「家族ゲーム または みなごろしネロ」は「ネロ」が語り手だ。
と始まる。このあと「僕は 弟を殺した」「妹を殺した」「母を殺した」「妻を殺した」「息子を殺した」とつづいていく。
同じリズム、同じ展開である。
「理由は」と語り、「つまり」と言いなおす。これは「論理のことば」だが、ここでは「論理」が効果的だ。「定型」をかたちづくり、ことばにスピードを与える。意味が明確になり、軽くなる。陰惨な内容だが、童謡のような明るさ、無邪気な声が響きわたる。「定型」が陰惨さを洗い流してしまう。
「神話」が誕生する、と言ってもいいかもしれない。
「神話」というのは、口から口へつたわっていかないといけない。耳から入ったことばが肉体を通り抜け口から出ていく。その繰り返しが、ひとの「肉体」そのものをつくる。音、リズムと響きが、ひとの肉体で共有され、ひとは「ひとつ」になる。
この詩は大好きだが、不満もある。
「ぼくは 師を殺した」と「ぼくは ぼくを殺した」のパートはおもしろくない。「論理」が完結してしまう。「定型」が閉ざされてしまう。「ぼくは 息子を殺した/(略)/彼を存在に転じた手柄は/ぼくのもの」で終わっていれば、「ぼく」は開かれたままだ。殺されて存在しないのに、殺されることで記憶(歴史)に存在してしまうという「矛盾」に打ちのめされる。読者は「ぼく(高橋)」になって「ネロ」の快感、歴史に批判されるという超人にしか味わうことのできない快感を味わうことができる。
「神話」の主人公になることができる。
詩の最後の「遺書」の部分は、「定型/完結」に二重化している。すべてを「論理」のなかにことばをとじこめている。
高橋の「個人的事情」なんて、私は知りたくない。
*
このシリーズは、今回が最終回です。
「高橋睦郎『つい昨日のこと』を読む」を一冊にまとめました。314ページ。2500円。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074827
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ここをクリックして2500円(送料、別途注文部数によって変更になります)の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。
なお、私あてに直接お申し込みいただければ、送料は私が負担します。ご連絡ください。
「詩はどこにあるか」10・11月の詩の批評を一冊にまとめました。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074787
オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
*
以下の本もオンデマンドで発売中です。
(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512
(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009
(3)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
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(4)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977
問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com
ぼくが 父を殺した
理由は 老いぼれで
大喰らいで 大淫ら
つまり 醜悪至極だったから
彼は死んで 神になった
へどまみれ 淫水まみれの神
彼を神に挙げた手柄は
ぼくのもの
と始まる。このあと「僕は 弟を殺した」「妹を殺した」「母を殺した」「妻を殺した」「息子を殺した」とつづいていく。
同じリズム、同じ展開である。
「理由は」と語り、「つまり」と言いなおす。これは「論理のことば」だが、ここでは「論理」が効果的だ。「定型」をかたちづくり、ことばにスピードを与える。意味が明確になり、軽くなる。陰惨な内容だが、童謡のような明るさ、無邪気な声が響きわたる。「定型」が陰惨さを洗い流してしまう。
「神話」が誕生する、と言ってもいいかもしれない。
「神話」というのは、口から口へつたわっていかないといけない。耳から入ったことばが肉体を通り抜け口から出ていく。その繰り返しが、ひとの「肉体」そのものをつくる。音、リズムと響きが、ひとの肉体で共有され、ひとは「ひとつ」になる。
この詩は大好きだが、不満もある。
「ぼくは 師を殺した」と「ぼくは ぼくを殺した」のパートはおもしろくない。「論理」が完結してしまう。「定型」が閉ざされてしまう。「ぼくは 息子を殺した/(略)/彼を存在に転じた手柄は/ぼくのもの」で終わっていれば、「ぼく」は開かれたままだ。殺されて存在しないのに、殺されることで記憶(歴史)に存在してしまうという「矛盾」に打ちのめされる。読者は「ぼく(高橋)」になって「ネロ」の快感、歴史に批判されるという超人にしか味わうことのできない快感を味わうことができる。
「神話」の主人公になることができる。
詩の最後の「遺書」の部分は、「定型/完結」に二重化している。すべてを「論理」のなかにことばをとじこめている。
高橋の「個人的事情」なんて、私は知りたくない。
*
このシリーズは、今回が最終回です。
「高橋睦郎『つい昨日のこと』を読む」を一冊にまとめました。314ページ。2500円。
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「詩はどこにあるか」10・11月の詩の批評を一冊にまとめました。
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注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
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嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
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(3)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
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(4)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
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