そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

高木仁三郎さんを忘れないで

2013-03-24 | 政治と金

NHKの教育テレビでは、最終週の土曜の深夜になるが、視聴者からPhotoの要望などを受けて、アーカイブ番組を放送している。今月は、つい先ごろの梅原猛の作品と、高木仁三郎の番組であった。

題は未来潮流というシリーズの、「科学を人間の手に」(高木仁三郎 闘病からのメッセージ)というもので、1999年2月9日放送されたものである。この翌年の秋に亡くなっているから、彼の最後のメッセージ番組と言える。

小学1年生で終戦を迎え、急変する大人たちに疑問を持ち、ビキニ環礁の核実験で被爆した報道に、実験科学者の道を選ぶ。アイゼンハワーの核の平和利用を受け、日本も平和利用への道を歩み始める。高木さんはこれに加わる。

日本原子力事業に東大卒業後技師として就職したが、原発内部での核反応が解明されないままであることなどに疑問を持ち退職した。就職当時の血液検査で、白血球の減少が起きていることも無気味であった。

科学が侵す過ちを市民目線で訴えるため、原発反対運動を積極的にやるようになる。数多くの訴訟を行うが、すべて敗北する。反原発法の立法のために、300万人の署名を集めたが、国会で門前払いを受け、一時挫折する。

京大の小出さんの本に、「騙されたあなたにも責任がある」というのがある。福島原発事故から、急に反対運動が高まったが、高木さんのように地道に根気よく長く戦った人がいたことも忘れてはならない。金を見せられても断った、高知県の寒村の東洋町や紀伊半島の太地町などや山口県の祝島の人たちもいる。

高木さんの科学者としての警告を、受け入れなかった人たちにも責任がある。高木さんは、特にプルトニュウムの危険性と、科学的な不完全性をは早くから指摘していた。

科学者として取り組んだ市民運動などを評価されて、1997年にもう一つのノーベル賞と言われる戦争や貧困から人々を貢献した人に与えられるライト・ライブフッド賞を受賞する。専門職に没頭して、現実に目を向けない科学者のために、賞金を基金にして高木学校を立ち上げる。

高木さんの警告は、スリーマイル島やチェルノブイリの事故で現実のものとなる。しかし、警告は無視され続けた。20年近く前に高木さんが警告した事故が、高木さんの予測をはるかに上回って発生した。

企業にも大学にも頼らずに、科学を市民の手に戻す作業に明け暮れて、原発の危険性を訴え続けた、高木仁三郎さんを忘れてはならない。番組は下記のYoutubeでも見られます。75分です。

https://www.youtube.com/watch?v=-f0_tdaVz6c

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