中井久夫訳カヴァフィスを読む(33) 2014年04月23日(木曜日)
「ギリシャの友」。中井久夫の注釈によると、「ローマ支配下のギリシャ系東方小国家の王と臣シタスピスの貨幣デザインについての架空の問答」。ギリシャの伝説にもとづくデザインにしようとしている。
どういうデザインにするか、ということの前に技法のことを言っている。表現のことを言う。これが、とてもおもしろい。それも「上手にするんだ」「厳粛でなくちゃ」はまだ客観的だが、「細めがいい」「幅広のは嫌だ」までくると、これが「主観」であることがわかる。「いい」は客観でもありうるが、「嫌」は主観そのものである。
カヴァフィスの詩は、登場人物の声が生き生きと動いているが、それは、声が主観だからである。客観的な主張ではなく、その人の好き嫌いを語っている。好き嫌いの声には何かしら「肉体」が含まれている。好き嫌いを聞くと、その人の「肉体」が見えてくる。
そして、「主観」というのは、なかなか幅広いものがあって……。
貨幣のデザインの好き嫌いを言っていたのに、そこに他人の視線が紛れ込む。「属領総督に誤解されたくない」というのは、いわゆる保身である。ただ自分の好みを言うのではなく、他人からどう思われるかを気にしながら「主観」を制御している。そして、ついでに「閣下」の性格(人格)批評も付け加える。主観は脈絡を超越する。密告されて身分を失うのは「嫌だ」という主観が、そんな具合に動く。
「閣下は何でも嗅ぎつけちゃローマに報告なさる。」の「嗅ぎつける」という動詞も生々しい。頭で理解する、把握するというよりも「鼻」をつかって、嗅ぎつける。もちろん、実際に「鼻」で貨幣のデザインを吟味するわけではないから、「鼻」はいわば比喩である。比喩というより、「肉体」の強調である。「嗅ぎつける」ということばが動くとき、その動詞にあわせて動き回る閣下の肉体のすべてが見える。眼の動かし方、顔のそむけ方、立ち止まったり、足早になったり。報告しようとしてうずうずしている感じが、肉体そのものとして見えてくる。「肉体の声」が主観と向き合うように書かれている。そしてその「肉体の声」というのは、閣下の「主観」を反映している。そこがおもしろい。
「ギリシャの友」。中井久夫の注釈によると、「ローマ支配下のギリシャ系東方小国家の王と臣シタスピスの貨幣デザインについての架空の問答」。ギリシャの伝説にもとづくデザインにしようとしている。
彫り込みと上手にするんだぞ。
表現は厳粛でなくちゃ。
頭につける宝飾は細めがいいんだ。
パルチア人の幅広のは嫌だ。
銘は、通例どおり、ギリシャ語でな。
書きすぎぬように、華美に流れぬように。
どういうデザインにするか、ということの前に技法のことを言っている。表現のことを言う。これが、とてもおもしろい。それも「上手にするんだ」「厳粛でなくちゃ」はまだ客観的だが、「細めがいい」「幅広のは嫌だ」までくると、これが「主観」であることがわかる。「いい」は客観でもありうるが、「嫌」は主観そのものである。
カヴァフィスの詩は、登場人物の声が生き生きと動いているが、それは、声が主観だからである。客観的な主張ではなく、その人の好き嫌いを語っている。好き嫌いの声には何かしら「肉体」が含まれている。好き嫌いを聞くと、その人の「肉体」が見えてくる。
そして、「主観」というのは、なかなか幅広いものがあって……。
銘は、通例どおり、ギリシャ語でな。
書きすぎぬように、華美に流れぬように。
属領総督に誤解されたくない。
閣下は何でも嗅ぎつけちゃローマに報告なさる。
貨幣のデザインの好き嫌いを言っていたのに、そこに他人の視線が紛れ込む。「属領総督に誤解されたくない」というのは、いわゆる保身である。ただ自分の好みを言うのではなく、他人からどう思われるかを気にしながら「主観」を制御している。そして、ついでに「閣下」の性格(人格)批評も付け加える。主観は脈絡を超越する。密告されて身分を失うのは「嫌だ」という主観が、そんな具合に動く。
「閣下は何でも嗅ぎつけちゃローマに報告なさる。」の「嗅ぎつける」という動詞も生々しい。頭で理解する、把握するというよりも「鼻」をつかって、嗅ぎつける。もちろん、実際に「鼻」で貨幣のデザインを吟味するわけではないから、「鼻」はいわば比喩である。比喩というより、「肉体」の強調である。「嗅ぎつける」ということばが動くとき、その動詞にあわせて動き回る閣下の肉体のすべてが見える。眼の動かし方、顔のそむけ方、立ち止まったり、足早になったり。報告しようとしてうずうずしている感じが、肉体そのものとして見えてくる。「肉体の声」が主観と向き合うように書かれている。そしてその「肉体の声」というのは、閣下の「主観」を反映している。そこがおもしろい。