詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

ダーレン・アロノフスキー監督「ザ・ホエール」(★★)

2023-04-08 19:13:30 | 映画

ダーレン・アロノフスキー監督「ザ・ホエール」(★★)(キノシネマ天神、スクリーン2)

監督 ダーレン・アロノフスキー 出演 ブレンダン・フレイザー

 舞台劇が原作。だから「室内」限定という設定は、それはそれでいいのだが、あまりにも「ことば」の説明が多すぎる。ふつうの映画なら映像で見せる部分をことばで見せてしまう。
 で、そのとき問題なのは。
 「舞台」は、「ことば」を聞く場所なので、ことばがどれだけ多くてもかまわないし、肉体で表現できないことを「ことば」で表現してもまったくかまわないのだが。
 映画はねえ。
 主演の男優のメーキャップが話題になっているが(アカデミー賞も撮ったが)、どうしても観客の意識は「映像」に向かう。映像に集中してしまうから、「ことば」への集中力が落ちる。
 特に、主人公が200キロを超すまでに太ってしまって、歩行器がなければ歩けない。遠くにあるものをつかむには特殊な棒がいるという醜い肉体がメインだとすると、どうしても観客の視線は肉体に引っ張られる。顔はどうやって太らせたのか。だれもことばなんか聞かない。わっ、すごい。こんな醜い体に、よくなってしまったものだなあと思うだけ。
 何度も書くが、だれもことばなんか聞かない。
 私は外国人に限らないが、名前を覚えるのが苦手だから、人の名前が何人か出てきても、覚えられない。主人公の恋人がどういう名前だったか、ピザの配達人はどういう名前だったか。主人公の恋人も、ピザの配達人も顔を見せないから(恋人の写真はちらりと出てくるが)、もう、その区別がつかない。(これが映像ではっきり写し出されれば、すぐ区別がつくのだが)。
 まあ、その「ことばへの集中力」を低下させないためなのか、「映像への集中力」を緩和させるための中わからないが、映像が暗くて不鮮明。別に雨が降っている必要はないのだが、外はいつも雨。(最後のクライマックスだけ、わざとらしく晴天なのだが、これがまた、なんともあざとい。)私は、こういう「仕掛け」が大嫌い。
 「ことばへの集中力」を要求するなら、スピルバーグ「リンカーン」のように、役者に「声」の演技をさせるべきなのだ。ダニエル・ルイ・ルイスは映画なのに、リンカーンを「声」の強さでも演じきっていた。何よりも「声」がリンカーンを演じていた。
 舞台劇なら、ちゃんと演じていたのに、あのセリフを聞き逃するとしたら、それは観客にも責任があると言いうるかもしれない。しかし映画では、あのセリフを聞き逃したから人間関係がわからないというようなことがあってはならない。映画は「ことば(声)」を聞くためにあるのではない。映画の出発が「無声映画」だったこと、映画の基本は映像であることを、映画の基本はメーキャップのリアルさにあると置き換えている。アメリカ映画のいちばん悪い面が、この映画に集中している。
 いちばん悪い面と書いたが。
 「悪い面」はブレンダン・フレイザーのアカデミー賞主演男優賞の受賞にもあらわれている。ブレンダン・フレイザーがどうしようもない演技をしているというのではないが、アカデミー賞は、しばしば有名なのに受賞していない人とか、苦労した人に賞を与えてしまう。有名人を実物そっくりに演じれば、賞を受賞できるというのも、そのひとつ。有名人への評価と、演技への評価をごっちゃにしている。有名人に感動したのか、演じた人の演技に感動したのか、そのあたりが、とても微妙。映画で、わざわざ、有名な人物の評価をもう一度する必要はない。
 あ、こう書いてみると、何も書くことのない映画だということがよくわかる。

 で、最後に、ひとつだけ、よかった点をあげておく。ファーストシーン。オンライン授業のとき、主人公(大学の教師)の顔だけが映らない。カメラが故障している、という設定。顔が見えないから、学生は、ただ「声」に集中して聞いている。さらに、教師からは見られているから、ずぼらな聞き方はできない。
 ね。
 ここに、この映画の「理想の見方」が暗示されている。
 この映画は、主人公の姿を見てはいけない。想像するのはいいが、実際には見てはいけない映画なのだ。映画につかわれている「白鯨」という小説でも、白鯨が実際に姿をあらわすのは、ずっーとあと。姿をあらわすまでは、白鯨に恨みを持つ船の乗組員は、それを知らない。「ことば」で知っているだけ。
 「ことば」だけ、聞きなさい。主人公の「姿」は、想像しなさい。そうすれば、この「作品」の良さがわかります。
 私は実際、この映画をだまされてみたようなもの。予告編で、太った醜い男の姿はたしかに「ちらり」と見た記憶はあるが、全体がわからなかった。だから、その醜い肉体に引きずり込まれることはなかった。で、ちょっとおもしろそう、と思ったのだ。ところが、映画では、この醜い肉体が出ずっぱり。
 これじゃあ、だめだよなあ。(また、悪口になったが。)
 そして、いい点と書いたファーストシーンでも、私は、かなりわくわくした。醜いからだ(メーキャップ)が売り物というけれど、もしかしたら、そんなに見せないのかも、と期待したのだ。そうなら、おもしろいかもしれない。ちょっと「エレファントマン」なんかも想像したのだ。
 でも、ほんとうに、そこまでだった。
 映画を見るなら、ぜひ、目をつぶってみてください。そうすれば、意外といい映画かも。(笑い)

 

 

 

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