詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

ナボコフ「響き」

2012-01-02 12:11:24 | ナボコフ・賜物
             『ナボコフ全短編集』(作品社、2011年08月10日発行)
 「響き」は既婚の女との恋愛を描いている。夫は軍人で家を離れている。その束の間の時間の幸せと、突然の別れ。夫が帰って来ることになったのだ。そのときの思いが「ぼく」を語り手にしてことばが動くのだが、そのなかに驚くべき動きがある。
 「ぼく」は「ぼく」だけではないのだ。「ぼく」は「ぼく」をはみだして、すべての存在なのだ。それも「ぼく」以外の存在を外から眺めるのではない。

 
ぼくはすべてのものの内側で生き 
          (37ページ。以下、ページはすべて『ナボコフ短編集』による)

 「ぼく」は「ぼく」を離れ、他の存在の「内側」に入り込み、そこから世界をとらえ直す。たとえば、

かさの裏が黄色く多孔質のスポンジのようなヤマドリタケとして生きるのは、どういうことなのか。                            (37ページ)

 「内側で生きる」とは、その存在として生きるということである。
 ナボコフのことばは情報量が多く、あらゆるものが視覚化されるが、それに目を奪われると、この「内側」が見落とされる。あらゆる視覚の対象は、ナボコフが「外側」からみつめたものではなく、対象(存在)の内側に入り込み、内側から世界を統一したときの姿なのである。外見は視覚化されているが、その統一を統一たらしめているのは視覚ではなく、聴覚である--というのは、少し先走りした論理かもしれないが、私の感じていることである。
 この短編のタイトルは「響き」だが、響き--音楽がすべての存在を統一している、と私は感じている。
 女がピアノを弾き、それを「ぼく」が聴いているとき、彼は感じる。

すべてが(略)五線譜の上の垂直な和音になった。ぼくにはわかった。この世界のすべては、ことなった種類の協和音からなるまったく同じような粒子の相互作用なのだ。
                                 (36ページ)

 音楽が、和音が世界を作り上げている。世界をその瞬間瞬間存在させている。音楽が世界の「内側」にある。

 ナボコフ(ぼく)は「内側」から世界を見る。それを具体的に描いた部分は、女といっしょに友人を訪ねた部分に書かれている。  

ぼくはバル・バルィチの中にすべりこみ、彼の内部でくつろぎ、皺のよったまぶたの膨らんだほくろや、糊のきいた襟の小さな翼や、頭の禿げた箇所を這い進んで行くハエなどを、言わば内側から感じたのだ。                   (41ページ)

同じように軽やかな身振りとともにぼくは君の中にもすべりこみ、君の膝の上のガーターについたリボンを認め、さらにそのちょっと上のバチスト布のむず痒さを感じ取り、君の代わりに考えた                          (41ページ)

 「内側で生きる」。そのとき、おもしろいのは「ぼく」は対象そのものになるのではない。あくまで「ぼく」でありながら、他者なのだ。「ぼく」と「対象(他者)」は「内側」でつながっている。
 そのつながりが、「和音」--「垂直な和音」と呼ばれるものである。

ぼくは、すべてのもの--君、煙草、シガレットホルダー、不器用にマッチを擦っているパル・パルィチ、ガラスの文鎮、窓の下枠に横たわった死んだマルハナバチの--内側にいたのだ。                            (41ページ)

 「内側を生きる」ときの幸福--それをナボコフは、次のように書いている。

そこに調和のとれた流れがあったからだ。(略)かつてぼくは百万もの存在や物体に分裂していた。きょうはそれが一つになっている。明日はまた分裂するだろう。
                                 (46ページ)

 「調和のとれた流れ」とは「和音の流れ」である。「和音」は無数の存在(物体)で構成されている。きょうにはきょうの和音があり、明日は明日の和音がある。
 和音の中をナボコフは動いていく。





ナボコフ全短篇
ウラジーミル・ナボコフ
作品社

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1 コメント

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ナボコフー響き (大井川賢治)
2024-05-16 11:54:44
/僕と他者は独立しながら、内側でつながっており、そのつながりが和音なのだ/、難しいです。
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