詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

ナボコフ『賜物』(39)

2011-04-05 09:13:42 | ナボコフ・賜物
 (長い中断のあとなので、前に書いたことと重複したことを書くことになるかもしれない。でも、書いていくしかない。)

 ナボコフを読むと、ナボコフがことばを追いかけているのか、ことばがナボコフを追いかけてつかまえてしまうのかわからなくなるときがある。それは何も華麗な文章を指していうのではない。たとえば、

フョードル・コンスタンチノヴィは上着も着ないで、素足にズックの短靴をつっかけて、日焼けした長い指で本を持ち、深い青色のベンチに腰をおろして一日の大半をすごした。
                                 (95ページ)

 この文章は、短くすれば「フョードル・コンスタンチノヴィせ、一日の大半を、ベンチで本を読んですごした。」ということになるだろう。
 「上着も着ないで」など、どうでもいい。「素足にズックの短靴」というのは、「素足にズックの靴」で十分である。そこに「短」ということばが入り込む。「深い青色のベンチ」の「深い青色」も同じ。ナボコフが事実をより具体的に書いている、というより、まるでことばがナボコフの本に降ってきた感じ。ナボコフは、それを書き留める。書き留めないことには先に進めないから--という感じすらする。
 しかし、そうではないのだ。
 その「証拠」を書こう。そのことを「証明」してみよう。
 先に書いたが、引用した一文は「主人公は一日の大半をベンチで本を読んですごした。」になる。誰が(主人公が)、いつ(一日の大半)、どこで(ベンチで)、何をした(本を読んだ)、をつたえるのが文章だとすれば、ナボコフの文章はそこまで短くできる。
 そして私の要約(?)とナボコフの文章を比較すると。
 ナボコフは本を「読んだ」とは書いていない。(訳が正確だと仮定しての話であるが)。「読んだ」のかわりに、本を「持ち」と書いている。
 「読む」という、主人公の動作をナボコフは省略している。もし、ことばがどこからともなくナボコフに降り注ぐものならば、ナボコフは「読んだ」と書いてしまうだろう。ナボコフは「読んだ」を避けているのである。肝心な「行動」を描写することを、その周辺を丁寧にことばで歩き回るのだ。
 ナボコフはことばに追いかけられるふりをして、実際には、ことばをふるいにかけている。こんなに長い小説を書きながら、実際は、ことばを削りこんでいるのだ。そして、ナボコフの小説が長いのは、このことばの「削り込み」を文章そのものの内部に抱え込んでいるからなのである。


賜物 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集2)
ウラジーミル・ナボコフ
河出書房新社

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3 コメント

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ぼくも、ナボコフ、ふたたび、はまっています。 (田中宏輔)
2011-04-05 11:41:10
むかし、20年以上まえに、新潮文庫で『ロリータ』やサンリオ文庫で『ベンドシニスター』や『ナボコフの1ダース』を読んだことがあるのですが、しばらく読んでいなかったのですが、さいきん、『青白い炎』をボルヘスとカップリングした筑摩世界文大學大系81を学校で借りて読みましたところ、とてもおもしろかったので、ほかのものも、谷内さんがお読みになっている『賜物』も読んでみたいなと思いました。先日発売された『ローラのオリジナル』は買いましたが、草稿段階といいますか、メモ程度のものだったのですが、ところどころ言葉にきらめきが見られましたが、やはり完成原稿ではないため、筋もよくわからないもので、十分には楽しめませんでした。『賜物』はまだ品切れではないようなので、買って読んでみたいと思います。中心を回避して周辺を徘徊するという印象は、ぼくもナボコフの文章によく感じます。それもまた文学の豊かな味わいのひとつですね。
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きのう買いました。 (田中宏輔)
2011-04-06 09:51:04
『賜物』、『自伝 記憶よ語れ』、『ディフェンス』の3冊を買いました。3冊合計で、7770円でした。金額の7並びに、ちょっと感心しました。レシートは、とっておこうと思います。そういえば、谷内さんのブログ、いや、ブログを書きつづっていらっしゃる谷内さんって、なんだか、ナボコフの作品に出てきそうな設定の登場人物のように思えてきました。
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ナボコフ (谷内)
2011-04-07 08:42:20
だけにかぎることではないのだけれど。
どこから読んでも、どこでやめてもおもしろいことばというものがありますね。
私は、まだそういう読み方をしたことがないけれど、ページをアトランダムにめくって(絶対に2ページとつづけて読まないようにして)、全ページを読み終わる。
そのとき、その作品が私のなかでどんな形になるか--そういうことをいつか試してみたいなあと思っています。
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