詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

「ノルマ」ということば(その2)

2023-12-16 21:05:12 | 読売新聞を読む

 ノルマについて書いた途端、読売新聞のオンラインに、「自民の元派閥幹部「パーティー券100枚、200万円分がノルマ」…届かなければ自腹も」という記事が書かれた。
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20231214-OYT1T50255/ 

 そこには、こう書いてある。

 自民党のある派閥幹部経験者が読売新聞の取材に応じ、派閥のパーティー券販売の実態などについて証言した。
 この元派閥幹部の場合、パーティー券100枚(1枚2万円)200万円分がノルマだった。企業などに購入を依頼するが、ノルマに届かない分は自らが負担することもあったという。「ノルマをこなすのは大変だ。多くの議員はそこまで余裕をもって売れていなかったはずだ」と話す。

 どんな世界でも「ノルマ」が課せられれば、それが達成できないときは「罰則」がある。自腹を切る(自分で負担する)は、ことばこそ違うが実態は「罰則」。
 読売新聞の所在に応じた「自民党のある派閥幹部経験者」は明言していないが、「自腹を切る」ひとがいるかぎり、その逆も絶対に想定されている。毎回自腹を切っていたら、やっていけない。どうしたってノルマ達成者には見返り(報酬=キックバック)があるはず。それがあるから、ときには自腹を切ることもできる。
 だから、これはトップが一方的に指示しているのではなく、全員が「合意」にもとづいておこなっていること、と見るべきなのである。

 検察が何人かの議員を聴取したとも聴くが、多額のキックバックを受け取った議員だけではなく、全議員、その秘書らをふくめて調べるべきである。議員は、秘書に「キックバックがあるから、パーティ券を売りまくれ」とハッパをかけているはずなのである。
 「ノルマ」ということばを聞いた瞬間に、そういう情景が思い浮かばないとしたら、それはジャーナリストが、あまりにのうのうと仕事をしている証拠だろう。
 さらに言えば、政府関係者からの「リーク」をたよりに特ダネという名の「宣伝記事」を書いているから、そういう「仕組み」を知っていても、いままで黙っていたということだろう。

 これはね、だから、ジャニーズの性被害や、宝塚歌劇団の「いじめ」と同質の問題なのである。ジャーナリストならだれもが知っている、でも書くと取材できなくなる恐れがある。だから、書かない。そういう「構造」が日本のジャーナリズムに根づいてしまっているのだ。

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「ノルマ」ということば

2023-12-16 09:44:06 | 読売新聞を読む

 安倍派の「裏金問題」が話題になっている。誰が主導したか、があれこれいわれているが、私が不思議に思ってしようがないのが、これがどうしていままで表沙汰にならなかったかということである。
 2023年12月16日の読売新聞(西部版・14版)に、こういう表現がある。

関係者によると、安倍派ではパーティー券販売のノルマ超過分を議員側に還流し、派閥側、議員側双方の収支報告書に収支を記載せず裏金化していた疑いがある。還流分は2018~22年の5年間で計5億円に上るとみられている。

 「ノルマ」ということばがある。このことばは、このニュースが報じられた最初のころからつかわれていた。
 ノルマということばは、何を意味するか。「義務」である。ノルマが設定されるとき、同時にノルマが達成されないときには罰則がある。それは裏を返せば、達成すればなんらかの報酬があるということでもある。
 つまり、ノルマということばが発せられたときから、罰金・報酬はセットになっていた。パーティー券を売り出したときから、「キックバック」は販売している人間にとっては「期待値」であったはずだ。
 言い直せば。
 それは誰が主導したのでもなく、自民党の「体質」そのものなのだ。
 有権者(もちろん大企業も、そこに働いているひとがいる以上、抽象的な有権者と言えるだろう)から金を吸い上げ(安倍は、確か、税金のことを「国民から吸い上げた金」と表現していた)、たくさん集まったらテキトウに自分たちの都合のいいようにつかおうと考えている。
 消費税がその「好例」である。福祉目的といいながら福祉につかわれるのは本の一部。大半は、企業の法人税減税の穴埋めにつかわれている。なぜ法人税の穴埋めにつかうかといえば、企業を優遇すれば企業から献金がある(政治資金パーティー券を買ってもらえる)。その献金が多ければ、使い道を隠して(裏金としてプールし)、都合のいいようにつかうことができる。
 「ノルマ」ということばをつかっていいかどうかわからないが。
 この消費税→福祉予算というものにこそ「ノルマ」が設定されるべきなのだ。福祉予算は総額いくら(ノルマ)である。その全額を消費税でまかない、そこにもし「余剰」が生じたなら、それを積み立てておいて次の予算に福祉予算にまわす、あるいは他の予算にまわすことを検討するというのが、「消費税→福祉予算」という構図のなかで考えられる「ノルマ」だろう。
 でも、実際は、逆に操作されている。法人税を減税する。福祉をふくめて支出予算が減る。穴埋めが必要だ。その穴埋めに消費税収入をつかう。この仕組みなら、企業からの献金は減らない。逆に、増えるかもしれない。実際、パーティー券の収入が「ノルマ」を超えているのは、企業が「進んで」パーティー券の購入をしているからだろう。議員の秘書たちが「進んで」パーティー券を販売しているのは、「ノルマ」を超えたら、それがキックバックされると知っているからだろう。
 資金集めパーティーというものが設定された段階で、そういう「話」はできあがっていたはずである。
 だれが「ノルマ」を決めるか、「ノルマ」はどうやって資金集めをするひとに伝えられるか。金の流れではなく、「ノルマ情報」の流れを追及すれば、今回の問題の「本質」がわかるはずである。5億円という金額ばかりが問題にされているが、それを問題にするのは、「情報の流れ/情報の共有方法」を隠すための「方便」のようにも、私には思えてしまう。

 「ノルマ」ということばを、いつ、どんなふうにつかうか。自分の経験と引き合わせながら考えれば、報道の「裏」に隠されたものが見えてくるはずだ。この「裏」ということばを、ジャーナリズム「書いていない事実」という意味でつかう。ある情報があるとき、「裏を取れ」というのは、補強材料としての事実を集めろという意味だが、それは何かのときに「表」に出てくるだけで、表に出さなくてもすむときは「裏」におかれたままである。

 

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