詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

Estoy Loco por España(番外篇345)Obra, Javier Messia

2023-04-24 19:16:18 | estoy loco por espana

Obra, Javier Messia

Me da impresión la obra de Javier…..

 La soledad que refleja el agua es aún más solitaria que la soledad. Porque nos dice que, por muy parecidos que seamos, nunca debemos superponernos. No toques la soledad reflejada por el agua. Desde el punto en que la toca, le atrae. Al caer un guijarro solitario al agua y lo podemos ver. La obra de Javier resiste la tentación de los círculos concéntricos y se divide en varios cuadrados. El agua oscura ilumina en silencio su tristeza. Inconsciente de que son sus propias palabras, la soledad escucha la voz del agua.

                  

 水が映し出す孤独は、孤独よりも、さらに孤独だ。どんなに似ていても、けっして重なり合ってはいけないと告げるからだ。水の映し出す孤独に、触れてはいけない。触れたところから形が崩れ、引き込まれてしまう。孤独な小石を水に落としてみればわかる。同心円の輪が広がり、小石をのみこんでしまう。Javierのこの作品は、その同心円の誘惑に抗い、いくつもの四角形に分裂していく。暗い水は、その悲しみを、静かに照り返している。それが自分のことばだとは知らずに、孤独は、水の声を聞いている。

 

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荒川洋司「工場の白い山」ほか

2023-04-24 18:11:27 | 詩(雑誌・同人誌)

荒川洋司「工場の白い山」ほか(「午前」23、2023年04月25日発行)

 中井久夫が、どこかで「訳詩というのは、元の詩を暗唱してしまえるくらい記憶するのではなく、少しうろ覚えのところがあるくらいの方が、うまくできる」というようなことを書いていた。詩の鑑賞も、それに似ていると思う。完全に理解してしまうと、そして暗唱できるくらいに覚えてしまうと、つまらないのではないか。記憶まちがい、なんだったかなあと思い出せない部分があるくらいの方がおもしろい。
 その中井の意見とは少し違うのだが、そして似ているかもしれないとも思うのだが、詩というのは、何かわからないところがある方がおもしろい。特に、初めて読む詩というのは、わからない方がおもしろい。

 荒川洋司「工場の白い山」を読んでみる。

白い山肌は
みそれにおさめられた
落ち悔いたようで
安らかでなく
生き方は いまどうしているのか
鋭利なものは とがりながら枠を外れ
愁然とした一本のからだを横にしたり
真横に返したりして
引き寄せるうちに
次々に仲買人の肩先をとおって
生き方は どこかへ
あるじのないまま運ばれていくのだ

 書かれていることばのひとつひとつは、わかる。(わかると、思う。)しかし、そのつながり方が、よくわからない。だから、つまずく。それは、わからないものを偶然見つけてしまう感じにも似ている。
 「生き方」ということばが二回繰り返されているから、だれかの「生き方」を思って、荒川はことばを動かしているのだろうと想像はできるが、どんなふうに想像しているのか、よくわからない。「いまどうしているのか」とあるから、まあ、荒川も、それを知らないのだろう。知らなくても(あるいは知らないから)想像できるとも言える。
 荒川のなかでは「脈絡」があるのだろうけれど、その「脈絡」は私の想像をこえているので、ついていけない。ついていく必要もないのだが、ついていくとぶつかってしまう。それは私の行きたいところとは関係ないから何だろうなあ。
 この感じが、雑踏の中を歩いていて、前を歩いている人にぶつかってしまうときの感覚に似ている。しかも、知らない人なら、「あ、ごめん」ですむのだけれど、なまじ知っているので、何か、その人を追いかけていたのを見つかってしまった感じかなあ。
 つまり、私を逆に、覗かれてしまった感じ。
 でも、私の何を? 私のことばの動きを。私のことばがどう動いているかを。

 あ、ほんとうは、こんなことを書きたいわけではなかった。思わぬところへ引きずり込まれてしまいそうなので、ちょっと逆戻りする。

 ことばを追いかけ、つまずいてしまうのは、私の知っている「文法/文体」意識では書かれていないからである。「文体」(意識の肉体)というものは、だれでも独自のものだから、それを完全に理解できるはずがないものだ。しかし、私たち(私だけ?)は、それを「理解できる」ものとかってに思い込んで、それを追いかける。追いかけると、妙なずれに悩まされる。そして、書かれていることばの「文体(意識の肉体)」のなにかを見落として、その瞬間に「ぶつかる」。意識な「意識の肉体」にぶつかる。

 ということも、ほんとうは書きたかったことではなく、脱線なのだが。
 でも、脱線してから、もとに戻った方が、断線の重大さがわかるかもしれないなあと思い、先走って脱線しておくのだ。

 何が書きたかったかというと。
 今回の、荒川の詩の文体、ギクシャクと折れたような文体、つまずきを誘うというのは、いまの現代詩のひとつの流行であり、それは江代充はじめ、何人かがバリエーションを展開することで流行した。まあ、「源流」は、荒川が『水駅』で完成した文体を破壊し、別なことばの動きを探し始めたところにあるのかもしれないが(だから、今回の荒川の詩は、一種の「先祖返り」の部分もあると思うのだが)、……これは、荒川の「その」という指示代名詞がつくりだす厳密な「文脈」からの「解放」ともいえるものだ。
 あ、私の「文体」も乱れています? でも、私の文体の乱れ方は、どちらかというと、「粘着的」でしょ? 「折れた文体」というよりも、「切断」を拒んでねじまがっていく文体だね。
 この荒川の、あるいは、江代の、折れながら(切断されながら)、接続していく文体は、どうすればつくることができるのか。きょう考えるのは、それだ。
 荒川は「生き方は」ということばを繰り返すことで、さらには「横にしたり」「真横に返したりして」という具合に「横」を引き継ぐことで、接続を強調し(この手法が、ほかの詩人とは違う)、逆に切断を浮かび上がらせるのだが。
 田中清光の「約束」を読んでいたら、ふいに、簡単な(?)方法を思いついたのである。
 田中の詩は、こうである。

木は
花を咲かせるという約束を
目の前に見せている
木の声には言葉がいくつもあって
その音声は 空の言葉に
無心に答えているように聞こえる
わたしにあるはずの
見えない水路
宇宙の資材とつながっている回路でも
かすかな音声が通りみちの淀みや暗渠を越えようとしているようだが
まだわたしの身体まで到着してこない

 この田中の詩も、かなりギクシャクしているが、五行目の「その音声は」の「その」が荒川世代の「粘着力のその(指示代名詞のその)」なので、そういうものをばっさり切り落として、こうすると、どうだろうか。

花を咲かせるという約束の
木の声には言葉がいくつもあって
無心に答えているように聞こえる
わたしにあるはずの
宇宙の資材とつながっている回路でも
かすかな音声が通りみちの淀みや暗渠を越えようとしているようだが
まだ身体まで到着してこない

 「その」という粘着力のあることば、必然的に脈絡を産み出してしまうことば削除し、さらにそれにつながることばを隠してしまう。「その」によってひっぱりだされてきたものをあえて隠してしまう。脈絡を見えなくして、飛躍を装う。(ほんとうは、脈絡はある。)そうすると、「いま流行の文体」になるのではないかと思ったのだ。
 しかし、それを繰り返すだけではおもしろくない。
 では、荒川は、どうするか。それを私は、どう読んだか。それを書こうと思ったが、やっぱりやめておく。「午前」で、荒川の詩を直接読んで、そのつづきをたしかめてほしい。

 


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