『旅人かへらず』のつづき。
一一一
橡(つるばみ)に
女(ひと)のひそむ
美しさ
その粉の苦(にが)き
人間の罪をあがなふ
はりつけの情念の苦き
音はどこまで持続するものだろうか。たとえば2行目の「女のひそむ」の「女」を西脇は「ひと」と読ませている。そうすることで「ひそむ」を引き出させている。「ひそむ」ということばを「音楽」のなかで引き出している。「おんなの」では「ひそむ」という音がぎくしゃくし、3行目の「美しさ」が遠くなる。
私が気になるのは「橡」である。「つるばみ」は「罪と罰」に音が似ている。「罪と罰に/女のひそむ/美しさ」。
私は頭のなかで、思わず、そう読み替えてしまう。
これには、たぶん、5行目の「罪」が影響しているのだ。「つるばみ」が「つみ」を引き出したのではなく「つみ」という音が「つるばみ」を「つみ」と「ばつ」に変化させたのだ。そして、最終行に「罰」である「はりつけ」が登場する。
私の読み方は「うがちすぎ」かもしれないが……。
一一二
とき色の幻想
山あざみに映る
永劫の流れ行く
透影(すきかげ)の淋しき
人のうつつ
あまりにはるかなる
この山影に
この土のふくらみに
ゆらぐ色
この部分では、1行目と4行目に、音の交錯を感じる。と「き」いろの「げ」んそう。す「き」か「げ」のさびし「き」。「すきかげ」というルビを読んだとき、記憶の奥で「とき色の幻想」という音が響いてくる。
音は、ほんとうに、どこまで響いてくるものなのか。
「この山影に/この土のふくらみに」のように並んだ行の場合、「この……に」が繰り返されていることがわかるが、「すきかげ」と「ときいろのげんそう」では、音の響きあいを感じる方が奇妙なのかもしれない。しかし、私は、それを感じてしまう。そして、そいうとき、私は「意味」を無視して、つまり、「意味」とは無関係に、あ、このことばはいいなあ、と思ってしまう。
「この山影に/この土のふくらみに/ゆらぐ色」という行では「この……に」という音の繰り返しと同時に、その繰り返しからはみだすように、ふく「ら」み、ゆ「ら」ぐ、が重なり合い、口蓋がとても気持ちがいい。
続・幻影の人 西脇順三郎を語る恒文社このアイテムの詳細を見る |