中井久夫訳カヴァフィスを読む(23)
「市」は、カヴァフィスの男色の詩である。ここでもカヴァフィスは人間の感情を口語をつかって書きあらわしている。中井久夫は口語を巧みにつかって、こころのなかで起きている「こと」を「動き」として描き出している。
書き出しの「言っていたな」の「な」。「な」はなくても意味はかわらない。「な」によって、ことばを思い出しているときのこころの「距離」が浮かび上がる。少し落ち着いてきている。そこに距離があるから、「と」ということばも離れたところにある。倒置法のおもしろさが生きる。恋人が言ったことばよりも、いまそれを思い出しているという「こと」の方に詩の力点が置かれている。書かれているのは、恋人のことばというより、そのことばを思い出すという行為である。
この詩は、その「思い出す」という行為とともに、去っていった恋人と詩人の違いをことばの調子によって書き分けている。恋人は「おれ」ということばをつかい、
というような俗語をつかう。それに対して詩人は次のように言う。
というような口調だ。「きみには」ではなく「きみにゃ」という砕けた感じ。距離ができたので、少し見下してもいる。
「この同じ家」に注目すれば、それは去っていった恋人ではなく、自分自身に向けたことばかもしれない。「ほっつき歩く」という俗語で自分を冷徹にながめている。他人から言われるではなく、自分自身に言い聞かせている。
最後の「さ」ということばの、不思議な静かさ。中井のことばの選択の巧みさ。
「市」は、カヴァフィスの男色の詩である。ここでもカヴァフィスは人間の感情を口語をつかって書きあらわしている。中井久夫は口語を巧みにつかって、こころのなかで起きている「こと」を「動き」として描き出している。
言っていたな「ほかの土地にゆきたい。別の海がいい。
いつか おれはゆくんだ」と。
書き出しの「言っていたな」の「な」。「な」はなくても意味はかわらない。「な」によって、ことばを思い出しているときのこころの「距離」が浮かび上がる。少し落ち着いてきている。そこに距離があるから、「と」ということばも離れたところにある。倒置法のおもしろさが生きる。恋人が言ったことばよりも、いまそれを思い出しているという「こと」の方に詩の力点が置かれている。書かれているのは、恋人のことばというより、そのことばを思い出すという行為である。
この詩は、その「思い出す」という行為とともに、去っていった恋人と詩人の違いをことばの調子によって書き分けている。恋人は「おれ」ということばをつかい、
過ごした歳月は無駄だった。パアになった」
というような俗語をつかう。それに対して詩人は次のように言う。
きみにゃ新しい土地はみつかるまい。
というような口調だ。「きみには」ではなく「きみにゃ」という砕けた感じ。距離ができたので、少し見下してもいる。
この市はずっとついてまわる。
同じ通りに住んで
同じ界隈をほっつき歩き、
この同じ家で白髪になるだろう。
「この同じ家」に注目すれば、それは去っていった恋人ではなく、自分自身に向けたことばかもしれない。「ほっつき歩く」という俗語で自分を冷徹にながめている。他人から言われるではなく、自分自身に言い聞かせている。
この市のこの片隅できみの人生が廃墟になったからには
きみの人生は全世界で廃墟になったさ。
最後の「さ」ということばの、不思議な静かさ。中井のことばの選択の巧みさ。