荒川洋司「工場の白い山」ほか(「午前」23、2023年04月25日発行)
中井久夫が、どこかで「訳詩というのは、元の詩を暗唱してしまえるくらい記憶するのではなく、少しうろ覚えのところがあるくらいの方が、うまくできる」というようなことを書いていた。詩の鑑賞も、それに似ていると思う。完全に理解してしまうと、そして暗唱できるくらいに覚えてしまうと、つまらないのではないか。記憶まちがい、なんだったかなあと思い出せない部分があるくらいの方がおもしろい。
その中井の意見とは少し違うのだが、そして似ているかもしれないとも思うのだが、詩というのは、何かわからないところがある方がおもしろい。特に、初めて読む詩というのは、わからない方がおもしろい。
荒川洋司「工場の白い山」を読んでみる。
白い山肌は
みそれにおさめられた
落ち悔いたようで
安らかでなく
生き方は いまどうしているのか
鋭利なものは とがりながら枠を外れ
愁然とした一本のからだを横にしたり
真横に返したりして
引き寄せるうちに
次々に仲買人の肩先をとおって
生き方は どこかへ
あるじのないまま運ばれていくのだ
書かれていることばのひとつひとつは、わかる。(わかると、思う。)しかし、そのつながり方が、よくわからない。だから、つまずく。それは、わからないものを偶然見つけてしまう感じにも似ている。
「生き方」ということばが二回繰り返されているから、だれかの「生き方」を思って、荒川はことばを動かしているのだろうと想像はできるが、どんなふうに想像しているのか、よくわからない。「いまどうしているのか」とあるから、まあ、荒川も、それを知らないのだろう。知らなくても(あるいは知らないから)想像できるとも言える。
荒川のなかでは「脈絡」があるのだろうけれど、その「脈絡」は私の想像をこえているので、ついていけない。ついていく必要もないのだが、ついていくとぶつかってしまう。それは私の行きたいところとは関係ないから何だろうなあ。
この感じが、雑踏の中を歩いていて、前を歩いている人にぶつかってしまうときの感覚に似ている。しかも、知らない人なら、「あ、ごめん」ですむのだけれど、なまじ知っているので、何か、その人を追いかけていたのを見つかってしまった感じかなあ。
つまり、私を逆に、覗かれてしまった感じ。
でも、私の何を? 私のことばの動きを。私のことばがどう動いているかを。
あ、ほんとうは、こんなことを書きたいわけではなかった。思わぬところへ引きずり込まれてしまいそうなので、ちょっと逆戻りする。
ことばを追いかけ、つまずいてしまうのは、私の知っている「文法/文体」意識では書かれていないからである。「文体」(意識の肉体)というものは、だれでも独自のものだから、それを完全に理解できるはずがないものだ。しかし、私たち(私だけ?)は、それを「理解できる」ものとかってに思い込んで、それを追いかける。追いかけると、妙なずれに悩まされる。そして、書かれていることばの「文体(意識の肉体)」のなにかを見落として、その瞬間に「ぶつかる」。意識な「意識の肉体」にぶつかる。
ということも、ほんとうは書きたかったことではなく、脱線なのだが。
でも、脱線してから、もとに戻った方が、断線の重大さがわかるかもしれないなあと思い、先走って脱線しておくのだ。
何が書きたかったかというと。
今回の、荒川の詩の文体、ギクシャクと折れたような文体、つまずきを誘うというのは、いまの現代詩のひとつの流行であり、それは江代充はじめ、何人かがバリエーションを展開することで流行した。まあ、「源流」は、荒川が『水駅』で完成した文体を破壊し、別なことばの動きを探し始めたところにあるのかもしれないが(だから、今回の荒川の詩は、一種の「先祖返り」の部分もあると思うのだが)、……これは、荒川の「その」という指示代名詞がつくりだす厳密な「文脈」からの「解放」ともいえるものだ。
あ、私の「文体」も乱れています? でも、私の文体の乱れ方は、どちらかというと、「粘着的」でしょ? 「折れた文体」というよりも、「切断」を拒んでねじまがっていく文体だね。
この荒川の、あるいは、江代の、折れながら(切断されながら)、接続していく文体は、どうすればつくることができるのか。きょう考えるのは、それだ。
荒川は「生き方は」ということばを繰り返すことで、さらには「横にしたり」「真横に返したりして」という具合に「横」を引き継ぐことで、接続を強調し(この手法が、ほかの詩人とは違う)、逆に切断を浮かび上がらせるのだが。
田中清光の「約束」を読んでいたら、ふいに、簡単な(?)方法を思いついたのである。
田中の詩は、こうである。
木は
花を咲かせるという約束を
目の前に見せている
木の声には言葉がいくつもあって
その音声は 空の言葉に
無心に答えているように聞こえる
わたしにあるはずの
見えない水路
宇宙の資材とつながっている回路でも
かすかな音声が通りみちの淀みや暗渠を越えようとしているようだが
まだわたしの身体まで到着してこない
この田中の詩も、かなりギクシャクしているが、五行目の「その音声は」の「その」が荒川世代の「粘着力のその(指示代名詞のその)」なので、そういうものをばっさり切り落として、こうすると、どうだろうか。
花を咲かせるという約束の
木の声には言葉がいくつもあって
無心に答えているように聞こえる
わたしにあるはずの
宇宙の資材とつながっている回路でも
かすかな音声が通りみちの淀みや暗渠を越えようとしているようだが
まだ身体まで到着してこない
「その」という粘着力のあることば、必然的に脈絡を産み出してしまうことば削除し、さらにそれにつながることばを隠してしまう。「その」によってひっぱりだされてきたものをあえて隠してしまう。脈絡を見えなくして、飛躍を装う。(ほんとうは、脈絡はある。)そうすると、「いま流行の文体」になるのではないかと思ったのだ。
しかし、それを繰り返すだけではおもしろくない。
では、荒川は、どうするか。それを私は、どう読んだか。それを書こうと思ったが、やっぱりやめておく。「午前」で、荒川の詩を直接読んで、そのつづきをたしかめてほしい。
**********************************************************************
★「詩はどこにあるか」オンライン講座★
メール、skypeを使っての「現代詩オンライン講座」です。
メール(宛て先=yachisyuso@gmail.com)で作品を送ってください。
詩への感想、推敲のヒントをメール、ネット会議でお伝えします。
★メール講座★
随時受け付け。
週1篇、月4篇以内。
料金は1篇(40字×20行以内、1000円)
(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
1週間以内に、講評を返信します。
講評後の、質問などのやりとりは、1回につき500円。
★ネット会議講座(skypeかgooglemeet使用)★
随時受け付け。ただし、予約制。
週1篇40行以内、月4篇以内。
1回30分、1000円。
メール送信の際、対話希望日、希望時間をお書きください。折り返し、対話可能日をお知らせします。
費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
作品は、A判サイズのワード文書でお送りください。
少なくとも月1篇は送信してください。
お申し込み・問い合わせは、
yachisyuso@gmail.com
また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571
*
オンデマンドで以下の本を発売中です。
(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512
(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009
(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804
(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455
(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977
問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com