小林坩堝「エンド・ロール #3」(「現代詩手帖」2017年02月号)
私は最近、若い世代の日本語に違和感を覚える。たとえば小林坩堝「エンド・ロール #3」
「意味」はわかる、いや、わかったつもりになる。「オモイデ」とカタカナで書くことで「抒情」を排除している。「思い出」という「流通言語」ではないものを書こうとしている。そこに「あせり」のようなものがある。それを「青春」と呼ぶこともできるだろうけれど。
それが「伝説」「都市」「赤子」「転生」という具合に漢字熟語のなかを動いていく(疾走していく、と言った方がいいかなあ)。こういうことばの運動を見ると(黙読すると)、私は1970年代(あるいは60年代かもしれない)の「現代詩」を思い出してしまう。
「新しい」という感じがしない。
まるで「全共闘」の叫び声のよう。「意味」もそうだが、なによりもことばの調子が古くさい。「……であるところの」という「翻訳調」に驚いてしまう。こんな「翻訳調」は、いまでも「学校教育」に残っているのだろうか。これも非常に疑問。「翻訳」もずいぶん変わっていると思う。もっと「楽」な感じの文体になっていると思う。
いまは誰もこんなふうに話していないので、それが「新しい」のかもしれないが、私には、昔に逆戻りしたような感じがしてしまう。
詩の書き出しは、もっと古く感じられる。「如く」ということば、小林は、いつ、つかうんだろう。(私は自分がいつつかったか思い出すことができない。つかったことがないかもしれない。)いま、だれもつかわないから「新しい」と言えるのか、という疑問を感じてしまう。
まるで、明治。
うーん。清水昶を思い出してしまう。
とか
なども。
「死にさらせ」は「死に晒せ、曝せ」か。「ひらがな」では、私は、わからない。言い換えると「聞いても」わからない、ということ。
こういう「聞いてわからない」というのは清水昶をはじめ、1970年代の詩にはないと思うけれど。
清水昶の詩は、私は大好きだから、こんなふうに清水昶がよみがえってくることはうれしいけれど、半面、うれしがってていいのかなあとも自分で疑問に感じてしまうのである。純粋に「共感」できない。そういう違和感がある。
こういうことばで、いま、小林のまわりにいるひとのことばの中へ入って行き、会話を刺戟するということがあるのだろうか、という疑問でもある。そのまま会話にならなくても、なにかのヒントになるということはあるのかなあ、という疑問。
「全共闘」の時代は、現代詩は、それなりに影響力を持っていたと思う。
(目の調子がおかしいので、最近、批判ばかり書いている気がするなあ。)
文章のいたるところに、他人の声に耳を傾けることで豊かにした中井の「もとで」が感じられる。中井の「もとで」は「生きているひと」そのものの「もとで」、「いのちのもとで」。
これを整理することは難しい。たぶん、整理してしまうと違ったものになる。だから、思いついたまま、書いておく。私は勝手な読者なので、「誤読」を誤読のままにしておく。
私は最近、若い世代の日本語に違和感を覚える。たとえば小林坩堝「エンド・ロール #3」
なにかを匿すかの如くに
街に雨が降りしきる
視えるか
無数の瞳が瞬くのが
おれでおまえでおれたちおまえたちわれわれであるところの
オモイデの数だけ伝説は生まれ
滅び
やがて都市の赤子として転生する
「意味」はわかる、いや、わかったつもりになる。「オモイデ」とカタカナで書くことで「抒情」を排除している。「思い出」という「流通言語」ではないものを書こうとしている。そこに「あせり」のようなものがある。それを「青春」と呼ぶこともできるだろうけれど。
それが「伝説」「都市」「赤子」「転生」という具合に漢字熟語のなかを動いていく(疾走していく、と言った方がいいかなあ)。こういうことばの運動を見ると(黙読すると)、私は1970年代(あるいは60年代かもしれない)の「現代詩」を思い出してしまう。
「新しい」という感じがしない。
おれでおまえでおれたちおまえたちわれわれであるところの
まるで「全共闘」の叫び声のよう。「意味」もそうだが、なによりもことばの調子が古くさい。「……であるところの」という「翻訳調」に驚いてしまう。こんな「翻訳調」は、いまでも「学校教育」に残っているのだろうか。これも非常に疑問。「翻訳」もずいぶん変わっていると思う。もっと「楽」な感じの文体になっていると思う。
いまは誰もこんなふうに話していないので、それが「新しい」のかもしれないが、私には、昔に逆戻りしたような感じがしてしまう。
詩の書き出しは、もっと古く感じられる。「如く」ということば、小林は、いつ、つかうんだろう。(私は自分がいつつかったか思い出すことができない。つかったことがないかもしれない。)いま、だれもつかわないから「新しい」と言えるのか、という疑問を感じてしまう。
まるで、明治。
爆ぜて無残な人称の彼方から
懐かしい声がする
或いは産声であるのかも知れなかった
--やあ、もう帰らないよ
おれたちに似合いの雨だ
バラバラ、
散って
かき消して
核心はいつでも
往く路にあるのだから
うーん。清水昶を思い出してしまう。
<いま>これが
出来事を象徴していく生臭く鮮やかな
花束--
根を絶たれ咲くだけ咲いて風に攫われ
生のかぎりを死にさらせ
とか
おれたちは
最期の挨拶を交わす
なども。
「死にさらせ」は「死に晒せ、曝せ」か。「ひらがな」では、私は、わからない。言い換えると「聞いても」わからない、ということ。
こういう「聞いてわからない」というのは清水昶をはじめ、1970年代の詩にはないと思うけれど。
清水昶の詩は、私は大好きだから、こんなふうに清水昶がよみがえってくることはうれしいけれど、半面、うれしがってていいのかなあとも自分で疑問に感じてしまうのである。純粋に「共感」できない。そういう違和感がある。
こういうことばで、いま、小林のまわりにいるひとのことばの中へ入って行き、会話を刺戟するということがあるのだろうか、という疑問でもある。そのまま会話にならなくても、なにかのヒントになるということはあるのかなあ、という疑問。
「全共闘」の時代は、現代詩は、それなりに影響力を持っていたと思う。
(目の調子がおかしいので、最近、批判ばかり書いている気がするなあ。)
文章のいたるところに、他人の声に耳を傾けることで豊かにした中井の「もとで」が感じられる。中井の「もとで」は「生きているひと」そのものの「もとで」、「いのちのもとで」。
これを整理することは難しい。たぶん、整理してしまうと違ったものになる。だから、思いついたまま、書いておく。私は勝手な読者なので、「誤読」を誤読のままにしておく。
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