150 立ち尽くす
高橋の書庫(あるいは書斎か)の様子が書かれている。
この四行の、どこに詩があるか。
「前庭」「裏庭」という対。「東西」に対して「南北」という対。思いつくままにことばを動かしているのではなく、「対応」を考えて動かしている。
「雑然」とした部屋の描写なのに、「論理」がある。
そして、それは「雑然」を「雑神低霊」ということばに整理し直す。「霊道」ということばが、それを強化する。
「化している」は、「現実(写生)」を詩へと「化している」ということ。「写生」の技術、どのことばを選ぶかという意識。その結果、「現実」は「詩」に「化す」。
でも、その「化す」は「論理的」すぎる。読んでいて、「化かされた」という感じがしない。
高橋は、これでは「健やかな詩」は降りてこない。大掃除が必要だ、といったんは考えるが、これはこれでもかまわない、とも考える。
で。
と、ことばは動いていくのだが、この展開(開き直り)も、やっぱり「論理」だなあ、と思う。「薄志弱行」「腐儒老生」ということばを私は知らない。だから、あ、こんなことばがあるのか、と驚くけれど、それは「知識」への驚きであって、高橋が発見したものへの驚きではない。言い換えると、「肉体」の実感がつたわってこない。「論理」を書いているだけだ、と思ってしまう。
「論理」を知的なことばで装飾していく。ことばのゴシック建築のようだ。それはそれで、「頑丈」な何かを感じさせる。「定型」と言い換えうるものだと思う。だから、私の「肉体」の奥が揺さぶられることはない。また、高橋が書いている「知的なことば」をまねして書いてみたいなあ、という気持ちにもならない。
高橋の書庫(あるいは書斎か)の様子が書かれている。
前庭と裏庭に向けて引戸のある東西両面が 硝子の素通し
南北両面 十段の書棚から溢れた書籍や雑誌が 床に山積み
おまけに酒瓶や食料品 骨董品 我楽多の類が 通行を阻んで
この書庫は 雑神低霊スクランブルの霊道と化している!
この四行の、どこに詩があるか。
「前庭」「裏庭」という対。「東西」に対して「南北」という対。思いつくままにことばを動かしているのではなく、「対応」を考えて動かしている。
「雑然」とした部屋の描写なのに、「論理」がある。
そして、それは「雑然」を「雑神低霊」ということばに整理し直す。「霊道」ということばが、それを強化する。
「化している」は、「現実(写生)」を詩へと「化している」ということ。「写生」の技術、どのことばを選ぶかという意識。その結果、「現実」は「詩」に「化す」。
でも、その「化す」は「論理的」すぎる。読んでいて、「化かされた」という感じがしない。
高橋は、これでは「健やかな詩」は降りてこない。大掃除が必要だ、といったんは考えるが、これはこれでもかまわない、とも考える。
で。
まさに邪神淫霊入り乱れ 蛮族侵入の噂に脅えつつ 身動きならない
古代末期ローマ人さながら 薄志弱行の腐儒老生 即ちわたくし
と、ことばは動いていくのだが、この展開(開き直り)も、やっぱり「論理」だなあ、と思う。「薄志弱行」「腐儒老生」ということばを私は知らない。だから、あ、こんなことばがあるのか、と驚くけれど、それは「知識」への驚きであって、高橋が発見したものへの驚きではない。言い換えると、「肉体」の実感がつたわってこない。「論理」を書いているだけだ、と思ってしまう。
「論理」を知的なことばで装飾していく。ことばのゴシック建築のようだ。それはそれで、「頑丈」な何かを感じさせる。「定型」と言い換えうるものだと思う。だから、私の「肉体」の奥が揺さぶられることはない。また、高橋が書いている「知的なことば」をまねして書いてみたいなあ、という気持ちにもならない。
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