眠りの前 リッツォス(中井久夫訳)
彼女は後片づけを終えた。皿も洗い上げた。
あたりはしいと十一時。
靴を脱いでベッドに入ろうとして、
一瞬たじろぎ、ベッドの傍でもたついた。
決着を付けたくないものを忘れていたのか?
家は四角でなくなり、ベッドもテーブルもなくなった。
無意識にストッキングを明かりにかざして
孔を捜す。みえない。でもあると確信している。
壁の中か、鏡の中に--。
夜のいびきが聞こえるのは、この孔からだ。
シーツの上のストッキングの形は
冷たい水に張られた網で、
黄色い盲目の魚が一尾そこを横切ってる。
*
孤独な「彼女」。「無意識にストッキングを明かりにかざして」の「無意識に」ということばに胸を揺さぶられる。人間はいつでも「無意識に」逸脱していく。何かしなければならないのだけれど、そんなことをしてはいけないのだけれど、本来の目的とは違ったところへふと迷い込んでしまう。しかし、その「場」は、ほんとうはとても重要な「場」なのかもしれない。重要であるけれど、それを意識できない。--それが無意識。
そこで、人間は何かを捜す。ありもしないストッキングの孔を捜すように、あるいは、そこにはないからこそ、そのないはずの孔を捜すように。孔の有無が重要なのではなく、捜すという行為が重要なのだ。「場」が重要なのではなく、その「場」においての行為、運動が重要なのだ。
「彼女」は何をみつけたか。
盲目の一尾の魚。それは、「彼女」自身の姿である。自分は、ストッキングの網の下で、知らずに泳いでいる魚。盲目だから、「網」もみえない。でも、見えない「網」にとらわれているのだ。そして、そのとらわれていることを「網」は見えないけれど、「無意識に」感じている。「無意識に」感じながら、「無意識に」、どこかに「孔」はないかと捜している。
「彼女」は自分自身を見つけたのだ。
夜。みんな寝静まっている。「彼女」は、するべきことはすべてしてしまった。あとは、眠るだけ。すると、どこからか「いびき」が聞こえる。静かに眠っている人間がいる。その眠りから遠いところに「彼女」は、まだ、こうやって起きている。
取り残された孤独。同じように、同じ家で生きていながら、取り残された孤独。その孤独が、「彼女」を冷たい水の中の、盲目の魚にかえてしまうのだ。