詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『小詩無辺』(1994)を読む(8)

2020-01-26 09:16:44 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (白い山梔子の花の匂いで目がさめた)

言葉よ
まだ目ざめないのか

 「白い」山梔子の匂いで肉体は目覚めた。この「白い」はなぜだろう。なぜ「白い」と書いたのだろうか。
 何かの匂いで目がさめた。山梔子だった。白い花だった、と肉体の認識は動く。しかし嵯峨は「白い」を最初に書いている。ここには「発見」が書かれているのではなく「記憶」が書かれているのだ。嵯峨の「言葉」は記憶を追認している。つまり、知っている「言葉」が動いているだけだ。
 だから言うのだ。「言葉よ/まだ目ざめないのか」は、「言葉よ/目ざめよ」という命令なのだ。まだ「言葉」になっていない「ことば」があるはずだ。未生のことばが。
 それは、こう言い直される。

ぼくの魂しいのどのあたりを急いでいるのか





*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
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