本の農民は高齢化して担い手すらいないという現実の指摘は、こういう農村、食糧生産システムにしてしまったことへの反省を横に置いた論議である。
農家に対して、補助金と土木事業で塗り固めてきた、自民党農政にこそ農村崩壊の本質がある。今回TPP対策として、またまた補助金で口封じを図ろうとしているのである。同じことの繰り返しとなり、日本の農業は衰退する。農家を保護し(金で)、食糧を保護してこなかったのである。TPPは日本文化の崩壊の入り口である。